- まえがき
- T かすかな子どもの動きを感じる子ども研究スタート
- 一 漠然としか見ていない子どもの動き
- 1 かすかな子どもの動きが見える目
- 2 子どもたちの顔を思い描けない
- 3 ビデオ撮影を始める
- 4 いったい何人発言したの
- 5 子どもたちとどんな話をした?
- 二 保育園の成長記録メモにかすかな子どもの動き
- 1 わが子の便の様子一つ見えていない
- 2 積み木の進歩を感じる目
- 3 当たり前を当たり前と思わない目
- U 子どものかすかな動き・成長を見抜く目を持つ
- 一 「ポストイット」方式で子どものかすかな成長を感じる
- 1 席、このままでいいかい?
- 2 定規一つ買えない子どもだっている
- 3 ポストイットにメモしてペタッ!
- 4 頭・体・心の三つの視点
- 二 子どもたちのかすかな動き・成長を見抜く感度のいいアンテナ
- 1 ウソ発言を見抜く
- 2 机を後ろに下げてください――動かして見抜く
- 3 スケジュール速い組――先を見つめているかで見抜く
- 4 深々とおじぎする――礼儀で見抜く
- 5 おばさん、畑仕事大変ですか?――書いたもので見抜く
- 6 手は洗えばいいもん――ハプニングの時の行動で見抜く
- 7 はじめまして、教えてほしいことがあります――手紙を書かせることで見抜く
- 8 短いチョーク再利用機発明――モノづくりで見抜く
- 9 先生、スマップって知ってる?――対話の中で見抜く
- 10 こんなにいい人がいる――子どもが発見する〈小さな成長〉から見抜く
- 三 全員が毎日登場する学級日記「ザ・チャイルド」を書く
- 1 全員を毎日、学級通信に登場させる
- 2 ザ・チャイルド――毎日、全員のかすかな動き・成長を紹介する
- 3 子ども版「チャイルド」続々登場する
- V 「共育カード」で子どもの多面を知る
- 一 どんな小さなことでも教えてください
- 二 親の「声」が子どもを知る「肥」となる
- 1 洗濯しながら都道府県――学びの過程を知る
- 2 弟の育ての親はお姉ちゃん――子どもたちの幼き頃を知る
- 3 夢見る少女――子どもの感性を知る
- 4 五年間続いているふとんあげ――子どもの手伝いを知る
- 5 洋服に興味を持つお年頃――子どもの興味を知る
- 6 小犬事件――保護者が見たわが子以外の子の様子を知る
- 三 親の「声」で親の「思い」を知る
- 1 海ほうずきの思い出――親の子どもの頃の思い出を知る
- 2 こんなに素敵な言葉がありました――親の学び・発見を聴く
- 3 日本地図のパズルどこにありますか?――親の質問を聴く
- 4 おやじについて――親のエッセイから学ぶ
- W 子どもたちとのふれあいで観る目を鍛える
- 一 うんと授業記録を残そう――記録を残すことで子どもを観る目が変わる
- 1 『やまなし』の発言記録に何を観る?
- 2 子どもが作る『やまなし』問題
- 3 休み時間の対話タイムの記録再生
- 二 子どもたちのノートをうんと残そう
- 三 〈童心〉を持って子どもとふれあう
- 1 先生、文通をしてください
- 2 教師も交換日記の仲間入り
- 四 裏文化に教師もチャレンジする
- 1 けん玉・ビー玉・めんこ……みーんなチャレンジ
- 2 教師の魅力の一つになるイラスト・ギター
- 五 「教師のあゆみ」を書く子どもの鋭い目
- あとがき
まえがき
中学生の時から空手をやっていた。師匠である叔父が練習中に、よくこんな言葉を言ってきた。
無駄な動きが多いなあ。相手の動きをよく見てないぞ。相手の攻撃を寸前でよけなくっちゃ。
頭で意味は分かっていても、相手の動きをよく見るとは、どういうことか分からなかった。叔父はこうも言った。
相手をよく見ておくと、どこを攻撃してくるか分かるだろ!
何度も何度も相手を見た。人が練習しでいる時も人の動きを観察し続けた。組手の時も相手の動きを感じるように相手の動きに集中し続けた。
ようやく、相手の動きを少し感じ始めたのは、空手を始めて七年が経った大学生の時だった。
それも、自分より段や級の低い人の動きしか見えなかった。とても、自分より上の段の人の素早い動きは見えなかった。
相手の動きを感じる難しさを痛感しながら、大学を卒業し教員になった。
教員になると、更に〈人の動き〉を感じる難しさを感じた。相手は子どもだ。それも一人ではない。自分の予想を超える動きもしょっちゅうだ。
相手が一人なら、空手をやっていたことが生きて、少しは動きが見えた。ところが、何十人となると全くと言っていいほど動きが見えなかった。
その上、新採一年目は二年生担任。大学を出たばかりの私には、宇宙人のようにさえ感じた子どもたちであった。言葉すら通じないこともあったのである。
子どもたちの動きが見えない自分に腹が立ってならなかった。当然、授業はうまくいかない。子どもたちは騒ぐ。私自身のいらいらは頂点に達し、何度も何度も子どもたちを叱りとばした。
自分の甘さを子どもたちに押しつけたのである。情けなかった。
それは二年目も続いた。しかし、この頃、どうにかしなくてはという気持ちから、エスカルゴという勉強会に入って学んでいた。会には、経験豊かな先生方が毎回レポートを持たれてきていた。実に本を沢山読んでいた。
私もむさぼるように本を読んだ。
その時出会ったのが、向山洋一氏の次の言葉だったのである。
授業をしながら、かすかな動く指を見つけられる。
発表したがっている子どものアクションを感じるというのである。ショックだった! こんなすごい教師がいるのかと思った。
この言葉に出会ってから、私の本格的な子ども研究はスタートしたと言ってもいい。
子どもの姿が見える教師になりたいと真剣に思ったのである。
本書には、子どもの動きをいかにとらえていけばいいか――、これを悩みながら修業している私の試行の足跡を中心に書き綴っている。
子ども研究をスタートして十三年。いまだ、子どもたちの動きを十分に感じることは出来ない。
しかし、新採の時と違い、子どもたちを叱りとばすなんてことはしないし、時折〈かすかな動く指〉に気が付くこともある。
十三年の足跡を残し、更に〈一歩前〉を目指して修業していきたい。
そのためにも、この本を読まれた方々と子ども研究の交流を進めていきたいと思っている。
まだまだ、多くの子ども研究の視野を広げたい……。
一九九六年十二月 /福山 憲市
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