教育の新課題4
特別支援教育であなたの学級経営を変えよう
インクルーシブ教育をめざす学校経営の中で

教育の新課題4特別支援教育であなたの学級経営を変えようインクルーシブ教育をめざす学校経営の中で

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発達障害児を中心に据えた学級経営へパラダイムの転換を

あなたも、特別支援教育をベースにした学級経営に取り組まれてはどうだろう。自律する力や生活する力に弱さのある現代っ子に社会自立の力を段階的に獲得させるには、発達障害児を中心に据えた開かれた学級経営こそが有効である。


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ISBN:
978-4-18-055436-2
ジャンル:
特別支援教育
刊行:
対象:
幼・小・中
仕様:
A5判 168頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

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まえがき
序章 なぜいま学級経営の見直しなのか
―問題提起―
1 現代っ子に見られる育ちの弱さ
2 段階的,継続的な支援
3 経営戦略を持つ
第1章 インクルーシブ(共生)教育をめざす学級経営
1 特別支援教育の推進段階とインクルーシブ(共生)教育がめざすもの
2 支援レベルをもとにした学級経営
3 どの子もが充足できる学級経営
4 認め合い,支え合うために
第2章 私の学級経営理念
1 ぶつかりながら学んだこと―これまでの学級経営をふり返る―
2 かけがえのないいまを生きている―インクルーシブ(共生)社会の実現をめざす―
3 わびる教育
第3章 学級経営のマネジメント
1 旗を立てる
2 学級経営案を吟味する
3 はじめから完璧を求めない
第4章 学級経営での子ども理解
1 気になる子,気にしなければならない子
2 ふれ合うことを通して子ども理解を深める
3 治療的接近
第5章 社会自立をめざす学級経営
1 トランジッション・プログラム
2 特別活動領域等で取り上げる
3 ボランティア活動を柱に
第6章 発達を促す学級経営
1 第1期の学級経営
(就学前の2年間から小学校1年生の段階)
2 第2期の学級経営
(小学校2年生から小学校4年生の段階)
3 第3期の学級経営
(小学校5年生から中学校1年生の段階)
4 第4期の学級経営
(中学校2年生から高校生の段階)
第7章 生活の場としての学級
1 日々のふれ合いの中で
2 学級風土づくり
3 質の高い集団に
第8章 学校経営の中で
1 大きな支援システムの中で
2 学校教育課題として
3 特別支援教育の推進モデル
第9章 保護者との協働
1 保護者との関係構築
2 家庭での指導
3 その他に留意すべきこと
終章 経営をモニターする
1 学級経営についての自己チェックリスト
2 コンサルテーションの活かし方
3 校内のリソースをつくりだす
4 緊急時対応のマニュアル化
あとがき

まえがき

あと二月の辛抱

 こんなことばをつぶやいた人がいた。あと二月すれば学年末を迎える。この嫌な学級から開放されると言うのである。その人が担任する6年生の学級を参観した。指示は通らず,子どもたちは勝手なことをしている。立ち歩く子もいる。教室内は騒然,どのように収拾していったらよいのか。担任は大声で制止しようとするが,一向に治まらない。担任が投げ出したくなって,「あと二月の辛抱」とつぶやいたのも,もっともと思える状況であった。

 この場面を立て直す処方箋がすぐさま出せるものではなかったが,「あなたにとってあと二月なら,この子どもたちにとってもあと二月なのですね」と語りかけていった。「あなたが投げ出したい,あと二月の辛抱と思っているのを,子どもたちはどのように思っているのでしょうね」とことばを続けると,その方の表情がふっと翳った。

 この先生をここまで追い詰めるまでに,なにか手が打てなかったのか。いろいろやったのだが,うまくいかなかったというのなら,なぜうまくいかなかったのか。そんなことをじっくりと語り合っていった。


同席対面五百生(1)

 私の教職生活は,このことばと共に始まった。教育実習を受けた小学校の校長先生が,禅宗のお坊さんから聞いた話として語ってくれた。

 「いま,この地球上には50億とも60億ともいわれる人間が生きている。その人間の中からほんの一握りの者が,師弟の関係を結ぶのである。なんとも不思議な縁ではないか。おそらく五百回生まれ変わってこないことにはめぐり合えない縁ではなかろうか。これから教職につく諸君は先生と呼ばれ,教え子ができる。その教え子には保護者がいる。そんな関係の中で過ごすのである。ゆめゆめこの縁を疎かにしないでほしい」

 こう説いてくださったのである。

 若い頃の私は,このことばをじっくりと味わえるだけの実践をしてこなかった。怒り狂って子どもに八つ当たりし,なんというなさけない自分かと反省するとき,このことばがふっと頭をよぎった。その頃の教え子たちは,4年に一度のオリンピックイヤーには必ず同級会を開いてくれる。小学生時代を語る還暦を過ぎた彼ら彼女らは,わたしの未熟なふるまいをおおらかに赦していてくれる。穴があったら入りたくなるような恥ずかしい内容ばかりであるのに,「先生」と慕ってくれるのである。

 「あと二月の辛抱」と言った先の担任に,この話をした。不思議な縁で結ばれているこの子どもたちとの関係に涙をこぼしながら聞いてくれた。

 「あと二月あるのですね。どんな絆を作って卒業を迎えるか」と私の顔をしっかりと見つめてくれた。


だれもが胸をはれる

 ある共同作業所での見聞である。知的障害や身体障害のある7人の方が車座になって流れ作業をしていた。4p×6pの大きさに切りとられているスーツの生地見本を白い台紙の上に12個ずつ貼り付けるのである。はじめの人が台紙の上に4枚の生地見本を貼り付けて,次の人に渡す。この人は3枚だけを貼り付け次の人に渡す。3番目の人は2枚だけを貼る。そして,4番目の人は,1枚だけを貼るというように順番に回っていく。台紙の上にはだんだんと生地見本の数が増えていく。6番目の人で台紙1枚への貼り付けが完了した。

 では,最後の人はなにをするのだろうか。

 その人は,手元に回ってきた台紙をじっと眺め,ふっと息を吹きかけて埃を払う。やり終えると,「合格です」とみんなに告げている。彼の両手には麻痺があって,生地見本を貼る作業はできない。そんな事情があって,この役割を受け持っているようだ。みんな和気藹々と作業を進めているのであるが,私の見るところでは,彼が一番張り切っている。自分が合格と判定しない限り,この作業は完結しないとの自負がそのようにさせているようだ。

 学級経営ということばを聞くと,私はこの光景を思い出す。突拍子もない連想と言われるかもしれない。しかし,私には,この場こそが集団のあるべき姿だと映るのである。ここでは能力に違いがあっても,それぞれの人が自分の力を精一杯出し切っている。そして,能力差に対する優越感や卑下が少しも見られない。だれもが胸をはって生きている。この集団はお互いに助け合い,全体としてちゃんと調和が保たれているではないか。


自由な自己決定

 もう一つの連想。家庭事情から両親の元にいることができない子どもたちの養育を担っている児童福祉施設の話である。

 この学園では,毎年の夏休み,子どもが立てた計画による体験活動を班別で行っている。ある班は瀬戸内海の無人島へ出かけ,一週間の自炊生活をする。別の班は下北半島への自転車旅行を一月かけて行う。また別の班は……というふうに4月から計画は練り上げられていく。園長さんは,「両親に捨てられたのも同然のこの子らには,故郷がない。この事業は,大変な労力が必要だし,お金もかかるけれど,この子らの故郷創造なのだ」と説明してくれた。

 子どもたちは,確かに生き生きとしている。それぞれの夢を膨らましている。しかし,心が前向きになっていない子もいて,躍動するみんなの渦に入れない子もいる。では,この子どもはどうするのだろうか。園長さんは,「夏休み,どこへも行かないという選択肢もあるのだ」という。

 なんというおおらかさだろう。決められた枠に当てはめようと必死になっていた私にはショックだった。学級経営にも,このようなおおらかな選択がいるのではないか。自己決定の場は,徹底して守らなければならないのである。


一座建立

 作家の井上靖さんに「一座建立」というエッセイがある。世阿弥が『風姿花伝』の中で言ったことばだとか。一期一会が成り立つのは,その場に居合わせた者が,お互いに相手を尊敬し,心を合わせて高い時間を共有しようとの気持ちがあって,はじめて生み出されるものである。これが一座建立なのだという意味のことを書いている。

 あと二月ある。どんな一座建立ができるかわからないが,卒業までにできることを精一杯やってみたいと先の担任は顔を輝かせた。

 ○卒業記念づくりに取り組む。お互いが張り切れる場にしたい。鍛えられる場でもありたい。

 ○認め合い,しつけられる場にもしたい。

 ○そのためには和やかであることが必須の条件ではないか。

 ○子どもたちの自己決定に委ねよう。

 ○小さなことでもよい,お互いが認め合い,それぞれが胸をはって自負できることをやり終えよう。

 このような方針が見えてきた頃には,この担任はすっかり明るさを取り戻していた。


ずっと心に残っているもの

 私の小学校時代の思い出である。5年生の遠足で家棟川に行った。お弁当を食べた後,砂の中に隠れている砂蜘蛛を見つけて遊んだ。指で押さえるとパチンと音を立ててお腹の皮がはじけるのが面白く,クラスのほとんどの子がこれをやっていた。何匹も何匹も砂蜘蛛を殺して遊んだのである。

 担任のF先生は,私たちを車座に座らせ,「蜘蛛の糸」(2)の話をして下さった。いままさに蜘蛛を殺し続けていたのであるから,ものすごいショックであった。ああ,私たちは地獄に落ちっぱなし,カンダタのように助けてくれる蜘蛛は一匹もいないのだと。

 学級での教師と教え子との間には,こんな「いのち」をめぐる働きかけがあるのだ。ただ今だけのことではない。ずっと思い出に残り,そのときそのときの自分を支えてくれるものでもある。そんなふうに子どもとの関係が結べる学級でありたいと願うものである。

 卒業まであと二月ある。この担任と子どもたちは,心に残るどんな思い出を紡いでいってくれるだろうか。

 本書では,学級経営のありようを考察するのであるが,これらの体験をもとに書き進めたいと考えている。

 特別支援教育の推進は文部科学省が力瘤を入れている割には,学校現場での取り組みは深まっていない。それぞれの学校で特別支援教育が着実に行われるためには,どうすべきか。教職を退いた17年間,巡回相談等でこの教育にかかわらせてもらった者として,インクルーシブ(共生)教育にきちんとシフトした学校経営のあり方を第1弾としてとり上げた(3)。第2弾では,授業力をどのように鍛えるかを考察した(4)。いよいよ実践の基本単位である学級経営の進め方を見つめようとしている。

 いまの学校では,子どもとの関係,保護者との関係,教員相互の関係がきしんでいる。精神疾患で休職する教員が増えているのである(5)。まじめに取り組もうとする教員ほど,現実のギャップに打ちのめされる。かっかするほど,子どもに馬鹿にされる。いまの教員は大変だ。以前の私なら教職を継続することができなかったのではないか。

 本書ではこのような事情を踏まえ,現場教員に対する応援メッセージを出し続けたいと願っている。本書の全体構造を示しておこう。

(図省略)


 まず序章で「なぜいま学級経営の見直しなのか」と問題提起をし,第1章では「インクルーシブ教育がめざす学級経営」を概観する。第2章・第3章では経営理念と経営マネジメントを取り上げ,私の考える学級経営の柱立てをする。続いて第4章では「子ども理解」の重要性を見つめる。これをもとに第5章・第6章では「社会自立をめざす」ために,各段階ではどのように「発達を促す」か,学級経営の具体方法を取り上げる。第7章では「生活の場としての学級」のあるべき方向を探っていく。第8章では学校経営との関係を,第9章では保護者との関係を考察する。終章では「経営をモニターする」を取り上げた。全体を通してインクルーシブの将来を展望することを意図した。

 大方のご批正をお願いする次第である。


  平成22年11月   /北脇 三知也


〈注〉

(1)同席対面五百生,聞法因縁五百章:仏陀のことばと言われている。

(2)蜘蛛の糸:芥川龍之介の小説「地獄に落とされたカンダタを天上からご覧になったお釈迦様は,カンダタの唯一の善行(踏み殺そうとした蜘蛛を見逃してやったこと)をめでて,地獄から救い出してやろうと蜘蛛の糸を垂らした。カンダタは,天上に向けて必死にその細い糸を昇る。しかし,中腹ほどまで昇ったところで,他の罪人たちが次から次に昇ってくるのに気づき,罪人たちに向かって「下りろ」と叫ぶ。その途端,蜘蛛の糸がカンダタのぶら下がっているところから切れてしまい,カンダタは地獄へと舞い戻った」

(3)北脇三知也著『特別支援教育であなたの学校を変えよう』(2009,明治図書)

(4)北脇三知也著『特別支援教育であなたの授業を変えよう』(2010,明治図書)

(5)心病む先生:毎日新聞2010年1月11日では,08年度で5400人に上り,16年連続で増加していると報じている。

著者紹介

北脇 三知也(きたわき みちや)著書を検索»

特別支援教育士スーパーバイザー(sens-sv 05-028)

SENS名誉会員(第15号)

現在,SENSの会滋賀支部代表・滋賀LD教育研究会顧問

1955年,滋賀大学学芸学部を終え,滋賀県公立小・中学校に勤務。滋賀大学教育学部附属養護学校副校長,滋賀県教育委員会学校教育課専門員(障害児教育担当)を経て,栗東市立治田小学校長に就任。1993年,栗東市立葉山中学校長を最後に退職。その後,非常勤講師として,仏教大学・滋賀大学・京都外国語大学等で障害児教育や障害児福祉の講座を担当した。

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
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      明治図書

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