- はじめに (別れの場面)
- 第T章 指導の原則
- 1 10の指導方針
- @理解できない子/A10の指導方針/B理解しようとするな
- 2 ほめられることが嬉しくない子
- 3 行動を教え込む
- @逐一行動を教え込め/A危険なことを止める/B友達への暴力をなくさせる/C他人のものを確認する/D放課後のいたずら
- 4 薬を飲ませる
- 5 3つの対応
- @DAMP症候群/A7の指導方針/B行動を3つに分け,3つの対応をする/C医療面からのポイント
- 第U章 教室にいられるようにする
- 1 方針に沿った指導
- 2 活動の記録
- 第V章 到達点と具体的指導
- 1 算数の到達点と具体的指導
- @計算スキルの発表/A算数の授業で気をつけたこと/B2年生の最後の算数テストと具体的指導/Cフィードバックする/Dはじめてテストを解く
- 2 国語の到達点と具体的指導
- @読み/A書き/Bはじめて間違えた漢字を直す
- 3 対人関係の到達点と具体的指導
- @到達点/A暴力の指導/B教師の姿勢と逆転現象
- 4 最後の失敗
- @無理をさせる/A目の下の大きな隈/B家庭訪問
- 5 掃除・行事・片付け・その他
- 第W章 医療と連携する
- 1 医療が子どもを救う
- 2 教師が見落としがちな臨界期
- 第X章 家庭と連携する
- 1 医療へ繋げる
- 2 親の愛の偉大さ
はじめに
(別れの場面)
「宮川先生,どうして行っちゃうの?」
良男くんが,宮川先生を探してやってきた。離任式のあと,宮川先生は最後の学級指導のために教室に向かっていた。
「みや川先生,どうしていっちゃうの?」
「せんせい,どうしていっちゃうの……。」
「せんせい,どうしていっちゃうの……。」
泣きながら,頼りなく歩いてくる。目がうつろである。
「どうしていっちゃうの?」
「みやがわせんせい,どうして……いっちゃうの。」
「せんせい……どうして……いっちゃうの。」
……。
宮川先生は,抱きしめるしかできなかった。
膝をつき,ただ抱きしめた。頭を撫でた。
「せんせい,どうして いっちゃうの……。」
「どうして……。」
胸の中でも,同じ言葉を繰り返した。
「どうしていっちゃうの?」
「もう,よっちゃん,お利口だから。先生いなくても,もう1人でも大丈夫だから。もう,先生がいなくても大丈夫だから。だから,先生,この学校からお別れできるの。」
宮川先生の目から涙が溢れ出した。声とともに溢れ出した。
「どうして,いっちゃうの……。」
宮川先生は,良男くんの手を取って教室へ向かった。
「みんな待っているから,教室行こう。」
「どうして,いっちゃうの……。」
……。これが,宮川正男氏と良男くんの別れの場面であった。
宮川氏のクラスの良男くん。DAMP症候群の診断を受けた子である。
DAMP症候群とは,アスペルガー症候群とADHDが,重なりあったような障害である。 ドクターによってはアスペルガー症候群と診断し,ドクターによってはADHDと診断する。
入学当初は,指導が通じなかった。言葉はわかっているのか? 何を考えているのか? 理解しようとすればするほど,おかしくなるようだった。そう宮川氏は懐述する。
お別れの日の夜の送別会,学校長から保護者の話が紹介された。
校長室に,2年間の御礼に来た時のものだった。
同じ人間が,2年間でここまで変わるということに驚いている。
この日の卒業式では他の子よりも「お利口」に過ごした。席にきちんと座り,周りの子に手を出すどころか,声もかけなかった。
卒業式の練習では,周りの子に何かやりはじめた。他のクラスでも話したり,何かやったりしていた子がたくさんいた。指導する教師の話が長く,またわかりにくかった。そんな中で,良男くんも周りの子に何かやりはじめた。クラスの温厚な子はいいが,隣のクラスの神経質な子の椅子を動かしたり,頭を撫でたりした。この段階で,宮川氏は良男くんの近くに行った。良男くんは背が一番低いから,横に歩いて近づいた。ニッコリ目を見合った。2・3回行った。それだけで,前を向いて大人しくなった。
それから,宮川氏は良男くんの視界に入る位置に移って座った。良男くんは,たびたび宮川氏のほうを見た。顔を見て,にっこりして,また前を向いた。歌の練習がはじまると,しっかり歌った。
再び,話の長い,まとまりのない説明の指導がはじまった。良男くんは小さく手を上げた。事前指導で,「具合悪くなったり,おトイレ行きたくなったら,小さく手を上げるんだよ」と言ってあった。
あと,1分で終わるという時だった。
でも,そんな見通しは,良男くんにはない。
良男くんは,疲れたので,気分転換にトイレに入った。1年生の頃はそうして,よく便器にトイレットペーパーなどを流そうとしていた。でも,「いけない」ということがひとつずつ身について,今は大人しくトイレで遊んでいた。
全校が退場したあと,良男くんを呼んだ。「はい」と返事して出てきた。手を繋いで一緒に教室に行った。
卒業式の練習のダラダラした長い指導は,耐えられずにいた。
しかし,卒業式本番では,とっても「お利口」にしていた。
離任式では,大声を上げて泣くと思われた。感情を人一倍にはっきりと表現する子であったからだ。1年前始業式の担任発表で,宮川氏の持ち上げの担任が決まった際,「やった。やった」と全校がわかるぐらい大声で喜んだ。跳ね回った。だから,この日も大声で泣くと思っていた。
でも,声に出さずにたくさんの涙を流していた。腕で拭っていた。全校で集まっても,完全に何処にいるかわからなくなった。そんな事でも,目立たなくなったのである。大声を出している1年生とは対照的だった。周りの子を見ながら,行動の仕方を覚えてきた。言葉ではわかりにくい。だけど,モデルとなる行動を見て,自分がどう動くかを覚えていった。腕で,涙を何度もぬぐっているのが目に入った。
そして,離任式のあと,教室を飛び出し,宮川氏を迎えにきた。
教室で帰って,クラス全体に次のように話した。
「よっちゃんがね。どうして,先生いっちゃうの? って言ってくれたんだけど,……それについてお話します。」
良男くん以外の子も,ほぼ全員泣いていた。式場とは違って,声を上げて泣いていた。机の上に突っ伏して泣き崩れている子もいた。
「みんな,このクラスはとっても良いクラスになりました。先生,日本一の2年生だと思う。だから,もう先生は必要ないと思う。
みんなに負けないくらい,先生も淋しい。悲しい。だけど,悲しい別れだからそのことで学べることがある。だから,随分前に,次の学校に行くことを自分で決めました……。」
良男くんは,まだ泣き続けていた。
「みや川先生,どうして,いっちゃうの。」
最後の願いを話している時に,もう1回だけ,同じ言葉が聞こえてきた。合計30回ほど聞いた同じ言葉だった。
話を終えた後,教室の後ろにみんなを集めて,抱きしめた。良男くんが輪の中心になった。時間になるまで,そうした。
学校から出る時には,いつもの良男くんに戻った。
クラス一人一人とジャンケンをしながら別れた。1人ずつ抱きしめて,一言御礼を言っていった。良男くんは最後から2番目だった。
教室から出て,他の先生の次のように言っていった。
「よしお,ないちゃった。」
いつもの笑顔で帰って行った。
私は,宮川氏を通して良男くんに出会った。サークルで報告を受けるたびに,同じ子がこのように変わるということに驚かされた。
良男くんから,さまざまなことを教えてもらった。医療との連携の大切さ,親の混乱と愛情,基本的方針の大切さ,そして,人間の可能性……。
本にまとめる依頼をもらった時,1番に良男くんのお母さんに相談した。宮川氏を通して,お母さんと出会った。素敵なお母さんだった。
「私達が苦しんでいた時と同じように苦しんでいる人のために,是非書いてください。」
そう励まされた。親の愛情の偉大さも,この子を通して初めて気づいた部分があった。
宮川氏が担任した4月と同じように,全国には悩んでいる教師がいるだろう。それ以上に,悩んでいるのは親御さんである。でも,それ以上に困っている人がいる。本人である。
宮川氏は言う。
「向山先生,横山先生に出会わなければ,良男くんだけでなく,自分もどうなっていたかわからない。」
私の力では,本にまとめることが難しいのであるが,多くの出会いに感謝し,つき動かされ,書き進めることにした。
この春,良男くんは立派な中学生となる。
2005年1月 /小松 裕明
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- 明治図書