- まえがき
- T 注意欠陥多動性障害(AD/HD)等への対応
- [1] AD/HDとはどんな病気か
- [2] AD/HDの歴史
- [3] AD/HDの診断基準
- [4] 自閉症のようでもAD/HDやLDの可能性が消えるわけではない
- [5] AD/HDと間違いやすい病気
- [6] AD/HDの症状を抑えるために
- [7] AD/HDの治療
- (1) 子どもからの信頼を取り戻すことが一番最初
- (2) 薬物治療の必要性
- (3) 心理療法の原則
- [8] AD/HDの症状
- (1) 言語
- (2) 課題遂行
- (3) 認知能力
- (4) 感情
- (5) 身体面
- (6) 学校
- [9] 心理療法の例
- [10] 薬物治療の開始時期
- [11] 薬物治療の効果
- [12] 地域・教育との連携
- (1) 検査の結果を解釈できるようになってほしい
- (2) 教育側の対応で子どもの将来が大きく変わる
- (3) 確実に診断する
- (4) 普通学級か特別支援学級か
- (5) AD/HD児は学級崩壊の原因か
- (6) AD/HDの心理療法の例
- (7) 実はすべての子どもたちに必要なことだ
- (8) アメリカと日本の子育て
- (9) 見逃しやすい女子の注意欠陥型
- U はやく見つけて
- 〜AD/HD,LDの理解でここまでわかる
- [1] 症状だけならばだれにも当てはまる
- [2] 注意欠陥と多動の意味
- (1) AD/HDの主症状
- (2) 注意欠陥の診断基準(DSM-W)
- (3) 多動の診断基準(DSM-W)
- (4) AD/HDの診断基準(DSM-W)
- [3] 併存障害で問題になるのが「反抗挑戦性障害」
- [4] 「反抗挑戦性障害」は環境がつくったものである
- [5] 「学習障害(LD)」の定義
- [6] LDをもつ子どもを1年生の1学期に見つけられなかったら手遅れになる
- (1) 併存障害を多数かかえた子の事例
- (2) はやく見つけて〜AD/HD注意欠陥型の典型例〜
- (3) はやく見つけて〜AD/HD多動型の典型例〜
- (4) 併存障害が起こる前に対応を始めてほしい
- [7] 薬は本人の利益のために使う.教師のためではない
- [8] ジェットコースターから飛び降りた子ども
- [9] 母親はノイローゼになる
- [10] 心理療法だけではだめだから薬を使う
- [11] 一番最初に,子どもから信頼と尊敬を取り戻すこと(心理療法の原則)
- V 自閉症・アスペルガー症候群の基礎理解
- [1] 自閉症の診断基準
- [2] 「質的な障害」とは
- [3] 精神発達遅滞と自閉症との違い
- (1) IQ=70とは
- (2) 精神発達遅滞の場合は
- (3) 自閉症の場合は
- [4] 高機能自閉症
- [5] 自閉症児の心の理論
- [6] こだわり行動の対処
- (1) なくそうと努力したら,もうだめ
- (2) 周囲が振り回されない
- (3) なぜ禁止しないのか?
- (4) 通常児童の教育との大きな違い
- [7] 自閉症の治療・療育法
- (1) TEACCHの犠牲になる子もいる
- (2) あくまでも個別的対応
- (3) 自閉症とAD/HD・LDをきちんと分ける
- [8] 自閉症の言葉の発達
- (1) 共通の体験がない例「出産」
- (2) 自閉症と言葉
- [9] SPELLの法則
- (1) 自閉症の子どもの間違い
- (2) Structure 構造化
- (3) Positive 誉める
- (4) Empathy 共感
- (5) Low arousal 低刺激
- (6) Links 連携
- W 発達障害に似ているが,全く違う「反応性愛着障害」
- [1] 似ているけど全く違う重症な事例
- [2] 愛着が形成されているか〜だまされてはいけない〜
- [3] 子どもはどのように感情を獲得していくか
- [4] Aの対人関係は1歳半レベル
- [5] 大人の命令と禁止を理解するには
- [6] 母親に母性はあったのか
- [7] AD/HDの対処法では不十分
- [8] 特別扱いはクラスの子の同情を育てない
- [9] 同情する子を見つけ,さりげなく誉める
まえがき
私が初めて学習障害がある子どもを診せていただいたのは平成2年である.その当時は,日本小児神経学会でも知的発達障害の「演題」は10に満たず,勉強できるところはあまりなかった.
私にとって幸いであったのは,第一線の児童精神科医であった白橋宏一郎先生(国立仙台病院名誉院長)から手ほどきを受けることができたことだ.白橋先生との出会いは特殊教育に携わっていた亡き父との縁である.白橋先生から親子二代にわたって教えを受けたことになる.
このようなことがあって,実家には私が特殊教育や学校教育を勉強するための書物がたくさんあった.このことが,「学習障害がある子どもにどう教えるか」こそ「治療」であると考え,担任の先生とともに試行錯誤をしていったきっかけになっている.
今にして思えば,これはただの勘違いである.発達障害の医学で最先端を行くアメリカでは,医師が教育にかかわることはほとんどない.しかし,このことこそが,診断名と治療との乖離という,発達障害の臨床を混乱させるもとになっていると私は考えている.
その好例が学習障害(LD)の分類である.ものさし派といわれる医学的分類では,学習障害は読み障害,書き障害,算数障害と分類される.この分類と治療的な対応とが全く対応しない.
読み障害ひとつとっても,空間認知障害による視覚的な入力の弱さがある子どももいれば,その後の言語解釈の問題を抱えた子どももいれば,最終的な「読む」という聴覚的な出力に問題を抱えている子どももいる.したがって,対処法はすべて異なっている.このような異なりを体験できたのは,私が医師でありながら治療としての「教育」に携わることができたからである.
学習障害の「治療」が教育の問題だと思わなかった「勘違い」が,医師でありながら教育書を著す変わり種を生んだともいえる.
* * * * *
本著作集はきわめて広範な範囲に言及している.発達障害という病気そのものの理解に始まり,患者自身の個別的な教育方法,個別的な対応方法,そして,通常学級という集団の中における教育方法や対応方法である.
これは,私が患児の担任の先生方とともに試行錯誤しながら指導方法を考えていった所産である.
何より思い出深いのは,当時,熱心な担任の先生ほど患児のために一生懸命授業をしてくださるし対応もしてくださったのに,患児がクラスでいじめられ,担任も疲れ果てることがしばしば起こったことだ.
今にしてみれば,私が集団のダイナミクスを知らず,担任の行動がえこひいきと間違われたのは明確なのだが当時はわからなかった.集団のダイナミクスの大切さを私に教えてくれたのは授業のうまい先生たちだ.私の考えを,うまく集団にとりいれてくださった.そのうまさを私が理解できるようになるのに10年かかっている.
子ども集団,それ自体にも指導力がある.そして,集団をうまく操る技術こそ発達障害がある子どもたちに学ぶ場所を与えるのだと気がついたとき,本当に光明がさした思いがした.
こうした思いをしてから,すでに7年が過ぎている.私自身も,子ども集団だけではなく,保護者や教師の方々のことを少しずつ教えてもらっている.
今年の4月から,私は山形大学の医学部看護学科に異動した.このことで,これまで病院で診てきた子どもたちと離れなくてすむように,保護者も,教師も,医師も,誰でも参加できる「にゃっき〜ず」という組織を作った.このなかで見えてきたことは,発達障害がある子どもに関係する人たちの一部分だけ(例えば,医師だけ,教師だけ……)が集まって何かをしていると,見えていないことがあるのだという単純なことだ.いろいろな視点があることで新たな発見もあり,新たな問題も生じる.
いろいろな問題が出てきても,子どもを教え育むという,子どもの代弁者たる自分でありたいと思いながら過ごしている.
本著作集は,講演のテープ起こしをまとめた講演集である.この意味で,この著作集の著者は,私と言うよりは,講演に参加してくださった方々であり,テープ起こしをしてくださり編集作業をしてくださった方々である.この場を借りて御礼申し上げたい.
そして,今回の著作集が子どもたちのために何らかの形で役立つことを心から願っている.
平成19年7月吉日 東京のホテルにて記す /横山 浩之
教育現場に生かせる病気の知識が満載。