- まえがき
- T 特別支援教育のアウトライン
- [1] 軽度発達障害の正しい理解とは
- (1) 精神発達遅滞の理解が基本
- (2) レディネスを無視した指導はその子をだめにする
- [2] AD/HD・LD児の教育
- (1) AD/HDとは
- (2) AD/HDの主症状〜注意欠陥〜
- (3) AD/HDの主症状〜多動〜
- (4) AD/HDに併存する「病気」〜反抗挑戦性障害(ODD)〜
- (5) 薬物療法
- (6) 心理療法の原則
- (7) 一番最初にやるべきこと
- (8) 学習を進めるには
- (9) 知能検査から個別教育計画へ:LDの指導
- (10) LD指導で抜けてしまうのは……
- [3] 高機能広汎性発達障害(高機能自閉症,アスペルガー症候群)
- (1) 「積み重ならない」のが特徴
- (2) 指導の方向性が2つある
- (3) 行動パターンを逐一教える
- (4) 「自閉症スペクトラム」ではあなたも自閉症になる?
- (5) SPELLの法則が教えてくれる自閉症児への対応
- (6) スモールステップとは何か
- (7) 教師に望む3つのこと
- @ 科学的な教師であってほしい
- A 子育てのプロである教師であってほしい
- B システムをつくれる教師であってほしい
- U スクリーニングは何を問いかけるのか
- [1] 普通学級の6%の子どもが,特別支援教育の必要な子どもである
- [2] 経済的自立が難しい軽度発達障害の子どもたち
- [3] 経済的自立を果たせた子どもたちと,そうでない子どもたち,何が違ったのか?
- [4] 発見されず放置された軽度発達障害の子どもの?末
- [5] 子どもにも,保護者にも,教師にもやさしい特別支援教育
- [6] 担任教師でも,目の前の軽度発達障害の子どもをこれほど見逃している
- [7] こんな授業をされたら,子どもはわかりようがない
- [8] 低学力の子をなんとかするのが,小学校の課題であり急務である
- [9] わからないのに,ひたすら座っていなければならないのは拷問である
- [10] スクリーニングが問いかけるもの
- [11] なぜ医教の連携が必要なのか
- [12] 良い授業をするための条件とは何か
- [13] 意外に難しい「レディネスを守ること」
- [14] 神経心理学的な配慮と,教育的な配慮が考えられ作成された作文ワーク
- [15] 軽度発達障害の子どもたちには本当にできないことがある
- [16] 特別支援教育のチームを早急につくってほしい
- [17] すでに手遅れになってしまった子にどうしたらよいか
- [18] 主婦の「さしすせそ」ができれば就職できる
- [19] 視写ができない子どもへの簡単な対応
- [20] 毎日5分続けることの効果
- [21] 医療,教師,保護者の三者の連携で,子どもの可能性は切り開かれる
- V 知能検査の演習 基礎編
- [1] 検査の始め方
- [2] 検査についての基礎知識・WISC-Vについて
- [3] 検査の結果から受診につなげる
- [4] ITPAについて
- W 知能検査のプロフィールを読むファーストステップ
- [1] 知能検査のプロフィールを読む前に
- [2] 精神年齢3歳の子どもができること・できないこと
- [3] しつけができるのは何歳から?
- [4] 授業の原則10か条は1年生に通用するか
- [5] 言葉の発達について考える
- [6] 教育の原則を考えるために
- [7] 向山型国語とITPA言語学習能力検査
- [8] WISC-VとITPAを読んで指導に生かす
- X 知能検査の演習 応用編
- [1] 重度の子どもの特別指導計画をどう作るか
- [2] 自閉症の子どもの場合
- (1) 自閉症の子どもの事例
- (2) 高機能自閉症の子どもの事例
- (3) 自閉傾向がある知的障害の子どもの事例
- [3] さまざまな発達障害への対応
- (1) 精神発達遅滞の子どもの事例
- (2) 知的障害をともなう自閉症の子どもの事例
- (3) 中学進学に向けての留意点
- (4) 障害児学級在籍の子どもの事例
- (5) 知的障害児学級の子どもの就職は
- (6) 肢体不自由養護学校高等部の子どもの事例
まえがき
私が初めて学習障害がある子どもを診せていただいたのは平成2年である.その当時は,日本小児神経学会でも知的発達障害の「演題」は10に満たず,勉強できるところはあまりなかった.
私にとって幸いであったのは,第一線の児童精神科医であった白橋宏一郎先生(国立仙台病院名誉院長)から手ほどきを受けることができたことだ.白橋先生との出会いは特殊教育に携わっていた亡き父との縁である.白橋先生から親子二代にわたって教えを受けたことになる.
このようなことがあって,実家には私が特殊教育や学校教育を勉強するための書物がたくさんあった.このことが,「学習障害がある子どもにどう教えるか」こそ「治療」であると考え,担任の先生とともに試行錯誤をしていったきっかけになっている.
今にして思えば,これはただの勘違いである.発達障害の医学で最先端を行くアメリカでは,医師が教育にかかわることはほとんどない.しかし,このことこそが,診断名と治療との乖離という,発達障害の臨床を混乱させるもとになっていると私は考えている.
その好例が学習障害(LD)の分類である.ものさし派といわれる医学的分類では,学習障害は読み障害,書き障害,算数障害と分類される.この分類と治療的な対応とが全く対応しない.
読み障害ひとつとっても,空間認知障害による視覚的な入力の弱さがある子どももいれば,その後の言語解釈の問題を抱えた子どももいれば,最終的な「読む」という聴覚的な出力に問題を抱えている子どももいる.したがって,対処法はすべて異なっている.このような異なりを体験できたのは,私が医師でありながら治療としての「教育」に携わることができたからである.
学習障害の「治療」が教育の問題だと思わなかった「勘違い」が,医師でありながら教育書を著す変わり種を生んだともいえる.
* * * * *
本著作集はきわめて広範な範囲に言及している.発達障害という病気そのものの理解に始まり,患者自身の個別的な教育方法,個別的な対応方法,そして,通常学級という集団の中における教育方法や対応方法である.
これは,私が患児の担任の先生方とともに試行錯誤しながら指導方法を考えていった所産である.
何より思い出深いのは,当時,熱心な担任の先生ほど患児のために一生懸命授業をしてくださるし対応もしてくださったのに,患児がクラスでいじめられ,担任も疲れ果てることがしばしば起こったことだ.
今にしてみれば,私が集団のダイナミクスを知らず,担任の行動がえこひいきと間違われたのは明確なのだが当時はわからなかった.集団のダイナミクスの大切さを私に教えてくれたのは授業のうまい先生たちだ.私の考えを,うまく集団にとりいれてくださった.そのうまさを私が理解できるようになるのに10年かかっている.
子ども集団,それ自体にも指導力がある.そして,集団をうまく操る技術こそ発達障害がある子どもたちに学ぶ場所を与えるのだと気がついたとき,本当に光明がさした思いがした.
こうした思いをしてから,すでに7年が過ぎている.私自身も,子ども集団だけではなく,保護者や教師の方々のことを少しずつ教えてもらっている.
今年の4月から,私は山形大学の医学部看護学科に異動した.このことで,これまで病院で診てきた子どもたちと離れなくてすむように,保護者も,教師も,医師も,誰でも参加できる「にゃっき〜ず」という組織を作った.このなかで見えてきたことは,発達障害がある子どもに関係する人たちの一部分だけ(例えば,医師だけ,教師だけ……)が集まって何かをしていると,見えていないことがあるのだという単純なことだ.いろいろな視点があることで新たな発見もあり,新たな問題も生じる.
いろいろな問題が出てきても,子どもを教え育むという,子どもの代弁者たる自分でありたいと思いながら過ごしている.
本著作集は,講演のテープ起こしをまとめた講演集である.この意味で,この著作集の著者は,私と言うよりは,講演に参加してくださった方々であり,テープ起こしをしてくださり編集作業をしてくださった方々である.この場を借りて御礼申し上げたい.
そして,今回の著作集が子どもたちのために何らかの形で役立つことを心から願っている.
平成19年7月吉日 東京のホテルにて記す /横山 浩之
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- 明治図書
- 横山先生の本 出版願う2022/7/940代・小学校教員