- はじめに
- 序 章 ある学級の崩壊と復活
- 第1章 学級経営の「かくれたカリキュラム」
- 1 散らかった教室
- 2 教師の身なりやふるまい
- 3 全校集会での教師の立ち位置
- 4 だらだらした朝の会
- 5 長くなりそうな帰りの会
- 6 子供とあだ名で呼び合う関係
- 7 発達障害の子の別室指導
- 8 当事者のどちらかだけの指導
- 9 長い説教
- 10 何度注意しても聞かない子への指導
- 11 保護者のマナー
- 第2章 授業場面の「かくれたカリキュラム」
- 1 「分かった人?」
- 2 挙手―指名方式
- 3 指名の仕方の揺れ
- 4 発問の言い直し
- 5 指名に答えない子への対応
- 6 勝手に発言する子への対応
- 7 忘れ物をした子への対応
- 8 いい加減な時間予告
- 9 未習漢字の扱い
- 10 シャーペン禁止の指導
- 11 改善されない雑な字
- 第3章 「かくれたカリキュラム」を「きくかけこ」で改善・強化
- 1 「き」 切り取る
- 2 「く」 比べる
- 3 「か」 書く
- 4 「け」 計画化する
- 5 「こ」 肯定する
- 第4章 より強く「かくれたカリキュラム」の改善と強化を!
- 1 教育の目的から考える「かくれたカリキュラム」
- 2 時代の変化から考える「かくれたカリキュラム」
- 3 子供の心理と「かくれたカリキュラム」
- 4 教師の価値観と「かくれたカリキュラム」
- 5 教育モデルと「かくれたカリキュラム」
- ◆織物モデルの着想 詩「こどもたち」(茨木のり子)
- 6 保護者等に語る「かくれたカリキュラム」
- ◆「かくれたカリキュラム」の研究を深める参考文献
- 第5章 行政官の目から見た「かくれたカリキュラム」
- 1 なぜ「かくれたカリキュラム」に注目するのか
- 2 基礎学力の保障を阻む「かくれたカリキュラム」
- 教室環境の乱れ
- 言語環境の乱れ―言語活動との関係
- 学習規律・生活規律の欠如
- 学校としての組織的な取り組みの欠如
- 教科書を適切に用いない授業
- 行事の精選の不徹底
- 忘れ物への適切な指導の不足
- 家庭学習との連携不足
- 個に応じた指導への配慮不足
- やみくもに考えさせる指導
- 子供の「分からない」の放置
- 「分からない」「できない」の行き先―自己肯定感の低下
- おわりに
はじめに
私が「かくれたカリキュラム」という言葉を知ったのは、宇佐美寛先生の『国語科授業批判』(明治図書、一九八六年)によってです。衝撃でした。
同書で宇佐美先生は、「一つの花」の発問を例に挙げて言われました。(一四九〜一五〇ページ)
「そんな時、お父さんはきまってゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。」(一つの花)この箇所について、「この時のお父さんの気持ちは、どんなだろうか。」という発問がある。「何とも言いようがない気持ちだ。」としか言いようがない。言葉で限定することなど出来ない複雑な気持ちなのである。だからこそ、何も言えず「めちゃくちゃに高い高い」したのである。「お父さん」の気持ちに共感していればいるほど、胸がせまって口に出す気にはなれないのである。(略)
国語の授業を通じて、子どもは「国語の時間での想像は教師の期待に合わせて行なうのだ。しかも、想像したという証拠を教師の気にいるような言葉で示さねばならないのだ。」ということを教わりつづけているわけである。これは、教師が意図も意識もせずに教えつづけている教育内容であり、いわゆる「かくれたカリキュラム」(hidden curriculum)である。
これを読んで以降、私は「登場人物は、どんな気持ちだろう」という発問ができなくなりました。そして、国語科だけでなく他教科や生活指導、生徒指導場面の「かくれたカリキュラム」を見つけ、改善しようと試みるようになりました。「教師が意図も意識もせずに教え続けている教育内容」は、私の教室の中に、そして私自身の中に、実にたくさんありました。
四十代になり、担任を外れてからは、学校体制や教職員集団の中にある「かくれたカリキュラム」の発見と改善に取り組みました。管理職となってからは、毎日全教室を巡り、担任の先生と共に「かくれたカリキュラム」の発見と改善に取り組んでいます。
「なんだか、子供たちが集中しないんですよね……。」
そんな相談を受けて、学級の様子や授業を見に行きます。先生は一生懸命にやっているのですが、たしかに子供たちが集中していません。よく見ていると、子供たちが集中できなくなるような「かくれたカリキュラム」が見えてきます。そこで、その先生と一緒に、「かくれたカリキュラム」に光を当てていきます。その先生にも「かくれたカリキュラム」が見えるようになると、もはや「かくれた」ではなくなり、実践の改善や強化が容易になります。また、自分の指導に自信や見通しが持て、同僚や後輩などに伝えることもできるようになります。
「かくれたカリキュラム」とは、うまく言ったもので、かくれているだけに、本人はなかなか気が付かないのです。そして、なぜか分からないままに、学級が荒れていきます。
逆に、意図していなくても学校や学級が自然によくなっていく「かくれたカリキュラム」もあります。例えば「その先生が子供たちの前に立っただけで子供たちが笑顔で集中する」とか、伝統的に最上学年の歌声が一番響く学校で、子供たちが「六年生のように歌いたい」と思っているなどです。子供たちも先生たちも、そして保護者も自然によくなっていくような「かくれたカリキュラム」をたくさん生み出すのが、今の私の課題です。
このように、若い頃から今に至るまで、「かくれたカリキュラム」はずっと私の実践改善の指針であり続けています。
本書の内容を説明します。
序章では、ある学級が荒れていく様子とその立て直しを描写し、「かくれたカリキュラム」の働きについて考えます。
第1章では学級経営の場面について、第2章では授業場面について、演習形式で理解を深めます。ただし、私が示した「解説」は、私の解釈や代案に過ぎません。読者の方がそれぞれ御自分の学級、そのときの状況に合わせて判断するための参考例として活用してください。
第3章では、「かくれたカリキュラム」改善・強化の五つの方法を提案します。
第4章では、「かくれたカリキュラム」への取り組みをより強力に進めるために、周辺的なことについて説明します。
第5章は、御縁をいただいた北海道教育庁 学校教育局次長の武藤久慶氏から寄稿いただきました。同じ北海道にあって、幾度か氏の講演を拝聴する機会に恵まれました。その中に、「かくれたカリキュラム」がありました。行政の立場にある方が、同じように「かくれたカリキュラム」に着目していることに驚きました。その後、氏と北海道教育委員会のプログラム開発事業で、ともに「かくれたカリキュラム」について研究を深めました。そして、その成果を道内の様々な場所で実施された初任者研修等の研修講座で広めてきました。このたび、本書を上梓するにあたり、私と異なる立場から書いていただけないかと打診したところ、快諾いただけました。この章により、管見がぐっと広がりました。
いつか「かくれたカリキュラム」に光を当てたものをまとめたいと考えておりましたところ、明治図書の杉浦美南さんに声をかけていただき、本書をまとめることができました。とてもうれしく思っています。ありがとうございます。
本書が、多くの方の参考になり、たくさんの教室の子供たちの笑顔に結びついたとしたらうれしいです。
では、御一緒に「かくれたカリキュラム」に光を当てていきましょう!
平成二十六年三月 書斎にて/横藤 雅人
追伸:
本書の印税は、全額を北海道児童養護施設協議会に寄付いたします。私が現在勤務している北広島市にも、前任地の札幌市にも児童養護施設があり、多数の児童・生徒がそこから近隣校に通学しています。それらの施設には、保護者のネグレクト等で苦しむ子供たちを何とかよくしようと、日夜奮闘している職員の皆様がいます。少しでも、職員の皆様を応援できれば、という点で両著者とも一致し、寄付させていただくこととしました。
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