- まえがき /柴田 義松
- 21世紀初頭教育改革の基本的構図
- 学習集団をめぐる問題状況と本シリーズの課題
- T 確かな基礎学力を保障する学習集団の形成
- /柴田 義松
- 1 基礎学力とは何か
- 2 確かな基礎学力を保障するには
- U 国語の授業と学習集団の指導
- /柳田 良雄
- 1 国語の授業における学習集団の形成
- (1) つながりがある
- (2) 組織がある
- (3) できた,わかったと実感できる
- 2 詩教材「イナゴ」と学習集団づくり
- (1) 教科のねらいと学習集団づくりのねらい
- (2) 学習リーダー指導@
- (3) 学習規律づくり
- (4) 一人ひとりの情報を得て,つなげる
- (5) 評価
- (6) 学力の定着@
- (7) 教科の学び方@
- (8) 追い込む
- (9) 学習リーダー指導A
- (10) 討論@
- (11) 授業の流れにめりはりを持たせる
- (12) 授業に向う姿勢
- (13) 学力の定着A
- (14) 指導言
- (15) 討論A
- (16) 教科の学び方A
- V 社会科の授業改革を目指す学習集団の実践
- ―「垂水の老人福祉」(6年生)― /白尾 裕志
- 1 社会科における個人・グループ・学級について
- 2 実践の背景
- 3 学習の目標
- 4 教材の構成
- 5 学習の計画
- 6 実践の展開「車イスは押さない方がいい?」
- 「疑問・分かったこと・考えを共有する社会科通信」
- 「4つの問題をつくる」
- 「寮母さんはつらいよ〜老人ホームの1日体験〜」
- 7 授業記録1「Cさん(独り暮らしの老人)の生活を守るのは何か?」
- 8 授業記録2「老人ホーム以外の老人の生活は本当に大丈夫か?」
- 9 実践のまとめ
- W 算数の授業改革を目指す学習集団の実践
- /岩村 繁夫
- 1 数学教育協議会と子どもたち
- 2 習熟度別指導で分断される子どもたち
- 3 話し合いながら,互いに考えを深め合う授業
- (1) つまずき気味の子が活躍する授業
- (2) 4年生の「面積」の授業
- (3) 5年生の「小数のかけ算」の授業
- (4) 6年生の「単位あたり量」の授業
- 4 楽しみながら,ともに学ぶ喜びを味わう授業
- X フラッグ・フットボールで子どもたちをつなぐ
- ―みんなで考えた「作戦」を生かしてタッチダウンするおもしろさを― /岨 和正
- 1 6年生の子どもたち
- 2 新たな実践に挑戦
- (1) フラ・フトの教材的価値とは
- (2) 教材づくりの具体化に向けて
- (3) 高学年の発達の特徴と学級の子どもたち
- 3 実践の課題
- 4 子どもたちに学んでほしいこと(身につけてほしいこと)
- 5 コートとルールをどのようにしたか
- 6 チームづくり(班編成)
- 7 指導計画【全15時間】
- 8 学習の経過
- 9 実践を終えて
- あとがき ――実践へのコメント―― /柴田 義松
まえがき
21世紀初頭教育改革の基本的構図
いま私たちは,まさに世界史的激動の時代に生きている。1991年末のソ連邦崩壊,米ソ冷戦構造の終焉後,日本企業を含め各国企業の多国籍化,アメリカ「新帝国」の率いるグローバリゼーションが急速に進展し,多国籍企業間の大競争時代が到来するなかで,地球環境の破壊,繁栄のなかの貧困・飢餓の広がり,民族間の新たな対立が深刻化している。
国内的には55年体制(自社=保守革新体制)崩壊,細川連立政権誕生(1993年)後の政界再編やバブル経済崩壊の激動があり,官僚汚職・政治汚職のスキャンダルが続くなかで,政治改革・行政改革・財政構造改革・金融構造改革などの「構造改革」が声高に叫ばれながら,目立った進展は見られず,むしろ国民生活の面では「一億総中流化」とも言われてきた日本社会の「中流神話」が崩壊し,不平等社会化の進展が深刻な問題となってきている。
この不平等社会化=希望格差社会化にいっそうの拍車をかけようとしているのが,自由競争(市場)原理の導入によって戦後日本の「平等主義」教育
を根底からくつがえすことを目指す最近の中教審・文部科学省の「教育改革」である。学校教育の現場内外にいま何が起こっているか,主なものを10点あげてみよう。
@ 学校週5日制の「完全」実施のはずが,私立学校だけでなく公立学校
にも見られる不完全実施のばらつき,A 教育内容3割削減の検定教科書,それへの不満と批判から「人気」を呼ぶ日本語・数学・理科・社会科等の検定外教科書の出現,B 「総合的な学習の時間」実施への賛否入り混じった多様な対応,C 中学・高校への選択科目の大幅な導入,D 少人数学級・習熟度別クラス編成の急速な増加,E 『学びのすすめ』による「発展的な学習」など「確かな学力」向上策の推進,F 「絶対評価」の導入とその評価規準・基準づくり,G 『心のノート』の全生徒配布による道徳教育の強化,H 「特色ある学校」づくり,学区制の撤廃,学校選択の導入等による学校間競争の激化,I 教員の勤務評定・管理の強化
これまでの教育の「基調の転換」を図るという掛け声の下で打ち出されたこれらの「改革」は,確かにどれ一つとっても,これまでの学校教育の根幹を揺るがすほどの大きな改変であるが,それらが一挙にまとめて実施されることにより学校現場での混乱はいやがうえにも増幅されている。
この「改革」には,教育学の見地から見たとき2つの基本的な問題があるように思われる。1つは,これらの方策がいずれも新しいように見えて実は古く,古い方策が新しい衣を着て登場しているという問題である。その復古的性格は,戦前の非民主的な教育制度の復活を思わせるものでさえある。その「新保守主義(ネオ・コン)」が,「新自由主義」と結びついて現れてくるところに,この「改革」の極めて複雑な不透明さがある。
第2の問題点は,この「改革」が,これまでの方策のどこに欠点があり,どのような問題点があったかについての十分な検証も自己批判もなく,また新しい方策に関してもその実施効果について十分な学問的・実践的検討も無しに性急に実施に移されていることにある。
かつて20世紀の幕開けを前にしてエレン・ケイ(1849−1926)は,新世紀は「子どもの世紀」となるであろうと期待をこめて宣言したのだが,1世紀後の今日,「キレル」「ムカツク」「ヤリタクネエ」と荒れる子どもや,陰湿ないじめ,不登校,学級崩壊,授業崩壊などの世紀末的荒廃現象が依然として続くのを目の前にするとき,そのような感懐はとうてい持ち難い状況にある。
しかし,他方こうした現代の危機的状況をなんとか打開しようとする人々の努力が各方面で着実に進んでいることも確かな事実である。子どもや地域住民の立場に立つ「下からの教育改革」の動きも各地に広がっている。憲法・教育基本法の精神を守り,平和と民主主義の教育を貫くとともに,子どもの権利条約の視点に立ち「子どもの最善の利益」になるような教育改革を求める運動も広がっている。「日本の教育改革をともに考える会」がまとめた報告書『21世紀への教育改革をともに考える』(2000年)では,教育改革の理念と原則として,@ 一人ひとりが人間として大切にされ,子どもの最善の利益がまもられる,A 人間らしい発達を目指し,能力をせいいっぱい伸ばす,B 学ぶ喜びがはぐくまれ,真理・真実が教えられる,C みんなが力をあわせて教育をすすめる,D だれにも教育の機会が公正にひらかれる,E 教育を社会全体が大切にし,教育の条件や環境をととのえる,といった視点が提起され,学校改革の具体的提案としては,@ 学校を生き生きした学習と自治と創造活動の場に,A 競争の教育から,どの子も伸びる教育へ,とする改革が提案されている。
(図省略)
前頁の図は,現在,日本の子どもと学校をめぐって飛び交っている教育改革の諸提言の基本的構図である。新自由主義の教育政策は,戦後「新教育」の再来とも思わせるような「生きる力」を育てるなど進歩主義的政策を打ち出しているが,両者の決定的違いは,戦後教育の平等主義を否定し,戦前の複線型教育制度への回帰を図ろうとしていることにある。しかし,新進歩主義の諸方策は,「学力低下」の痛烈な批判を浴びて破綻をきたし,いまやまったく逆の「新教化主義」の方策が前面に躍り出てきている。いずれにしてもこれらの政策は,教師不信・現場不信が根底にあるため,ほとんどが現実から遊離した空回りの改革提言となっており,教育現場に根づくことは大変に困難だろう。学校の真の改革は,何よりも当事者である子ども・住民の参加と,創意工夫を働かす現場教師たちの双肩にかかっていることを示そうとしたものである。
学習集団をめぐる問題状況と本シリーズの課題
子ども集団の教育力を育て,活用して子どもとともに授業改革を図る試みは,わが国の学校で長い歴史をもっているが,学習集団の形成を特に意識した実践と研究は,1960年代の半ば頃から大西忠治や吉本均を中心としたグループの教師と研究者たちによって精力的に進められてきた。
しかし,その両氏の晩年の著作(「大西忠治教育技術著作集」1991年,吉本均「発問と集団思考の理論第2版」1995年)や(全生研常任委員会編「新版 学級集団づくり入門」1991年)が出版された1990年代前半をピークとして学習集団の研究は,このところやや退潮気味の傾向にあるように思われる。
他方,最近の教育現場では「個性を生かす教育」とか「個に応じる指導」を名目にした学習の個別化や習熟度別指導の推進が有無を言わさぬ形で強引に押し進められ,学級崩壊,公教育解体,非民主的な戦前の教育体制への回帰をも辞さないかのような反動的・復古的傾向が強まっている。
また,研究者のあいだでは相変わらずアメリカでの研究を後追いした「学びの共同体」論や,日本の学校でいまも普通に行われている「伝統的な教室の風景は19世紀の産物」であり,「日本を含む東アジアの国々を除けば,すでに博物館に入っている」などといって,ばっさり切り捨て,学習個別化への道を推進するような言説が流布している。
このような時代状況のなかで,本シリーズ発行の基本的ねらいは「授業改革を目指す学習集団の実践」と研究の具体例を提示することを通して,今日さまざまの困難な問題を抱えるわが国の学校において教育内容のいっそうの充実と発展を図る道を探り,切り開こうと努力している教師たちに学習集団づくりについての一定の指針を示そうということにある。
そのためには,上述のようなこれまでの学習集団研究の蓄積と成果を基盤としながら,とりわけ教科内容・教材の科学性・真実性の追究と緊密に結びついた形での学習集団の形成と活用の道を探ることが,今日における実践と研究発展の鍵になるだろうと私たちは考える。
各教科の基礎・基本の学び方,すなわち「何のために,何を,どのような集団組織と授業過程で学ぶのか」については,民間の研究諸団体における貴重な研究の蓄積がある限り,それらを参考にすることは当然としても,本書では各執筆者の個性的な実践と研究とが存分に展開された記述をと,編者は期待したが,実際にもそのようになったと思う。
その際の叙述の形式として,最初に自分の教科論と学習集団論とを簡潔に述べた後,実践の記録を展開する形式と,実践記録を展開するなかで理論をおりまぜたり,最後にまとめて叙述する形式とがあるが,いずれにしてもそれぞれの授業で子どもたちに何を学ばせ,どんな力をつけようとしたのかという「教科内容」が明示され,その内容と学習集団との必然的なかかわり方が具体的に分かるように記述されているところに,本シリーズのユニークさがあると編者としては考える。
本シリーズが,小・中学校における学習集団づくりの発展にいくらかでも寄与することができればと願っている。読者の皆さんの率直な感想,ご意見,ご批判をお寄せいただければ幸いである。
2005年3月 編者 /柴田 義松
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- 明治図書