- はじめに
- 1 学校の学び変革への要請と期待
- 1 「学びの転換」を求める社会的要請
- 2 どんな転換が期待されているのか
- 2 明治・大正・昭和初期の学校知・学習観
- 1 明治初期の教育改革と教育課程
- 2 復古的儒教主義の教育と授業観
- 3 教育勅語体制下の教育と教科書観
- 4 学校現場での教育改革の試み
- 5 学習観転換の先駆者木下竹次と奈良の合科学習
- 6 奈良の生活修身
- 3 戦後日本の学校知と学習観の変遷
- 1 戦後「新教育」と「学習指導要領(試案)」の思想
- 2 「新教育」の技術主義と形式主義
- 3 学習指導要領の性格の変更―画一的教育課程の復活
- 4 教育課程改革の動因と実態
- 5 教科内容現代化の二つの潮流
- 6 地域に根ざす教育の発展
- 4 学校知の転換はなぜ必要か
- 1 受験競争の過熱と偏差値偏重の教育
- 2 詰め込み受験勉強の解消を図る手立て
- 3 臨時教育審議会の教育改革構想
- 4 「学校知・学習観転換」の構図
- 5 中教審教育改革の目指すもの
- 5 学習観の転換はなぜ必要か
- 1 学びの転換の教育的必要性
- 2 「総合的な学習の時間」のねらいは何か
- 3 総合的な学習の源流を問う
- 4 教科の系統的学習は不要か
- 5 学び方の転換を図るには
はじめに
知識の詰め込み受験勉強からの脱却と、より良い学び方の習得を図る「学び方の転換」が、今日立場の相違を超えて各方面から求められています。新学習指導要領は、「総合的な学習の時間」を中心にして「自ら学び、自ら考える」新しい学び方の指導を学校現場に求めています。
しかし、これは「教育の基調を転換」することだと教育課程審議会答申(一九九八年)でも言われているように、学校運営全体にかかわる大きな教育改革の一環としてはじめて成立するような大改革です。それにふさわしい教育条件の整備・確立が伴わないことには成功おぼつかないものだと、私などはまず考えます。
二一世紀の学校のあり方として「自ら学び、自ら考える」学び方を教育の「基調」にすえることを考え、そのような教育改革を求めることは、今日確かに必要であり、妥当でしょう。しかし、その実現の方途については慎重であるべきであり、軽はずみな対策はあぶはちとらずの失敗に終わる危険があります。
小学校の段階からいきなり「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考える」学び方を教育の基調にすることが果たして適切かどうか。たとえ可能としても、そこへ到達するまでにはいくつかのステップを経ることが必要であり、より基礎的な学び方を各教科の学習でまずしっかり身に付けることが大切ではないでしょうか。
詰め込み主義の教育を改める必要があるという主張は、決して目新しいものではありません。表現こそ違いはあれ、明治以来、何度も繰り返し教育界で主張されてきたものです。そんなにも言われつづけながら、どうしていまだに実現しないのか。そのことの究明こそが今は重要であり、もっとも必要とされることではないでしょうか。
私はこのような問題意識から、この本で現在求められている学校知・学習観の転換が、これまで試みられてきた教育の改革とどのようにつながっているのか、あるいはいないのか、その必要性とともに実現可能性について検討してみることにしました。この問題は、大変奥行きが深く、とても十分な解明をすることができたとは思いませんが、二一世紀に向けてどのような改革が今本当に求められているのかを真剣に考えようとする読者に何らかの示唆を与えることができればと願っています。
著者
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- 明治図書