- まえがき
- T 26学級の授業診断
- [1] チェックしている子どもの数が多い先生ほど,よい授業をしている
- [2] わからなくなる理由は教材の提示の仕方
- [3] 授業は教師と子どものツーウェイ
- [4] 何をやったかわかるノートを書かせる
- [5] 先生はどこを見ているのでしょうか
- [6] 書くスピードと聞くスピード
- [7] よい授業と悪い授業の違いとは
- [8] 説明せずに教える
- [9] グレーゾーンの子が目立たない学級経営
- [10] 難行苦行を減らす
- [11] 説明すればするほど,わからなくなる
- [12] あなたの視線は?
- [13] ひと目でわかる板書をつくる
- [14] 少人数指導の問題点
- [15] 特殊学級と普通学級のどこが違うか
- [16] TTの功罪
- U スクリーニング検査と知能検査をどう生かすか
- [1] 知能検査の意味
- [2] 具体的な事例から分析
- [3] AD/HDの子どもが,ここまでできるようになる
- V LDのいる学級の授業分析
- [1] 何のために範読をするのか
- [2] 双方向性がある授業になっているか
- [3] グレーゾーンの子どもでも理解できる内容か
- [4] 横山氏の授業代案
- [5] AD/HDの子どもだったら(高橋氏の分析)
- [6] 理解できない言葉
- [7] 言われた言葉をそのとおりに受け取る
- [8] 目の前の子どもが教えてくれる
- W よい授業のポイント
- [1] 双方向であること,ツーウェイ
- [2] レディネス
- [3] 神経心理学的理論
- X 最低限学んでほしいこと,してほしいこと
- [1] 「言葉を削る」「ひと目でわかる工夫」
- [2] 早期発見・早期治療
- [3] さくらんぼ計算と百玉そろばん
- [4] 何もかもがんばらせようとしない
- Y 特別支援教育への手がかり
- ―特別支援教育のトラブル〜月ごとのQ&A
- [1] 最初の配慮は,「学級運営」
- [2] クラスの荒れを防止する
- [3] 特別支援教育が必要な子を見つける
- [4] 特別支援教育と長期の休み
- [5] シルバーの3日間で,何がわかるか
- [6] 行事の疲れを考える
- [7] 就学指導のあり方を考える
- [8] 保育園・幼稚園を見にいこう
- [9] 社会のルールを学ぼう
- [10] 事後評価を学ぼう
- [11] 易しくすることは,優しくない
- Z グレーゾーンの子どもかもしれないのは誰
- ―新任者のための特別支援教育
- [1] 子ども集団を見つめなおそう
- [2] 授業の荒れにどう対処するか
- [3] いじめ・いじめられにどう対処するか
- [4] 自閉症がある子どもが転校してきた@
- [5] 自閉症がある子どもが転校してきたA
- [6] 自閉症がある子どもが転校してきたB
- [ 特別支援教育を支えるキーワード
- ―バークレー先生の12の原則を読み替える
- [1] 重要な情報を明確に示す
- [2] 時間の遅れをなくす,減らす/ 時間を明確に表す
- [3] 動機づけを明確に表す
- [4] すぐその場で,頻繁に,的確なフィードバック
- [5] 計画を立てさせる(未来を,現在にひっぱる)
- [6] 否定的な考え方ではなくて,肯定的な考え方を
- [7] 説明するより,行動で示す(手を差し伸べる)
- [8] ひとときを大事にする(一期一会を大切に)
- [9] 許すことを覚える(自分を,周りを)
- [10] 常に障害を見据える/ ありのままを受容する
まえがき
私が初めて学習障害がある子どもを診せていただいたのは平成2年である.その当時は,日本小児神経学会でも知的発達障害の「演題」は10に満たず,勉強できるところはあまりなかった.
私にとって幸いであったのは,第一線の児童精神科医であった白橋宏一郎先生(国立仙台病院名誉院長)から手ほどきを受けることができたことだ.白橋先生との出会いは特殊教育に携わっていた亡き父との縁である.白橋先生から親子二代にわたって教えを受けたことになる.
このようなことがあって,実家には私が特殊教育や学校教育を勉強するための書物がたくさんあった.このことが,「学習障害がある子どもにどう教えるか」こそ「治療」であると考え,担任の先生とともに試行錯誤をしていったきっかけになっている.
今にして思えば,これはただの勘違いである.発達障害の医学で最先端を行くアメリカでは,医師が教育にかかわることはほとんどない.しかし,このことこそが,診断名と治療との乖離という,発達障害の臨床を混乱させるもとになっていると私は考えている.
その好例が学習障害(LD)の分類である.ものさし派といわれる医学的分類では,学習障害は読み障害,書き障害,算数障害と分類される.この分類と治療的な対応とが全く対応しない.
読み障害ひとつとっても,空間認知障害による視覚的な入力の弱さがある子どももいれば,その後の言語解釈の問題を抱えた子どももいれば,最終的な「読む」という聴覚的な出力に問題を抱えている子どももいる.したがって,対処法はすべて異なっている.このような異なりを体験できたのは,私が医師でありながら治療としての「教育」に携わることができたからである.
学習障害の「治療」が教育の問題だと思わなかった「勘違い」が,医師でありながら教育書を著す変わり種を生んだともいえる.
* * * * *
本著作集はきわめて広範な範囲に言及している.発達障害という病気そのものの理解に始まり,患者自身の個別的な教育方法,個別的な対応方法,そして,通常学級という集団の中における教育方法や対応方法である.
これは,私が患児の担任の先生方とともに試行錯誤しながら指導方法を考えていった所産である.
何より思い出深いのは,当時,熱心な担任の先生ほど患児のために一生懸命授業をしてくださるし対応もしてくださったのに,患児がクラスでいじめられ,担任も疲れ果てることがしばしば起こったことだ.
今にしてみれば,私が集団のダイナミクスを知らず,担任の行動がえこひいきと間違われたのは明確なのだが当時はわからなかった.集団のダイナミクスの大切さを私に教えてくれたのは授業のうまい先生たちだ.私の考えを,うまく集団にとりいれてくださった.そのうまさを私が理解できるようになるのに10年かかっている.
子ども集団,それ自体にも指導力がある.そして,集団をうまく操る技術こそ発達障害がある子どもたちに学ぶ場所を与えるのだと気がついたとき,本当に光明がさした思いがした.
こうした思いをしてから,すでに7年が過ぎている.私自身も,子ども集団だけではなく,保護者や教師の方々のことを少しずつ教えてもらっている.
今年の4月から,私は山形大学の医学部看護学科に異動した.このことで,これまで病院で診てきた子どもたちと離れなくてすむように,保護者も,教師も,医師も,誰でも参加できる「にゃっき〜ず」という組織を作った.このなかで見えてきたことは,発達障害がある子どもに関係する人たちの一部分だけ(例えば,医師だけ,教師だけ……)が集まって何かをしていると,見えていないことがあるのだという単純なことだ.いろいろな視点があることで新たな発見もあり,新たな問題も生じる.
いろいろな問題が出てきても,子どもを教え育むという,子どもの代弁者たる自分でありたいと思いながら過ごしている.
本著作集は,講演のテープ起こしをまとめた講演集である.この意味で,この著作集の著者は,私と言うよりは,講演に参加してくださった方々であり,テープ起こしをしてくださり編集作業をしてくださった方々である.この場を借りて御礼申し上げたい.
そして,今回の著作集が子どもたちのために何らかの形で役立つことを心から願っている.
平成19年7月吉日 東京のホテルにて記す /横山 浩之
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- 明治図書