- まえがき
- T 対話型学びの創造
- 1 なぜ国語科の学びにおいて「対話型学びの創造」が必要なのか?
- 2 生きて働く力としての「習得から活用」の育成に関わる「対話型の学びの創出」
- 3 「学習材との対話」をどう生成するか
- (1) 「すがたをかえる大豆」の論理展開
- (2) 筆者の発想に迫る先行情報の与え方
- 4 「他者との対話」の実際
- (1) 子どもからの疑問〜どうして「とうふ」が先か〜
- (2) 最初の話し合い
- (3) グループでの話し合い
- (4) 全体での話し合い〜筆者の順序に納得できるか〜
- U 対話型授業の実際
- 1 自分との対話、友達との対話を促す―「スーホの白い馬」(小学校2年)―
- (1) はじめに
- (2) 学習材の内容
- (3) 実践の主張
- (4) 指導計画(一五時間取り扱い)
- (5) 授業の実際
- (6) まとめ
- 2 筆者の立場で読む手だてによって生まれた自己内対話から子どもの学びを見出す―「アップとルーズで伝える」(小学校4年)―
- (1) はじめに
- (2) 学習材の内容
- (3) 指導のねらいと対話の関係
- (4) 自己内対話を生み出す学習計画
- (5) 「今日の学び」と対話との関係
- (6) 筆者の存在を意識する段階に行った「題名を検討する授業」での自己内対話
- (7) 筆者が伝えたいことを読み取る段階に行った「七・八段落の必要性を検討する授業」
- (8) 枠組みの作り替えによる動機づけ
- (9) 今後の課題
- 3 学習材との出会わせ方を工夫し、話し合いをコーディネートする―「千年の釘にいどむ」(小学校5年)―
- (1) はじめに
- (2) 学習材の内容
- (3) 実践の主張
- (4) 指導計画
- (5) 授業の実際
- (6) 考察
- 4 導入時における複数教材使用で読みの構えを作り、学習材との対話へとつなぐ―「海の命」(小学校6年)―
- (1) はじめに
- (2) 学習材の内容
- (3) 導入時に複数教材を読ませる試み
- (4) 授業の実際
- (5) おわりに
- 5 補助教材との組み合わせで対話を生み出す―「モアイは語る―地球の未来」(中学校2年)―
- (1) はじめに
- (2) 学習材の内容と授業計画
- (3) 実践の主張
- (4) 授業の実際
- (5) 考察
- V 対話型授業を創造するアイデア集
- 1 朝の会など日常的な取り組みの事例
- (1) 「朝の詩」で子どもたちの聴き合う関係を作る
- (2) 朝の会で「昨日あった出来事」をお友達にお話しよう!〜小学校1年生の対話を促す手だて〜
- (3) 「健康観察」で対人対話力を高めよう
- (4) 「対話」を目指して1・2・3!
- 2 国語科の授業における事例
- (1) 未知の世界との「出会い」から対話を生み出す
- (2) 単元を貫く揺さぶり課題で 湧く湧く想像☆湧く湧く対話!〜題名との出会いを謎解き≠フ構えでスタート・パートT(入門期編)〜
- (3) 単元を貫く揺さぶり課題で 湧く湧く想像☆湧く湧く対話!〜題名との出会いを謎解き≠フ構えでスタート・パートU(小学校2年)〜
- (4) 単元を貫く揺さぶり課題で 湧く湧く想像☆湧く湧く対話!〜題名との出会いを謎解き≠フ構えでスタート・パートV(小学校3年)〜
- (5) あやまりが実のある対話を生む〜「ありの行列」(小学校3年)〜
- (6) 「0(ゼロ)教材」を使った導入の工夫〜「動物の体」(小学校5年)〜
- (7) 発問の構造化で対話を引き出す工夫
- (8) 段落カードの並べ替えを通して文章の論理展開を考える〜「テレビ映像の本質」(中学校3年)〜
- (9) 対話での質問を考えることで内容や表現の工夫に気づく
- (10) 俳句を分析しながら対話する三つのステップ(中学校3年)
- あとがき
まえがき
本書の基本的なコンセプトは、理論と実践の統合による新しい授業実践の開拓である。理論なき実践は偶然であり、実践なき理論は空虚である。しかし、その統合は言うほどたやすいものではない。
編者である鶴田も河野も、この問題に挑戦し、その端緒を開く研究成果として、学位論文を世に問うている。鶴田は、新しい解釈学理論と文学教材の授業を架橋する『〈解釈〉と〈分析〉の統合をめざす文学教育〜新しい解釈学理論を手がかりに〜』(二〇一〇年三月、学文社)、河野は、メタ認知理論と説明的文章教材の授業を架橋する『〈対話〉による説明的文章の学習指導〜メタ認知の内面化の理論提案を中心に〜』(二〇〇六年二月、風間書房)である。
そこで得られた知見や方法論を生かしつつ、さらに鶴田と河野の研究をコラボレートするための場が本書であると言ってもよいだろう。
もともと鶴田は、大学院の博士課程在籍中から、文学教材を中心にその読み方指導や教科内容論をテーマとしてきた。その中で文学教育固有の意義とともに、言語技術教育の重要性も提唱してきた。一方、河野は、北九州市の小学校や広島大学附属小学校の教員を務める中で、説明文教材を通して学習者の側からの学びの創造をテーマとして実践・研究に取り組んできた。ある意味では、研究者としての履歴も対照的であるし、研究テーマ・手法の面でも対照的である。
したがって、両者をコラボレートするということは、鶴田が立脚する教科論的アプローチと、河野が立脚する社会文化的アプローチとの両立・統合という重大な研究テーマに直結している(もちろん鶴田も河野も相手側の立場を軽視しているわけではない。むしろ、その意義は十分に認めている)。そもそも両者は本当に両立・統合可能なのかという根源的な問いから始まって、そこにはスリリングな出会いと抜き差しならぬ葛藤が生じることも予想される。しかし、これを通して、何らかの新しい価値が創造され、国語科教育界に貢献できるのではないかというのが本書の趣旨である。
ただし、授業実践の場では、そもそも教科論的アプローチ、社会文化的アプローチといった理論的な枠組みに従って学びが生まれているわけではない。教師の思いや願い、子どもたちの思いや願い、学校や地域の現実などが輻輳的に絡み合って授業が成立する。その意味では、それほど大上段に構えなくても、子どもたちに本当に力がついたと思えるような実践を創造していけばよいのかもしれない。
幸い、鶴田も河野も、そうした個々の実践を大切にしつつ、それを理論的知見と結びつけることによって、より一般的・普遍的な問題提起をしたいと考えている。「都留ことばの会」(鶴田)や「国語教育湧水の会」(河野)という教育サークルはそのための研究・研鑚の場である。その実践検討を経て、いくつかの授業実践が掲載されている。
本書では、第T章が理論編、第U・V章が実践編となっている。
理論編は、編者の問題意識に基づいて、なぜその理論が必要なのか、またその内実はいかなるものかについて、できるだけ分かりやすく記述するように努めた。
実践編も単なる授業報告ではなく、理論も踏まえた実践の成果を明らかにするために、実践記録のスタイルをある程度統一した。基本的に、「学習材の内容」「実践の主張」という項目に沿って記述している点が特徴である。
「学習材の内容」は、従来の「教材研究」に相当する部分であるが、その学習材(教材)における目標・ねらいを明示するために、編者(鶴田)の提唱する〈教材内容〉〈教科内容〉〈教育内容〉という三分法を採用した。
これについて、改めて説明しておきたい。
a 〈教材内容〉
これは教材固有の内容をさす。文学教材では、作品に表現されている内容(筋・人物・場面・事件・主題など)、説明文教材では、文章に書かれている内容(事実・意見・主張・要旨など)について理解させることを目指す。いわば「教材を教える」という立場である。これは文章の内容を正しく読み取るという点で、最低限必要な過程・内容である。ただし、これだけでは特殊で個別的な知識にとどまる危険性がある。特に説明文の場合は、自然現象や社会事象を扱うことが多いため、ともすると理科や社会科の学習に近いものとなりやすい。
b 〈教科内容〉
これは、もともと一九六〇年代の民間教育研究運動における「科学と教育の結合」という考え方に基づいて形成された概念である。つまり、各教科の基礎となっている学問の体系(知識・技術)が指導事項の中心になる。国語科の文学領域で言えば、文学表現の原理・方法およびそれに基づいた「読みの技術・方法」がそれにあたる。同じく説明文領域で言えば、説明的表現の原理・方法およびそれに基づいた「読みの技術・方法」がそれにあたる。
もちろん、これは「読むこと」の領域だけにとどまらない。「書くこと」においても「話すこと・聞くこと」においても、特に国語科として習得・活用すべき知識・技能の明確化という点で、単なる活動主義に陥ることなく、〈教科内容〉を中核にした授業の構想・展開を保障することになるだろう。
いずれにしても、bの〈教科内容〉は、aの〈教材内容〉よりも一般的・法則的な内容である。
c 〈教育内容〉
これはbの〈教科内容〉よりももっと広く、教科の枠組みを超えて広く指導するものである。身近なレベルでは返事や挨拶の仕方に始まり、ものの見方・考え方、学び方などがそれにあたる。文学の授業では、特に人間の真実や本質、さらに人間としての生き方などの価値的な部分も含まれてくる。説明文の授業では、自然観・社会観などにあたる。それは一学問領域という枠を超えて、文化・社会・道徳などの広範囲な指導事項に及んでくる。
以上から、国語科(文学・説明文の読み)の授業で何を教えるかという国語科内容論として、次の図に示したように、a〈教材内容〉、b〈教科内容〉、c〈教育内容〉を三層構造として設定することができる。
この区別に従うと、例えば「大造じいさんとガン」(椋鳩十)の授業目標は、次のように設定できる。
a 大造じいさんの考え方がどのように変わったかを読み取ることができる。
b 色彩語や比喩表現などに着目して、描写の効果を考えることができる。
c 「大造じいさんとガン」を読んで、人間と自然の共生について考えることができる。
こうした区別によって、授業者が本単元(本時)で何を中心的なねらいにしているかが一目で分かるようになる。
ここで留意すべき点は、次の4点である。
@ aのレベル(教材を教える)にとどまってはならないこと。
A 国語科である以上は必ずbを指導すること。
B bまたはcを指導するときは必ずaを踏まえること(文章の豊かな理解が前提)。
C cを指導するときは必ずbを含むこと(国語の学習が前提)。
こうした区別によって、その授業で何を教える(学ぶ)のか、その基本的な目標や構造が見えやすくなるというメリットがある。
次に、「実践の主張」は、何を新しく提案し、主張したいのかということを明確にすることを目指している。従来、現場の実践報告は、ともすると、「このような発問をしたらこのように子どもが動いた」というような単なる授業記録にとどまるケースが少なくなかった。いくら授業を客観的に記述しても、それだけでは読者に対するインパクトに欠けることになりやすい。そもそも、実践とは先行の授業の模倣や追試にとどまるものではない。むしろ、新しい問題提起なのである。
こうした試みが成功しているかどうかについては読者諸賢のご判断に委ねたい。
本書が国語科教育界に新しい風を送り込めれば幸いである。
二〇一一年一二月一日 編者 /鶴田 清司・河野 順子
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- 明治図書
- 大造じいさんとガンの実践が読みたかった。2018/7/640代・小学校管理職
- 対話型授業のポイントをコンパクトにまとめている。2018/2/950代・大学勤務
- 求められている読解力についてわかった。2015/9/1650代・男性
- 対話活動の具体的な実践設定についてわかりやすく紹介されています。2015/6/2150代・教委