- T 議論指導における反論の訓練の意義
- 一 まず反論の訓練から始めよ
- 1 反論ができれば十分である
- 2 反論の二つの型
- 3 無視されている反論の訓練
- 二 反論は議論の本質である
- 1 意見を述べるとは、反論すること
- 2 誰も反対しないことを主張させる現行の意見文指導
- 3 反論ができなければ、議論もできない
- 三 反論は真理を保証する
- 1 反論のための反論は正当な方法である
- 2 「違ったあり方も可能とするもの」
- 3 誰が詭弁を使えるか
- 四 反論は立論を強化する
- 1 自分の議論に反論する
- 2 対立する立場の意見をとりあげる
- 3 予想される反対意見を先回りする
- U 教師のための「反論」自修法
- 一 反論の手本は教師が示せ
- 二 トピカの方法
- 1 議論における「方法的制覇」
- 2 伝統的トピカの分類
- 3 自己流反論のトピカ
- V 反論の訓練
- 一 訓練を始める前に
- 1 私の訓練方法の基本方針
- 2 教材文選択の条件
- 二 基礎練習・型の習得(その一)
- 1 主張と根拠を確認する
- 2 反論を考える
- 3 型の提示と文章の作成
- 三 基礎練習・型の習得(その二)
- 1 複数の根拠に反論する型
- 2 主張と根拠を確認する
- 3 型の提示と文章の作成
- 四 相手の大前提を撃つ
- 1 典型的失敗例
- 2 隠された大前提
- 3 大前提に反論する
- 五 訓練のための教材文と反論例
- あとがきにかえて―議論・この嫌なもの
T 議論指導における反論の訓練の意義(冒頭)
一 まず反論の訓練から始めよ
1 反論ができれば十分である
議論の能力を短期間で効率よく向上させるにはどうすればよいか。私は修辞学(レトリック)の教師として、十年ほど大学その他で作文(議論文)や討論の指導をしてきたが、その経験からこの問いに対して自分なりの答えを出すとすれば次のようになる。「生徒の議論能力が低いのは、反論の技術が身についていないからである。議論の能力を効果的に高めるためには、表現指導(書き言葉、話し言葉とも)を、まず十分な反論の訓練から始める必要がある。」あるいはさらに大胆にこう言ってもいいだろう。「多忙な教育現場では、議論指導のために多くの時間を割く余裕はない。それならば反論の訓練だけをやればいい。議論の能力を高めるには、反論の技術を身につけるだけで十分である。少なくとも、学校教育に期待されている程度の成果なら、それで十分にあげることができる。」と。
この「独断」は、それ自身がまさに反論の対象になってしまうかもしれない。納得してもらうには多くの説明が必要であろうが、それは第二章以下に任せるとして、ここでは、私自身が採用している訓練方法の簡単な説明から入りたい。詳しくはV部で述べることになるが、まず適当な議論文を教材として生徒に与える。例えば次のような文章である。
「ミス・コンテスト批判に」 /木村 治美
私はミス・コンテストになんの興味も持っていないが、これらの開催に「人権の問題」として抗議する女性たちの運動を見聞きすると、なにか気になってたまらない。
正面からこの問題についていうなら、美しいものが美しいと評価されて、なぜいけないのかということだろう。「身長や顔かたちなど、自分の意思や努力でどうにもならないことに優劣をつけるのは、人権侵害です」というが、自分の意思や努力でどうにもならないことは、ほかにもたくさんある。知的能力や才能はすべてそうではないか。日本では平等思想がゆきわたりすぎたあまり、母親たちは過大な期待を抱き子供を塾に駆りたてる。努力によってある程度の進歩はあるかもしれないが、自分のからだを美しく保つにも、それなりの努力が必要なのと、五分五分ではないだろうか。
なによりも書きそえておきたいのは、応募する女性たちは、自分の意思で参加しているという事実だ。奴隷の品評会とは違う。彼女たちはこれをファッション・モデルや女優への登竜門とする場合だってあるだろう。廃止されたとき、彼女たちの「職業選択の自由」や人権はどうなるのか。「私は美人じゃないけれど、頭はいいのよ」という女性がいる。「私は勉強はからきしだめだけど、美人だわ」という女性がいる。差別撤廃論者として、どちらの女性に価値があり、どちらは価値がない、などといえるだろうか。それぞれに個性があるだけではないか。(1)
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- 明治図書
- 対話的な学びや深い学びを考える上で、改めて参考になった。2021/5/1420代・中学校教員
- 日本人が、相対的に苦手と捉えている反論を理論づけと体系づけにより真正面から学ぶことを目的として本書は、今後も高いニーズがあると考えます。2020/7/2650代・教育行政畑