- はじめに /山口 昌澄
- 第一章 日米の学習支援の状況と実践例
- /谷川 裕稔
- 第一節 アメリカ育ちの『学習支援』
- 1 低学力学生との戦いの歴史
- 2 現代アメリカの大学・短大
- 3 学習支援の枠組みとその実状
- 第二節 学習支援の授業/教授(支援)法
- 〜最近の動向
- 1 ユニークな科目形態:ペア科目(paired / team taught courses)
- 2 授業形態:共同学習(collaborative / cooperative learning)
- 3 補完的支援
- 4 補習科目の支援
- 5 課題:補習教育の場合
- 第三節 日本にも学習支援の波
- 1 学習支援(補習教育)が必要となった背景
- 2 タームの整理:「補習教育」「リメディアル教育」「導入教育」「初年次教育」
- 3 学習支援の現状
- 4 問題点と課題(解決策)
- 第二章 授業が成立するということ
- 第一節 「おもしろい」「たのしい」授業の限界 /下坂 剛
- 1 授業のおもしろさとは?
- 2 授業のくふうとは?
- 3 「授業に参加する」とは?
- 第二節 私語という現象 /山口 昌澄
- 1 ある授業風景から
- 2 私語を「私語」としてみること
- 3 授業を受ける権利、私語する権利
- 4 授業デザインの再考
- 5 教師の権威性と権力性
- 6 「私語のような授業」は可能か
- 第三節 学習レディネス /下坂 剛
- 1 レディネスと動議づけ
- 2 大学生の学習意欲低下への対応
- 3 意欲が湧く指導とは?
- 第四節 学力格差というアポリア /谷川 裕稔
- 1 「学力」とは〜多様な学力観〜
- 2 低学力の学生を受け入れる背景
- 3 クラス内の学力格差
- 第五節 授業時空間のデザイン―高校との連続性 /山口 昌澄
- 1 高大連携にみる「高校の大学化」
- 2 「大学の高校化」について
- 3 大学における時間・空間のデザインについて
- 第三章 全国の学習支援の現状に関する実証的研究
- /下坂 剛 /山口 昌澄
- 第一節 問題提起
- 第二節 調査方法
- 1 調査対象校
- 2 調査期日
- 3 調査内容
- 第三節 データの特徴
- 1 回答者の特徴
- 2 学習支援センターを設置している大学の現況
- 3 学習支援センター未設置の大学の現況
- 4 授業の状況に関する項目
- 5 教育・指導の困難さとの関係について
- 6 FDに関する項目
- 7 まとめと今後の展望について
- 第四章 学習支援のトータル・デザイン
- 第一節 学生相談のはざまで―大学での不適応とは /下坂 剛
- 1 大学は楽なところ?
- 2 大学教師は怠け者?
- 3 大学になじめないということ
- 4 障害をもつ学生たち
- 5 学生相談のむずかしさ
- 第二節 低学力という呪縛 /谷川 裕稔
- 1 「低学力」に付随する劣等感
- 2 「低学力」という構図〜「あきらめ」というエトス〜
- 3 教師に求められること
- 第三節 「読む」力・「書く」力 /谷川 裕稔
- 1 到達目標レベル〜「読む」力・「書く」力〜
- 2 文章作成力(技術)の向上を目指す授業実践
- 第四節 カレッジ・リテラシー /谷川 裕稔
- 1 全入時代を迎えている大学・短大の「学力」観
- 2 リテラシー(識字:literacy)とは
- 3 「カレッジ・リテラシー」とは
- 4 大学・短大の基本理念としての「カレッジ・リテラシー」
- 5 トータル・プロデュースとしての「カレッジ・リテラシー」
- 第五節 学習支援のトータルなプロデュースにむけて /山口 昌澄
- 1 すべては「学習支援」のために
- 2 「学習支援をトータル・プロデュースする」とは
- 3 「学習支援」の方向性について
- 4 全学的な「学習支援」への取り組み
- 引用・参考文献一覧
- おわりに /谷川 裕稔
はじめに
まず、本書の題名に掲げられている「プロデュース」という言葉についてふれてみたいと思います。本書でいう「プロデュース」は、一般的に知られている「芸能活動や作品を企画・制作する」という意味で想定されています。とはいっても舞台は「大学教育」なのですから、芸能活動や作品がその対象ではありません。私たちがプロデュースする対象は「大学生の学習活動」ということになります。
プロデューサーは大学および教師です。しかし、主役はあくまで「学生本人」と「学習活動」です。つまり「素材」がなければ何もはじまらないのです。プロデュースとは、素材をより魅力的なものに引き立てるために、どのようなお膳立てが必要なのか腐心する仕事といえます。
学生を「素材」と見立てたり、「お膳立て」などといった言葉を聞くと、個人の存在を無視した傲慢なイメージをもたれる方もいるかもしれません。しかし、くり返しますが、「主役」は、あくまで学生本人とその学習活動です。私たち大学・教師は、「学習支援」というかたちで主役を盛り立てていく役割を担います。
次に、「大学のユニバーサル化」と「大学教育」ということについて考えてみたいと思います。最近では、書店で「大学教育」や「高等教育」などと銘打った書籍を見かける機会も増えたように思います。ですが、そこで取り上げられているのは、比較的学力レベルの高い、いわゆる「高偏差値」とか「受験難関」といわれる大学がほとんどです。もちろん、こんにちの大学教育や大学生が抱える問題の多くは「学力レベル」といった瑣末な事項を越えた、普遍的な広がりをもったものでしょう。しかし、本書がまず問題とし、多くの大学(地方の私立大学・短期大学)が取り組んでいる学習活動においては、「学生の学力レベル」という問題に真摯に、そして細やかな配慮をもって向き合う必要があります。書店に並ぶ書籍に書かれている「学生の悩み」や「大学教育の実情」には、頷かされる点や学ぶ点も多いのですが、読後に何ともいえない違和感(ズレの感覚)が残ります。最後には、「所詮、ここで書かれていることはエリーティズムに過ぎないのではないか……」などと悪態をついてしまう始末です。
こんにち多くの大学が共有する学習活動に関する問題群は、足りない部分を補習すれば、とか、勉強する意味づけがなされればよろしい、といった単純な解決を求めていません。例えば、「授業場面」ひとつとっても、学生による「授業開始の時刻にきちんと教室へ入る」「一定の時間私語や内職などせず、授業に集中する」そして教師には「学生に伝わる言葉づかいを心がける」「授業の適切なレベル設定をおこなう」といった条件が重なってようやく成立するのです。つまり、授業や学習の前段階として、様々なはたらきかけや取り組みが必要となります。そこ(=教育現場)には、現代のしつけのなさや、大学生の学力低下を嘆いたり、「おもしろい」授業をじっくり組み立てたりするような余裕などありません。「トータル・プロデュース」という言葉には、学習活動が成立するための条件をなるべく幅広く整えていこうという意図がこめられています。さらに「学生の学習活動を成立させる」という現実的な要請に対して、現実的に対処するにはどうしたら良いのかといった「生産的(=プロダクティヴ)」という意味合いも含まれています。
世の中のプロデュース活動を眺めてみますと、本人や作品よりも、プロデューサーの方が目立ってしまうこともあるようです。ですが、私たちは「プロデュース」という言葉をあえて使います。そうすることによって、自らを戒め、全うすべき役割にいっそう自覚的になろうとしているのです。
それでは、本書について簡単な案内をしたいと思います。
まず第一章では、本書の大きなテーマでもある「学習支援」が、国内外の教育実践においてどのように取り組まれてきたのかについて紹介しています。少し専門的な内容になるかもしれませんが、本書の問題意識の基盤となる重要な箇所です。
次に、第二章では、大学生の学習活動をおこなう主な舞台となる「授業場面」について論じています。大学生が授業を受けるということや、大学で授業がおこなわれるということについて、あらためて考えてみました。そうした視点から、「大学で授業が成立すること」とはどのようなことなのかを実践例なども交えながら議論していきます。この第二章は、比較的とっつきやすい箇所かもしれません。
さらに第三章では、全国一〇八の私立大学・短期大学における学習支援の状況について、筆者らが実施したアンケート調査から報告をおこなっています。現在の「学習支援」をめぐる動向を探る上でも貴重な資料といえます。
最後に第四章では、学習支援をトータルにデザインする上で重要なポイントについてふれています。「学習支援」というと、主に授業場面のサポートやケアというイメージがあります。しかし、「学生の学び」はそれ以外にも様々な要因から影響をうけます。そうした側面もトータルに支援(=プロデュース)することにより、真の意味で「学習支援」は成立するのではないか、といった問題提起もおこなっています。
本書はどの箇所から読んでいただいても構わないよう、本文中になるべく詳しい注釈をつけています。読者の皆さんが、今の大学がおかれている状況や、そこにいる大学教師・大学生のあり方にふれていただくきっかけになれば、と思います。
それでは、『学習支援を「トータル・プロデュース」する』のはじまりです。
二〇〇五年五月 /山口 昌澄
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- 明治図書