- はじめに
- 第T章 理論編 ほんものの「自己肯定感」とは
- 1 ほんものの「自己肯定感」とは?
- 2 「浅い自己肯定感」と「深い自己肯定感」
- 3 「自己肯定感」と類似の様々な概念
- ――「自尊感情」「自己有用感」「自己効力感」など――
- 第U章 実践編 ほんものの「自己肯定感」を育てる道徳授業
- 低学年の実践
- @ 『こいぬのうんち』で,「だれの役にも立てない存在なんてない」(無条件の自己肯定感)を学ぶ道徳授業
- A こころがポカポカあたたかくなる「ハート形ワークシート」を活用した授業
- B 「親や先生に受け入れてほしい自分」を感じる,あたたかい授業
- C 国語や学活とつなげて「やればできる」という自信を育てる授業
- D 「私はこのクラスで受け入れられている」という「安心感」を育てる授業
- 中学年の実践
- @ 「おなか」で自分を感じてみる,ホリスティックワークを取り入れた授業
- A 「わたしのトップ3」トークによって,自分のよさに気づく授業
- B 「つかみ」も「しめ」もビシッときめる,子どもの「良心」に訴える名人の授業
- ――“良心”にしたがって生きることから――
- C 「だいじょうぶ」の言葉がもつ力で,子どもの自信を育てる道徳授業
- D 「意思決定」の力を育てる道徳学習
- 高学年の実践
- @ 川柳と友達からのメッセージで,「私の成長」「クラスの成長」を実感できる授業
- A 「Tomorrowダイアリー」で,自分を見つめ続け,高め続ける気持ちを育てる授業
- B 校外宿泊生活での「保護者からの手紙」で,自己肯定感を育てる授業
- C 個人と集団の高まりを大切にし,多角的な視点から自己肯定感を育成する道徳教育プログラム
- ――『わたしのいもうと』による「いじめを許さない」授業――
- D 「ヤコブの生き方」を通して,「自分自身の生き方」を見つめる授業
- ――「カーテンの向こう」を使って――
はじめに
今,学校教育の様々な分野において「自己肯定感」を育てることの必要性が指摘されています。
道徳教育においても,生徒指導においても,教育相談・カウンセリングにおいても,キャリア教育においても……子どもたちの「こころ」がかかわるどの領域においても,「自己肯定感」,すなわち,「自分自身の存在を深く肯定する気持ち」を育てる必要性が指摘されているのです。
実際,全国の多くの学校で「自己肯定感」を育てることを研究テーマにした取り組みがさかんに行われています。
なぜでしょうか。
なぜいま,「自己肯定感」がこれほど注目されているのでしょうか。
その一つの原因は,「子どもたちの見せる姿の変化」にあると思います。
キレル子ども。
がまんできない子ども。
集中できない子ども。
粘り強さのない子ども。
不登校の子。
いじめる子。いじめられる子。
こうした子どもたちのこころの問題に共通しているのが,「自己肯定感」の低さだからです。
「自己肯定感」の低い子は,いざというとき,ふんばることができません。
「自己肯定感」の低い子は,いざというとき,エネルギーを出すことができません。
したがって,「自己肯定感」の有無は,子どもたちの生活面の様々な問題に影響を及ぼします。もちろん,学力にも多大な影響を及ぼします。
だからこそ今,「自己肯定感」の育成が求められているのです。
読者の中には,「自己肯定感」とともに,「自尊感情(セルフエスティーム)」という言葉をご存知の方もおられるでしょう。
私の考えでは,「自尊感情(セルフエスティーム)」は,「自己肯定感の一つの側面」,認知的側面です。
学校で,よく行われているアンケート調査に,「自分には,いいところがありますか」「自分のことが好きですか」といった項目があります。
この「自分にはいいところがある」「自分は自分のことが好きだ」といった「自己認識」が「自尊感情(セルフエスティーム)」です。認知的な側面だからこそ,アンケート調査で調べることができるのです。
「自己肯定感」は,こうした認知的側面に加え,他者や社会とのつながりの側面(自己有用感)なども含みこんだ,より広く,そしてより深く,より実存的な次元にまで及ぶ全人格的な概念です。
例えば,次のような声をあげる子どもたちがいます。
「私は自分のことを好きになれません。いいところなんて,一つもないし……」
「こんなぼくなんて,いてもいなくても同じだ」
「ぜんぶどうなってもいいんだ。ぼくのバカバカバカ……」
そう叫ぶ子どもたちがどの学校にもいるでしょう。
こんな子どもたちの「こころの闇の部分」にまでかかわり,そうした「こころの闇」や「暗い衝動」までも,自分の大切な一部として受け止めていく……。
それが「ほんものの自己肯定感」です。
子どもたちのこころの様々な問題が指摘される今,この「ほんものの自己肯定感」を育てることこそが,求められているのです。
本書は,『人間を超えたものへの「畏敬の念」の道徳授業』,『生と死を見つめる「いのち」の道徳授業』(いずれも,明治図書)に続く,シリーズ第三作目です。
本書の小学校編と中学校編をお読みいただければ分かるように,自分の「こころの闇」や「暗い衝動」までも,自分の大切な一部として受け止めていく,そうした「ほんものの自己肯定感」を育てるには,「自分自身を肯定的に理解し大切にする気持ち」(自尊感情)や「自分は人や集団の役に立てるんだという気持ち」(自己有用感)を超えて,「大いなるいのちとのつながりの感覚」や「人間を超えたものへの畏敬の念」の育成が不可欠になってきます。
後で示すように,「ほんものの自己肯定感」が育っていくには,「醜いところも,汚いところもぼくにはあるけれど,そんなぼくでも,存在していていいんだ」という「深い自己受容」=「自分自身への赦しの感覚」が必要になってきます。
ほんものの自己肯定,「何があってもだいじょうぶ」という絶対的な自己肯定とは,善悪を超えた次元ではじめて,成り立ちうるものなのです。
したがって,こうした「ほんものの自己肯定感」が成り立ちうるには,「大いなるいのちとのつながりの感覚」や「人間を超えたものへの畏敬の念」の育成が不可欠になってくるのです。
本書『ほんものの「自己肯定感」を育てる道徳授業』を読まれた方には,ぜひ,あわせてシリーズの前の二冊,『人間を超えたものへの「畏敬の念」の道徳授業』,『生と死を見つめる「いのち」の道徳授業』もお読みいただけると,幸いです。さらに深い学びが可能となることでしょう。
本書を手に取っていただいた先生方の学校の子どもたちのこころに「ほんものの自己肯定感」がじわーっと育っていくことを祈っています。
2011年5月28日 明治大学文学部教授 /諸富 祥彦
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