癒しの教育相談―ホリスティックな臨床教育事例集1癒しの教育相談理論―ホリスティックな臨床教育学

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問題行動があると対症療法がいわれる…。そんなことではどうにもならないという問題意識にたって人間をトータルに観る教育相談のあり方を紹介。


復刊時予価: 3,069円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-017716-1
ジャンル:
教育学一般
刊行:
3刷
対象:
小・中・他
仕様:
A5判 232頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

まえがき
T章 感性を活かすホリスティックな臨床教育学
/高橋 史朗
1 なぜ「学校教育の基調の転換」が必要か
2 「生きる力」が育たない根因
3 ポスト・モダン教育への転換
4 ホリスティック医学の設立
5 行動医学と人間性地理学
6 トランスパーソナル学会とアドラー心理学
7 「育てるカウンセリング」
8 「ケア」とは何か
9 「癒し」とは何か
10 ホリスティックな新パラダイム
11 「第三の教育改革」と二大教育観
12 「ホリスティック教育」とは何か
13 三つの立場(伝達・交流・変容)
14 ホリスティックな教育課程と教師
15 エコロジカルな感性
16 感性とは何か
17 知の統合と価値の融合
18 創造的自己実現活動と感性の評価
19 臨床教育学の課題
20 臨床教育学の「臨床」の意味
21 臨床教育学の性格と教育病理への視座
22 ホリスティックな臨床教育事例のモデル
23 教育相談の新しい視座
U章 癒しの教育相談理論
[1] 認知行動心理学の立場から /木村 駿
1 癒しの教育相談の歴史的背景
2 西欧臨床心理学の発生
3 東洋臨床心理思想の発生
4 近世から現代の臨床心理学と教育相談
5 「教育相談」の創始者アドラー
6 アドラーの生涯
7 アドラー学説と癒しの教育相談との関係
8 我が国の教育相談の問題点
9 癒しの教育相談の将来
[2] アドラー心理学の立場から /岩井 俊憲
1 いじめ転校のケースから
2 アドラー心理学の教育観
3 アドラー心理学の基本的な考え方
4 共同体感覚
5 勇気づけ
6 簡易カウンセリング
7 最後に
V章 ホリスティックな教育相談
/相馬 誠一
1 期待される教育相談
(1) 増え続ける登校拒否
(2) 深刻化する「いじめ問題」
(3) 期待される教育相談
(4) 文部省・各自治体の教育相談施策
2 スクールカウンセラーの在り方
(1) アメリカ合衆国でのスクールカウンセラー制度
(2) 日本のスクールカウンセラー制度
(3) 心理療法(サイコセラピー)とカウンセリング
(4) 今後のスクールカウンセラーの在り方
3 ホリスティックな教育相談
(1) 「つながり」の重要性
(2) 「包括」の重要性
(3) 「バランス」の重要性
(4) 統合的教育相談
4 ホリスティックな教育相談の実際
(1) 医療・心理・教育の連携
(2) 教育の特性を活かす
(3) 学校カウンセリングと学校教育相談
5 ホリスティックな教育相談活動の実際
(1) 開発的教育相談
(2) 予防的教育相談
(3) 治療的教育相談
6 学校教育相談の限界
(1) 対象としての限界
(2) 方法の限界
(3) 問題の程度による限界
付 ホリスティックな教育理念の提唱
1 ホリスティックな見方・考え方
2 〈いのち〉への畏敬
3 違いと出会い、違いを生かす
4 ホリスティックな人間観
5 学ぶことは変わること
6 ホリスティックなリーダー
7 真の自由
8 社会適応から共同創造へ
9 地球市民としての自覚を育てる
10 母なる地球、そのすべての生命とつながりあう

まえがき

 漫画家の小林よしのり氏とある月刊誌で対談した際。「援助交際の売春少女が金のために売っているものは実は身体だけでなく、誇り≠ネのだ」という指摘が心に残った。

 河合隼雄氏は、「一番大切なのは、そのような現象を生み出してきた日本の現在の状況にある」として、「『働け働け』で頑張ってきた男が、小金をもって少し遊びたい、息をつきたいと思う。そのときに極めて直接的に『性』に結び付く。そして対象として少女を選ぶ、という姿勢は、現在の日本の文化を象徴的にズバリと示している」と指摘している。

 この問題の背景には、現代における「関係性の喪失」があり、高度経済成長とともに、豊かさ、便利さ、快適さばかりを追求し、「お金の関係しない関係」すなわち、損得を超えた人間関係の〈つながり〉が急速に弱まってしまったという事情がある。

 そこで、河合氏は、「かつては、家出や盗みなどのショックによって両親の反省を促していた少女たちも、今ではそんな生ぬるい方法では、大人が関係喪失の認識に至らないと、どこかで感じとり、相当に直接的な訴えをしているのではないか、とさえ考えられるのである」と述べている。

 援助交際ばかりではない。ポケベルもプリクラもいじめもオヤジ狩りもボランティアもみな、「関係性の喪失」に耐えられない若者たちの姿を反映しているのではないか。ちなみに、オヤジ狩りなどの強盗事件で逮捕、補導された高校生は五年間で倍増している。

 先日、「生理暴力」を扱って大ヒットしたとてつもなく暗いアメリカ映画『セブン』を見た。この映画はニューヨークの地下鉄で通勤しながら、日夜「生理暴力」に晒されていたタワーレコードの店員がうっぷん晴らしにシナリオを書いたことでも有名である。

 大食や傲慢、嫉妬や怠惰といった目をそむけたくなる生理は見る者にとっては暴力である(これを「生理暴力」という)。受け入れがたい他人の生理的行為(たとえば、気になるクセや態度など)は注意して直るものではないから、その暴力性は時に激しい憎悪を生む。

 いじめやオヤジ狩りが増えているのは、それらが理性より強い生理に支配されているからだ。生理暴力は救いのないストレスを増大させ、ストレスの発散としてのいじめやオヤジ狩りを増大させ続ける。

 朝起きてから、寝るまでとにかく何から何まで〈うざい〉と感じる若者が増えている。〈うざい〉というのは、具体的な何かではない。まさに漠然とした生理的不快感を表現する言葉である。生理暴力が横行する現代社会のさまざまなストレスに対するカラダの拒否反応がここから感じられる。このストレスが強まると、〈うざい〉は〈むかつく〉になり、暴力的ないじめやオヤジ狩りへとエスカレートする。

 読売新聞の読者からの投稿欄「気流」に、ある主婦は次のような投稿をしている。


 三歳の息子を連れて、映画「ピノキオ」を見に行った。映画に夢中になった息子は、ピノキオが窮地に追い込まれるシーンになると、涙をこらえることができず、泣き出した。

 すると、近くにいた高校生ぐらいの女の子の二人連れが「うるせえな」「出てけよ」などと小さな声ではあったが、こちらをにらみ、威嚇してきた。子供をひざの上に乗せ、「帰ろうか」と聞いてみたが、「見たい」とのこと。迷ったが、最後まで見せてあげた。

 終わりの字幕が流れる中、さきほどの二人が帰る途中、一人が振り向きざま、「うるせえんだよ」の捨てぜりふとともに、私の足を軽くけった。何とも情けなかった。息子が泣いたのはピノキオの物語に感動したからで、泣いたり声を出したりしている子供は、ほかにもいた。

 大人向けの映画に子供を連れていき、迷惑をかけたのなら、責められても仕方ないかもしれない。しかし、「ピノキオ」は子供向けの映画であり、泣き声を聞き流す優しい気持ちを持ってもらいたかった。…


 子供たちのストレス、イライラはますます強まり、学校と教師のこのような子供の意識の変化への「不適応」が深刻化し、教育荒廃がますます進むことは避けられないであろう。

 子供ばかりではない。教師のストレスも増大し、教師の不祥事も増加の一途をたどっている。人間と人間との絆という最も大切なものを犠牲にして、豊かさ、便利さ、快適さばかりを追求してきたツケが、人間関係の原型を学ぶ家庭や学校の教育力の崩壊に結びついている。親も教師も子供もみな疲れている。

 このようなシステム化したストレス社会をいかにすれば癒すことができるのか。構造化したストレス社会を「癒し型社会」へと変容していくしかない。

 「癒し」とは〈いのち〉の〈つながり〉の全体性の回復であり、自己と他者、世界(人や自然、社会)とのつながりと一体感≠取り戻すことである。それは「かけがえのない存在」としての「自己発見」「自分さがし」から始まる。

 世界の中心にある自分への気づきを出発点とする自己変革から社会変革(ストレス社会の癒されない構造の変革)へと向かわせる、感性を活かすホリスティックな教育こそが求められている。

 六月一日には「日本ホリスティック教育協会」、六月二十一日には「日本感性教育学会」が相次いで設立された。私が主宰する感性教育研究会では毎月感性教育実践講座を開催し、一月二十四日の第三回日本感性教育学会設立準備会で「感性教育の理論と実践」について研究発表を行い、六月二十一日の日本感性教育学会大会のシンポジウム「感性をどう考えるか」では、指定討論者として、実践の立場から感性教育について問題提起をさせていただいた。

 日本感性教育学会の設立趣意は次の通りである。


 「感性」ということばが注目を集め、感性という言葉が各分野から聞かれるようになりました。産業の分野、教育の分野では感性情報の取り入れ、感性教育の実践などへの着手がなされております。

 一方で、人間の情動面に関する科学的研究は、大脳生理学等の研究成果に伴い飛躍的に進歩しました。精神活動に占める情動の地位は我々が想像している以上にずっと高いものであることが明らかになりつつあります。

 感性は、この情動と関係をもつものではありますが、感受性、共感性、センス(理解する感覚)のような高次の概念を含んでおり、情動と感性はむしろ交互に作用しあっていると思われます。しかし、情動の研究が進んでいる一方で、感性の研究はほとんど手がつけられていないというのが現状です。また、感性は人間性そのものにも深く関わってくるようにも思われます。「感性を豊にしよう」とよく言われるのは、多くの人々が現状に対し、人間性回復の必要性を強く感じているからでしょう。

 今ほど感性教育の必要性が強く求められている時代はありません。これまでは知識偏重の時代といわれてきました。この知識偏重が人間性の喪失につながってきているとの指摘が多方面よりなされています。人間性には知性と感性の両面が求められています。各分野で感性へのニーズが非常に高まっているのはこのことによるものと言えます。私たちはこのようなニーズに応えるべきであると考えます。そこには、感性を如何にして育成し、さらに各個人のなかでどのように発展させるか、それ以前に感性をどのような手法で評価したらよいのか、より基本的には感性をどう定義するのか等の、いくつかの大きな課題が山積しています。

 このような状況をふまえて、私たちは感性教育学会設立準備委員会を有志により結成し、種々討議を重ねてきました。その結果、日本感性教育学会を発足させようということになりました。学会の意図は、これらの大きな問題を教育、心理、医療・看護、工学、哲学・倫理、芸術、文化、産業、マスコミ等々、多方面より検討し研究し、それを実践の場で展開してゆくということにあります。(「学会設立案内」)より)


 本シリーズは、こうした動向を踏まえ、感性とホリスティックという視点に立脚した「感性を活かすホリスティックな教育」の理論と実践の確立に向けて、全国各地で地道に取り組んでおられる方々の現段階での成果を集大成したものである。

 本シリーズの出版は、明治図書の樋口雅子編集長の熱心な奨励によって実現した。同教育書編集部の真鍋恵美さん、国際学院埼玉短期大学の相馬誠一先生にも大変お世話になった。改めて心から御礼を申し上げたい。


  平成九年六月   編 者

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      明治図書

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