- はじめに
- 序章 読者の皆様へ
- 第1章 なぜ議論の「すれ違い」が起こるのか?
- 「目的と手段」「原因と結果」などについての「論理的思考力」の不足が,議論の「すれ違い」を生んでいる
- 1 「目的」と「手段」を明確に区別できない不思議
- 2 「原因」と「結果」の関係を客観的に考えられない不思議
- 3 「具体的目標」の設定ができない不思議
- 4 イメージに流されて「実態」を正しく認識しようとしない不思議
- 5 「行われていること」と「その結果」をよく見ない不思議
- 6 「人を選べる立場」にある人が自分で選んだ結果にモンクを言う不思議
- 7 「マーケット」の意味が理解できない不思議
- 第2章 なぜ「一律」の議論しかできないのか?
- 「すべての子どもたちに必要なこと」と「それ以外のこと」を区別していないことが,「一律」の議論を生んでいる
- 8 「すべての子どもたちに必要なこと」を特定しようとしない不思議
- 9 「個性化・多様化」まで「一律」に推進しようとする不思議
- 10 「国にとって必要」と「子どもにとって必要」を区別しない不思議
- 11 「自分の周囲のこと」を「すべての子どもたち」に当てはめようとする不思議
- 12 世界に冠たる「結果平等主義」を安易に捨て去ろうとする不思議
- 13 「理科系離れ」の不思議
- 14 家庭教育に「やりすぎ」と「やらなさすぎ」が混在する不思議
- 第3章 なぜ「独善」に走る人が多いのか?
- 「自分」を基準にして「みんなが『同じ心』を持てるはずだ」と考えてしまう「同質性の信仰」が,「独善」を生んでいる
- 15 「ルール感覚」を持てない不思議
- 16 「ルール」と「モラル」を区別できない不思議
- 17 弁護士が依頼人に「道を説く」という不思議
- 18 「ルールに従った行動」「手続きを経たルールの変更」ということを嫌う不思議
- 19 「権限」と「責任」という発想ができない不思議
- 20 「契約」という発想ができない不思議
- 21 「アカウンタビリティー」を「説明責任」と誤訳する不思議
- 第4章 なぜ政策論議が「空回り」するのか?
- 「システム」を変えずに何でも「心」や「意識」だと言う「悪しき精神主義」が,議論の「空回り」を生んでいる
- 22 「心」や「意識」のせいにして「システム」を変えようとしない不思議
- 23 「心の教育」というスローガンが心の問題への対応を遅らせている不思議
- 24 「労働市場」の「構造改革」をしようとしない不思議
- 25 日本だけの特異な「大学入試」システムを変えようとしない不思議
- 26 あれを「高校」と呼ぶ不思議
- 27 何でも「〇〇教育」を「追加」して解決しようとする不思議
- 28 「国際理解教育」の不思議
- 第5章 なぜ「明確な方向性」を実現できないのか?
- 方向性を「選択」する勇気と「自ら行動する覚悟」の不足が,「方向性の欠如」を生んでいる
- 29 「戦略」という発想ができない不思議
- 30 「国全体」の「将来像」を現実的に「選択」しようとしない不思議
- 31 未だに「日本人は外国人よりも優れている」と思っている不思議
- 32 政府と「水戸黄門」を混同する不思議
- 33 教育内容については「シビリアン・コントロール」をしようとしない不思議
- 34 NGOが「出番」に気づいていない不思議
- 35 「国連」も水戸黄門と混同して「崇拝」する不思議
- おわりに
はじめに
本書は,過去二十年以上にわたり「教育改革」が叫ばれながら,日本の各界における「教育論議」の多くが「空回り」を続け,国・地方の政策や現場の実践を抜本的・具体的に変革するための道筋を作れずにいる状況について,その背景・原因を分析し,そのような状況を乗り越えるための「カギ」を示そうとしたものです。
筆者は,国際公務員として先進諸国間の比較研究事業に数年間従事するなど,教育・科学技術・文化・スポーツ・著作権などの各方面にわたり,種々の国際的な仕事をするチャンスに恵まれました。また,これまで2つの外国に住む機会を得るとともに,訪問・滞在した国の数も約80となり,諸外国の専門家や政府関係者と議論する機会も数多く得ることができました。
中でも「教育」という分野は,多くの国々において重要な政策課題とされていますが,他国における議論と比較すると,日本における様々な教育改革論議には,主張の内容,改革の方向性,背景にあるイデオロギーなどの差異に関わらず,また,議論の主体が誰かということ(学者・研究者,ジャーナリスト,政治家,教員,行政官,専門家など)とも関係なく,非常に多くの意見や議論に共通する「不可解な点」や「何か欠けたもの」があると,長い間感じ続けてきました。
筆者が専門とする分野は法律や教育ではなく,実は「地域研究・比較文化」などであるため,そうした比較文化的な観点から,こうした「不可解さ」の内容についてずっと考えてきましたが,最近に至って,それが
1 「目的・手段」や「原因・結果」に関する「論理的な思考」ができていないこと,
2 「すべての子どもたちに必要なこと」と「それ以外のこと」が区別されていないこと,
3 「みんなが同じ気持ちを共有できるはずだ」という幻想のために「ルール」や「契約」が軽視されていること,
4 「システム」の改革を軽視して何でも「心」や「意識」のせいにしていること,
5 進むべき方向についての「戦略的な選択」ができていないこと
という5点に集約できるのではないかという結論に至りました。
これらは,例えば第二次世界大戦における敗戦の原因なども含め,日本人がずっと以前から持ち続けてきた性向と関わっており,教育に限らずあらゆる分野について,日本人による「議論」「組織運営」「マネジメント」などということに関わる,本質的な問題と関係していると思われます。
本書の目的は,特定の考え方を普及することではなく,こうした本質的なポイントについて問題提起を行い,様々な教育論議が「かみ合う」状況を作り出すために,読者の方々にお考えいただくことにあります。今後の日本の教育や教育政策をどのような方向にもっていくべきかという考え方は,当然各人の自由であり,また,すべての人々が憲法に定められた民主的なルールに従ってその実現を目指す権利を持っていますが,そうした思考や行動をしていく上で,本書の「問題提起」や「整理」が少しでもお役に立つことを期待いたします。
なお本書の一部は,明治図書出版の『学校運営研究』誌において,「ピエール・リブロー」というペンネームで連載したものです。
著 者
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