- まえがき
- T 発達障害の子に基礎学力を保証するカリキュラム試案
- [1] 小学校の読み・書き・算で難しいところはどこなのか
- [2] フィンガーカラーリングで学習の習慣をつける
- [3] フィンガーカラーリングから文字指導へ移行するための2つの条件
- [4] フィンガーカラーリングと文字指導をクリアしたら何をするか
- [5] 入学式の日に子どもに絶対させないといけないこと
- [6] 入学してからの3日間は「ダイヤモンドの3日間」である
- [7] 1年生にはゴールデンウイークをどう過ごさせたらよいか
- [8] ゴールデンウイークをクリアしたら何を学習させるか
- [9] 夏休み前に保護者に何をお願いするか
- [10] 算数が大丈夫そうになったら,いよいよ国語の指導
- [11] 驚きの作文ワークによる効果
- [12] 「大きな数」と「わり算」はノートスキルで教える
- U レディネスを考えて算数授業をつくる
- [1] レディネスを考えた授業構成・教材配列
- [2] 数のかたまりの概念をどの単元で教えるか
- [3] 百玉そろばんを活用する
- [4] ノートスキルとさくらんぼ計算
- [5] 「減々法」による繰り下がりのひき算の教え方
- [6] 百玉そろばんによる「減加法」の実演
- [7] 百玉そろばんによる「減々法」の実演
- [8] かけ算はこう教える
- [9] わり算はノートスキルで教える
- [10] 百玉そろばんで楽に検算
- V 小学校1年生の授業はこうする
- [1] 反抗する子もほめてしつけることができるか
- [2] 集団のダイナミックスを生かして授業を展開する
- W 読み・書きの必達目標はこう作る
- [1] 必達目標は何のために作るのか
- [2] 統計学の知識を使って必達目標を作る
- X 教育技術を評価する
- ―教育技術の評価には,統計学的な裏付けが必要
- [1] 子どもが覚えたから良い教材?
- [2] 評価方法を吟味する
- [3] 評価の仕方はこう変わる
- [4] ペア研究を用いよう
- [5] 教育技術を比較検討するには
- [6] 百マス計算を評価してみる
- [7] AD/HDやLD児に,むやみに家庭で百マス計算をさせてはならない
- Y 特別支援教育が必要な子どもへの「読み書き」
- ―神経心理学的な配慮の側面から
- [1] 神経心理学から見た向山型国語―ITPA知能検査を通して
- [2] 「読み」を保証する向山型国語
- [3] 「書き」を保証する向山型国語―理論編
- [4] 「書き」を保証する向山型国語―実践編
- [5] 「書き」を保証する向山型国語―向山型国語を科学する
- Z 向山型国語の授業づくり
- ―特別支援教育が必要な子どももわかる国語づくりへのヒント
- [1] 漢字学習を保証する向山型国語―『あかねこ漢字スキル』を通して
- [2] 真の向山型国語は作業記憶が少なくても学習できる
- [3] 真の向山型国語とレディネス
- [4] 発問のレディネスを考える
- [5] 解答のレディネスを考える
- [6] 真の向山型国語と情報認知のプロセス
- [7] レディネスと情報認知のプロセスの関連に気がつくことこそ,知的な授業づくりの早道だ
まえがき
私が初めて学習障害がある子どもを診せていただいたのは平成2年である.その当時は,日本小児神経学会でも知的発達障害の「演題」は10に満たず,勉強できるところはあまりなかった.
私にとって幸いであったのは,第一線の児童精神科医であった白橋宏一郎先生(国立仙台病院名誉院長)から手ほどきを受けることができたことだ.白橋先生との出会いは特殊教育に携わっていた亡き父との縁である.白橋先生から親子二代にわたって教えを受けたことになる.
このようなことがあって,実家には私が特殊教育や学校教育を勉強するための書物がたくさんあった.このことが,「学習障害がある子どもにどう教えるか」こそ「治療」であると考え,担任の先生とともに試行錯誤をしていったきっかけになっている.
今にして思えば,これはただの勘違いである.発達障害の医学で最先端を行くアメリカでは,医師が教育にかかわることはほとんどない.しかし,このことこそが,診断名と治療との乖離という,発達障害の臨床を混乱させるもとになっていると私は考えている.
その好例が学習障害(LD)の分類である.ものさし派といわれる医学的分類では,学習障害は読み障害,書き障害,算数障害と分類される.この分類と治療的な対応とが全く対応しない.
読み障害ひとつとっても,空間認知障害による視覚的な入力の弱さがある子どももいれば,その後の言語解釈の問題を抱えた子どももいれば,最終的な「読む」という聴覚的な出力に問題を抱えている子どももいる.したがって,対処法はすべて異なっている.このような異なりを体験できたのは,私が医師でありながら治療としての「教育」に携わることができたからである.
学習障害の「治療」が教育の問題だと思わなかった「勘違い」が,医師でありながら教育書を著す変わり種を生んだともいえる.
* * * * *
本著作集はきわめて広範な範囲に言及している.発達障害という病気そのものの理解に始まり,患者自身の個別的な教育方法,個別的な対応方法,そして,通常学級という集団の中における教育方法や対応方法である.
これは,私が患児の担任の先生方とともに試行錯誤しながら指導方法を考えていった所産である.
何より思い出深いのは,当時,熱心な担任の先生ほど患児のために一生懸命授業をしてくださるし対応もしてくださったのに,患児がクラスでいじめられ,担任も疲れ果てることがしばしば起こったことだ.
今にしてみれば,私が集団のダイナミクスを知らず,担任の行動がえこひいきと間違われたのは明確なのだが当時はわからなかった.集団のダイナミクスの大切さを私に教えてくれたのは授業のうまい先生たちだ.私の考えを,うまく集団にとりいれてくださった.そのうまさを私が理解できるようになるのに10年かかっている.
子ども集団,それ自体にも指導力がある.そして,集団をうまく操る技術こそ発達障害がある子どもたちに学ぶ場所を与えるのだと気がついたとき,本当に光明がさした思いがした.
こうした思いをしてから,すでに7年が過ぎている.私自身も,子ども集団だけではなく,保護者や教師の方々のことを少しずつ教えてもらっている.
今年の4月から,私は山形大学の医学部看護学科に異動した.このことで,これまで病院で診てきた子どもたちと離れなくてすむように,保護者も,教師も,医師も,誰でも参加できる「にゃっき〜ず」という組織を作った.このなかで見えてきたことは,発達障害がある子どもに関係する人たちの一部分だけ(例えば,医師だけ,教師だけ……)が集まって何かをしていると,見えていないことがあるのだという単純なことだ.いろいろな視点があることで新たな発見もあり,新たな問題も生じる.
いろいろな問題が出てきても,子どもを教え育むという,子どもの代弁者たる自分でありたいと思いながら過ごしている.
本著作集は,講演のテープ起こしをまとめた講演集である.この意味で,この著作集の著者は,私と言うよりは,講演に参加してくださった方々であり,テープ起こしをしてくださり編集作業をしてくださった方々である.この場を借りて御礼申し上げたい.
そして,今回の著作集が子どもたちのために何らかの形で役立つことを心から願っている.
平成19年7月吉日 東京のホテルにて記す /横山 浩之
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- 明治図書