- まえがき
- Ⅰ どの子も集中! 三つの音読法
- 1 「完璧読み」で挑戦意欲を刺激する【高学年向き】
- 2 「まちがえ読み」で集中させる【低学年向き】
- 3 「ブザー読み」で集中させる
- Ⅱ 楽しくなければ授業じゃない? 何でもござれの漢字の授業
- 1 「漢字の歌」で漢字文化の授業【中学年・高学年向き】
- 2 授業参観には「シンクロナイズド空書き」【全学年・可】
- 3 熟語で遊ぼう・熟語作文の授業【高学年向き】
- Ⅲ 個別評定で大進歩! 感動のスピーチの授業
- 1 保護者を泣かせる「ありがとう」のスピーチ【全学年・可】
- 2 説得力のある「夢を語る」スピーチ【高学年向き】
- 3 スピーチを組み込んだ最後の授業参観のシナリオ
- Ⅳ 楽しみながら話す力を鍛える三つの授業【全学年・可】
- 1 なぞなぞ大会で話す力を鍛える
- 2 説明ゲームで話す力を鍛える【全学年・可】
- Ⅴ 俳句で分析批評の授業【中学年・高学年向き】
- 1 俳句は対比を教える絶好の教材
- 2 対比されているのは何?「日焼け顔 見合ひてうまし 氷水」の授業
- 3 青空か? 夕焼け空か?「赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり」の授業
- 4 ぞうりを手に持ったのはなぜ?
- 「夏河を こすうれしさよ 手にざうり」の授業
- 5 二つの句の比較から対比の効果が見えてくる
- 「静けさや 岩にしみいる せみの声」と「古池や かわずとびこむ 水の音」の授業
- 6 話者はどこを見ているか?
- 「スケートの ひもむすぶ間も はやりつつ」の授業
- Ⅵ 「さる・るるる」で言葉のおもしろさを発見させる【全学年・可】
- Ⅶ 変化のあるくり返しで全員集中「大きなかぶ」の授業【一年】
- Ⅷ パロディー作りで比喩表現
- Ⅸ 行動が「気持ち」を表現しているよ
- ~詩の授業~
- Ⅹ 話者は鬼? それとも隠れている子?
- ~やんちゃ坊主も熱中する詩の授業~
- ⅩⅠ 小さなことにくよくよするな
- ~元気が出る(?)詩の授業~
- ⅩⅡ 要約力を鍛える詩の授業
- ⅩⅢ 群読で楽しむ「きつつきの商売」
- ⅩⅣ 要約力を鍛える説明文の授業「一秒が一年をこわす」
- ⅩⅤ 三つ目のキーワードは「わらぐつ」か? 「雪げた」か?
- ~「わらぐつの中の神様」で要約力を鍛える~
- ⅩⅥ 転を問えば起も承も結も見えてくる
- ~「わらぐつの中の神様」で討論の授業~
まえがき
中学校での教育実習で、一時間の詩の授業をした。
「見えているものは何ですか? 全部言いなさい。」
「聞こえているものは何ですか? 全部言いなさい。」
今、思うと拡散的発問をしたわけである。生徒達はのってきた。拡散しっ放しで、まとまらずに終わってしまったのであるが、「授業って、おもしろい!」と思った初めての経験になった。
小学校での教育実習で、模範授業を観た。物語文の授業だった。おそろしく整然とした授業だった。しかし、子ども達は、ちっとも楽しそうではなかった。何人かの優等生が義務的に教師の問いに答えていた。
小学校の教師になった。校内研究のテーマは「思考力を育てる国語の授業」だった。研究授業を観た。ちっとも思考力が育っているようには見えなかった。教師が黒板に短冊を貼っては、「考えを整理」していた。子ども達の表情は、実につまらなさそうであった。
転任先の小学校でも、国語の研究をしていた。研究テーマは、「中心課題を設定して読ませる」という摩訶不思議なものだった。「中心課題をつかませる」という授業にはカブトガニの標本や梅干しが登場した。どう見ても理科や社会の授業にしか見えなかった。
そんな時、法則化に出会い、分析批評の授業を知った。「これだ!」と思った。わくわくしながら追試した。国語の時間が楽しくてたまらなくなった。
野口先生の模擬授業にも出会った。衝撃的なおもしろさだった。子ども役になると、発言したくてたまらなくなった。「こんな授業ができるようになりたい!」と思った。
向山先生の授業、野口先生の授業、法則化シリーズや法則化の講座で知った授業、それら珠玉の授業を知らなければ、この本に書いた授業は生まれなかったと断言できる。
「大きなかぶ」の授業での「次々にまちがえてみせる」方法は、向山先生が提唱する「変化のあるくり返し」を知らなければ生まれなかった。「さる・るるる」の授業は、野口先生の「うとてとこ」の授業を知らなければ生まれなかった。
「大きなかぶ」の授業も、「さる・るるる」の授業も、やんちゃ坊主達が熱中して食いついてくる。「体育と給食と休み時間にしか興味がない!」と言い切る、やんちゃ坊主達が熱中するのである。
授業を組み立てる上でこだわったものは、ただひとつ、「言葉」である。カブトガニの標本や梅干しは、いらない。吹き出しも、おしゃべりも、いらない。「言葉を検討」し、「言葉と格闘」する授業でこそ、やんちゃ坊主達は熱中し、頭を絞り、我先にとノートを見せにきた。パロディー作りなどの「言葉と遊ぶ」授業では、優等生達よりも、やんちゃ坊主達の方が圧倒的に優勢だった。やんちゃ坊主達が張り切る授業は、生き生きとして活気があった。
そんな「やんちゃ坊主も熱中する国語の授業」を集めたのが、本書である。この中のどれかひとつでも、あなたのお役に立てれば幸いである。
長い間変わらずに、女教師の強い見方であり続けて下さる樋口雅子編集長のおかげで、本書が世に出ることになった。心からの感謝を捧げたい。
二〇〇二年九月四日 /浅川 清
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- 明治図書