- まえがき
- T 集団を統率できる叱り方・向山学級に見られる叱り方の原理―本物の映像が「叱り方の原理」を教えてくれる
- 本物の映像を頭の中に焼き付けよう。
- 本物の映像には、本物の原理が隠れている。
- その原理を知って、本物の教育観を確立しよう。
- 一 原風景・向山洋一氏の新卒日記
- 二 表の原理・裏の原理
- 三 「赤鉛筆の対決」(表の原理)
- 四 「空白の四日間」(裏の原理)
- U 集団を崩壊させる叱り方・古い教育文化に見られる叱り方のパターン―駄目な叱り方が「叱り方の原則」を教えてくれる
- 原理を使いこなすために原則がある。
- 叱って失敗するのは、大抵が原則をはずしたときである。
- 駄目な叱り方から、叱り方の原則を導き出そう。
- 反則× 駄目な叱り方から見えてくること
- 原則1 集団の秩序を優先する(優しくするのは後からいくらでもできる)
- 原則2 集団の中で叱る
- 原則3 短くアッという間に叱り終わる
- 原則4 理由は問わず、行動を問題にする
- 原則5 「問題が起きるのが普通」「できなくて当たり前」と思っている
- V 事例集・私が実感した叱り方とその思想―腹の底から実感した「叱り方16の事例」
- 「叱り方」というのは研究授業では見ることができない。
- しかし、授業同様、叱り方も数多く見ておくと得だ。
- 他人の叱り方を数多く知っておこう。
- 事例1 ガキ大将的叱り方で相手も仲間も納得させる。
- 事例2 向山流・高段の叱り方 ―― 一度叱ったことで二度叱らない。
- 事例3 たくましさ・子どもらしさをつぶさずに、繰り返し秩序を教える。
- 事例4 片方が99%悪い場合でも、けんかは両成敗。
- 事例5 叱る相手が複数のときはくっつかせない。三メートル以上離して立たせ、孤立させる。
- 事例6 証拠のないときには対決しない。勝てるときに勝つ。
- 事例7 教育とは、時間のかかるものである。悪い方に向かっていない限り、待つことも必要だ。
- 事例8 「子どもが見える」教師になる。「観」に徹し「再現」を課す。
- 事例9 思春期の特徴を知り、知的に語る。
- 事例10 正直になる場面をつくり、そのことで損をさせない。
- 事例11 「確認」という叱り方の秘訣
- 事例12 ほんの「ちょっぴり」のひやかし・からかいも見逃さない。
- 事例13 過度な叱り方は叱られていない子の心まで傷つける。
- 事例14 やったことを言わせる。それについてどう思うか言わせる。それだけ。
- 事例15 「一切の形式の排除」ができてこそ、本物の叱り方が見えてくる。
- 事例16 「やる気」で学級を統率する。そのためには、「小さな珠石」が見えなければならない。
- あとがき
まえがき
次にあげる叱り方は、「話にならないほど駄目な叱り方」の典型である。
@ はじめは優しく接していたのに、問題が起きたときになってヒステリックに叱る。
A 個別に呼んで叱る。
B 長々と叱る。
C 「どうしてそんなことをしたのか」理由をたずねながら叱る。
D 「できて当たり前」「できないのが悪い」と思っている。
子どもの力を引き出そうとする者はこのような叱り方をしない。
次の叱り方を範とする。
@ 集団の秩序を優先する(優しくするのは後からいくらでもできる)。
A 集団の中で叱る。
B 短くアッという間に叱り終わる。
C 理由は問わず、行動を問題にする。
D 「問題が起きるのが普通」「できなくて当たり前」と思っている。
右の叱り方は「子どもの事実」から生まれている。
それに対して、駄目な叱り方は「古い教育文化」を引きずっているに過ぎない。
私は、向山洋一氏の学級づくりに憧れる。
この学級の特長を向山氏は次のように表現する。
静かではないが、騒がしくしない。
きちんとしてはいないが、乱れてはいない。
いきいきとした、自由にあふれるクラス。
それはまさに、向山学級である。
(『集団を統率するには法則がある』明治図書)
新学期。向山氏の学級づくりは、「夢」と「秩序」をつくり出すところから始まる。
「あなたは将来、何になりたいんですか。」
「あなたがあなたの夢を叶えられるように、先生があなた方の力を引き出してあげます。それが先生の仕事です。」
私はその場を目撃したわけではないが、私がイメージする向山学級の出会いは、このようなものだと想像する。
「お勉強ができないなんて、そんなのちっとも心配しなくていいんです。先生ができるようにしてあげます。」
このように、子どもたちの「夢」を壊さない。決して、傷つけることは言わない。
と同時に、組織の仕組み・ルールをつくることもすぐに始める。座席・持ち物・係り・当番などを決め、ルールは必ず全員の前で確認する。安心して生活ができる最低限のシステムを早急につくりあげる。
集団に「夢」と「秩序」をつくり出す。
向山洋一氏が学級づくりの初めにしていることは、強いて言えば、「個人を大事にすること」ではない。
「集団を大事にすること」である。
これがあって、然るのちに、その集団の中で一人一人が輝き出す。
「夢」と「秩序」のある集団の中で、はじめて個人は各々の能力を開花させるのである。
ところが、戦後の教育は、これとは逆のことをしてきた。
個人を大事にすることにウェイトを置き過ぎて、集団をないがしろにしてしまった。
集団には教育力がある。
このことに気がつき、適切な手を打てば、集団は個人の力を引き出す。
崩れた集団でも立て直すことができる。
本書は、「叱る」という場面を取り上げ、いかにして「集団の教育力を生かすか」について述べている。
どのような叱り方が集団を駄目にするのか。
また、どのような叱り方が集団の教育力を生かすのか。
そのノウハウを具体的な形で提示している。
政治・経済・産業・文化。
様々な分野で、戦後の古い習癖からの脱皮が始まっている。
学校教育の世界も例外ではない。
これまでに、ナントナクやり続けていたことが、二十一世紀を前にしてようやく見直され始めた。
今後、「新旧教育文化の入れ替わり」が急速に進むだろう。
この変化を感じ取れない教師、ついて行けない教師は淘汰されることになる。
実直に子どものためを思い、「子どもの事実」から自分の実践を変革できる教師のみが、新しい教育文化を引き継いでいくことになる。
夢と秩序――この二つが、集団統率の要諦である。
この二つが、子どもたちの可能性を開花させる。
子どもたちの可能性――それは未来をたくましく切り拓く力である。
その力を引き出すことこそ、私たち教師の仕事である。
二〇〇〇年一月 /水野 正司
叱り方にも「原則」があり、「原則」が守られてこそ子どもに反省を促し、学級の秩序が守られるのだと思いました。
特に、集団を味方につける、という原則を
学級で何度も追試しています。
ありがとうございます。
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