- はじめに
- 1章 総合的な学習をめぐる俗説を斬る
- 1 英語教育・コンピュータ教育をやればよい?
- 2 例示された課題は必ずやらなければならない?
- 3 教師は後方支援に徹すべきである?
- 4 総合的な学習の時間の導入は学力低下を招く?
- 5 総合的な学習の時間はやがてなくなる?
- 2章 未来社会に生きる力を育てる
- 1 生涯学習時代に生きる力を育てる
- 2 リカレント時代に生きる力を育てる
- 3 暮らしと学びのリカレント
- 4 今の子どもに何が欠けているか
- 3章 アメリカ・チャータースクールで見てきたこと
- 1 チャータースクールの概要
- 2 七つのチャータースクールと一つのアフタースクール
- 3 ニューカントリー・スクールの中学生たち
- 4 チャータースクールからの示唆
- 4章 テーマ探しから単元・カリキュラムづくりへ
- 1 博士か名人か
- 2 グループ化は必要条件ではない
- 3 素材と活動を結びつけてテーマを創る
- 4 「問題」はどのようにして生まれるか
- 5 体験的学習の生かし方
- 6 仮想体験の危うさ
- 7 単元からカリキュラムへ
- ワークショップ1
- 「人」から広がるカリキュラム構想
- 5章 地域で学ぶことの意味
- 1 “地域の達人”に学ぶ
- 2 多様で未加工の素材から学ぶ
- 3 社会的問題の特質
- 4 純粋培養から免疫療法へ
- 5 学社融合への一歩
- 6章 教師の支援をどうするか
- 1 「支援」の構図
- 2 教師の関与が求められるとき
- 3 ファシリテイターとしての教師
- 7章 評価をどうするか
- 1 自己評価能力への注目
- 2 自己評価を補完する他者からの評価
- 3 授業と評価の一体化を図る
- 4 どんな技法が有効か
- 5 子どもの成長を促す評価のストラテジー
- ワークショップ2
- 子どもの見取りから評価観点(規準)の作成へ
- 8章 総合的な学習は時間をかけて進化させる
- 1 タイムラグの存在
- 2 時間的経過と学校段階
- 3 進化をとらえる三つの視点
- 4 重心移動の速度
- 9章 カリキュラムメーカーになる
- 1 学習指導要領と教科書
- 2 目の前の子どもたちの切実な問題をとらえる
- 3 フレームとコンテンツ
- 4 特色ある教育の産み出し方
- 10章 条件としての教師の自立・成長
- 1 教師にとっての総合的な学習
- 2 総合的な学習を支える教師の力量
- 3 チャータースクールの教師たち
はじめに
いよいよ新教育課程の全面実施という時期になって,その目玉ともいうべき総合的な学習の時間が揺れている。学力低下論というネガティブキャンペーンに揺さぶられ,先の見えない不安によって一時ほどの熱が一気に冷めてしまった観がある。具体的には,伝統的な教科学習の進め方にちょっと手を加えたものであったり,英語教育が盛んに行われたり,学校行事の改良版であったり,あるいは「基礎・基本」の徹底に時間が費やされたり,など。
内容は学校に任されたのだから,何をやってもいいというのも筋論だが,この総合的な学習の時間はもっと大きな期待を背負って登場したはずではなかったか。学習指導要領に内容を示さないという画期的な措置は,特色ある学校創りのためであったし,その背後には子どもの学びをめぐる深刻な事態を改革しようとする熱意や総意があったはずである。にもかかわらず,伝統的な学校やカリキュラムの枠組みを少しも揺るがさず,案の定というべきか総合不要論まで登場する始末である。このままでは先細りになってしまうのではないかと大いに不安になる。
ちょっと待ってほしい。新しいことを始めようとするときには混乱がつきものだとはいうものの,この事態は相当深刻に受け止めなければならない。そして,新学習指導要領の告示に前後して,研究校の発表会に多くの教師たちが集ったあの熱気をもう一度取り戻さなければならない。この機を逃すと,学校再生の道のりは一層険しくなる。そんな切羽詰まった気持ちから,多くの良心的な実践者への熱いエールを届けたいと思う。
私が総合的な学習について考えるフィールドは,大きく三つある。
その1は,平成11年11月に立ち上げた千葉総合的学習研究会(略称:千総研)である。月例の研究会を中心に夏季には合宿も行う。いつも予定時間を超えて,熱気のある討論が繰り広げられる。支部を加えると百数十名の会員を擁し,現在,会の総力を結集して『総合的な学習の評価〜子どもが伸びる評価の実際〜』と題した小・中学校二部作を執筆中である。本書に続いて春には書店に並ぶ予定である。この会は,私の研究を支えてくれる重要なネットワークの一つである。
その2は,今期の学習指導要領改訂に先立つ教育課程審議会に参加(平成9年12月から)して以来の,約200回の講演や講義(聴衆推計延べ約3万人)と約150回に及ぶ校内研修会(立ち会った授業数約250)である。フットワークには少々自信がある。参加者の多くは具体事例を交えた話に熱心に耳を傾けてくださったし,校内研修会ではむしろ辛口の授業批評を歓迎する雰囲気もあった。本書には,そのエピソードを随所に織り込んだ。
その3は,現在,大学院で行っている授業『授業研究』である。学校教育臨床という専攻名で,主として現職の教員を対象とした大学院である。原則として夜間に開講するため,現職の教員が現職のまま入学してくるが,これに委託研究生(県派遣の長期研修生)や聴講生を加えた20数名で,総合的な学習の単元やカリキュラムの開発をワークを中心として展開している。教育相談やカウンセリングのプロパーを目指す院生たちだけに,子どもの現実に即した質の高いプランが続々と産み出されている。校内でこれだけのチームワークが構築できたらいいなと思う。
それぞれに特徴をもつこの三つのフィールドに身を置いている限り,総合的な学習の時間に対しては極めて明るい展望をもつことができる。しかし,一歩外に出てみると風は冷たく,その温度差に驚かされる。
そんな折,幸運にも平成13年5月末から6月にかけての1週間,アメリカで教育改革の切り札として注目を集めているチャータースクールの視察の機会を得た。なかでも,ミネソタ・ニューカントリースクールの実践には大いに勇気づけられた。子どもたちの輝きは,「この学校で学びたい者」と「この学校で教えたい者」の出会いを可能にしたチャータースクールの制度にあることは疑いないが,私には年間10個の課題追究を義務づける,いわばプロジェクト学習をコアにしたカリキュラムの成果であるようにも思えた。
チャータースクール実現のための制度的側面をフレームとすれば,カリキュラム開発はその中身としてのコンテンツに相当する。この両面が整わなければ新しい学校も教育も成り立たない。総合的な学習を充実させる努力は,いわばコンテンツの整備・充実としての意味をもっている。
本書は,チャータースクールのレポートも交えながら,わが国の教育改革の切り札としての総合的な学習の時間の充実・発展を願い,それを実現するための緊急提言である。本書を契機として,志を同じくする研究者や実践者とのネットワークが一層広がることを切に望んでいる。
なお,執筆にあたっては,これまでに行った講演の記録や執筆した論文,雑誌などへの掲載原稿などを集めて再整理した。一部にそれらの内容との重なりもあるため,巻末に初出資料一覧を載せた。また,前作『総合的な学習へのアプローチ(全3巻)』に織り込んだスピリットは,本書にもそのまま引き継いだつもりでいる。併せてお目通しいただければ幸いである。
最後に,貴重な事例やデータを提供してくださった多くの関係各位と,チャータースクールの視察をコーディネイトしてくださったベネッセコーポレーションの水谷昌弘氏に,そしていつもながら執筆のための機会と勇気を与えてくださった明治図書の仁井田康義氏に,心から感謝申しあげます。
平成14年3月15日 /上杉 賢士
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- 明治図書