国語科授業改革双書29コミュニケーション意識を育てる発信する国語教室

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第1章で「発信」を中心とする授業をスピーチを軸に説明.第2章では「受信」の授業、第3章では「交信」を中心に授業解説.伝え合う力を育てる授業。


復刊時予価: 3,476円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-301917-6
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
中・高
仕様:
A5判 288頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

まえがき
T 発信する力を鍛える授業
「ペアでおこなう紹介スピーチ」で、授業びらき
一 これから、**君(さん)を紹介します!
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 ペアの構成
5 言語環境づくり
6 授業の展開(計2時間)
7 学習指導の評価
グループで目的や相手や場面を考えて、対話形式の説明スピーチをしよう
二 はじめて府中工業高校を訪問する中学生に、電話で道を教えるには
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 グループの構成
5 言語環境づくり
6 授業の展開(計4時間)
7 学習指導の評価
8 学習指導の成果を実際の学校生活で活用し、国語教室を「発信の場」にする
「ポスト・イット」発想法を活用した情報紹介スピーチづくり
三 わたしの太鼓判、この一冊!
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 授業の展開(計4時間)
5 学習指導の評価
6 引用についての意識を育てよう
「ポスト・イット」発想法を活用した効果的なプレゼンテーション
四 ショウ・アンド・テルで自己アピールをしよう!
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 言語環境づくり
5 授業の展開(計4時間)
6 学習指導の評価
U 受信する力を鍛える授業
的確な受信で論理を鋭く見抜こう
一 これは美談だろうか?
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 授業の展開(1時間)
5 学習指導の評価
自分の頭で考えながら受信しよう
二 たかが千五百円、されど千五百円
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 授業の展開(1時間)
5 学習指導の評価
さらに情報を求めて適切な受信をしよう
三 運転免許取得年齢は引き上げるべきか?
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 言語環境づくり
5 授業の展開(計2時間)
6 学習指導の評価
7 判断を保留する大切さ
聴く力を鍛えよう
四 これからの学校生活についての情報を、先輩から聴き出そう
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 言語環境づくり
5 授業の展開(計3時間)
6 学習指導の評価
7 発信と受信の相互関係に着目しよう
8 発信・受信の相手を広げよう
V 交信する力を鍛える授業づくり
聴いてみたい意見を求め、フリートーキングをしよう
一 「仕事はカネで選ぶべきか」
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 言語環境づくり
5 授業の展開(計3時間)
6 学習指導の評価
「AかBか」型ディベートで論理的なアタマを鍛えよう
二 「コンタクトレンズとメガネ、どちらがいいか」
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 グループの構成
5 言語環境づくり
6 授業の展開(計5時間)
7 学習指導の評価
パネルディスカッションで意見を交流させよう
三 「義務教育をどう改善したらいいのか」
1 学習指導の目標
2 学習指導の概要
3 教 材
4 グループの構成
5 言語環境づくり
6 授業の展開(計7時間)
W 発信する国語教室づくりのために
一 「三つのナンバー」で思考を集中させよう
二 ポスト・イット発想法で思考を鍛える
1 発想とはどんな行為なのか?
2 ポスト・イット発想法のメリット
3 ポスト・イット発想法の基本ステップ
4 メモ指導としての可能性
5 ポスト・イットのその他の活用法(意見一覧表・座席表)
三 トゥルミンモデルで論理を鍛える
1 音声言語の論理・文字言語の論理
2 トゥルミンモデルで論理を見抜く
3 トゥルミンモデルのメリット
四 論理を鍛える授業のための教材発掘法
1 教材選択の二つの条件
2 教材発掘法について
3 NIEが拓く新しい学習指導
五 環境づくりがコミュニケーションをひらく
1 やっぱりユーモア
2 国語教室をつくる―物理的環境の整備
3 話し合いにふさわしい人数とは?
4 グループの話し合いは「一つの机」で
5 机の配置のアイデア
6 言語環境をどうつくるか
7 「私語の世界」との戦い
8 しつけをどうするか
9 発言を評価に含めるように配慮する
10 言語環境づくりに生かしたい「学習者のほめ方」
六 うまくいかない話し合いは、こうやって打開しよう
1 定義に問題があってうまくいかない場合
2 「意見混入型質問」が混乱を起こす場合
3 連体修飾語に隠された価値判断が機能した場合
七 基礎理論としての批判的思考
1 批判的思考とはどんな思考であるか
2 批判的思考と論理的思考
3 批判的思考に関する構えと能力
あとがき
索引

まえがき

 わたしが何よりもうれしかったのは、技術者として活躍している卒業生の一言である。「国語の授業で鍛えられたので、スピーチには自信があります。」実は、在学中の彼は国語に熱心ではなかった。ことあるごとに激しく反発し、わたしにぶつかってきた。授業中に、「しゃべるなんて、かったるいよ! スピーチなんてやめようよ! 話すことなんて何もないよ」と大声でまくしたててきたこともあった。そうした状態だったのを、時間をかけて基礎からみっちり取り組み、何度も遅くまで個人指導をしたりして授業に乗ってこられるようにしむけた。場数を踏んでいくうちに、ある時から自信を得たようだ。まだ若手だが、顧客への説明が得意なので、職場では一目置かれる存在になった、とのこと。


 新任教師として東京都立の工業高校に赴任して、今年で九年目を迎えた。赴任当初は、主としてわたし自身がかつて高校で受けていた、いわば「受信」専門の授業をしてきた。教科書教材を丹念に読み解くことに時間を費やした。しかし、翌年、社会人になった卒業生たちの率直な声を聞き、打ちのめされた。曰く、「『どこが故障しているのか、きちんと説明してほしい』って顧客に怒られた」「『敬語も使えない、誤字だらけで満足に漢字も書けない、何を高校で学んだんだ』って上司に注意された」「企業研修のレポートで自分の意見を書かされたが、何にも書けなかった」……。

 これらのクレームは、「会社に入って役に立つ(恥をかかない)」といった目先の利便にとどまったものではない。そんな近視眼的なクレームではなく、一人の個人として社会に生きていくうえで必要不可欠な言語能力に言及している。大切な言語能力が、義務教育を終えて高校まで通ったにもかかわらず身についていないことへのクレームである。と、わたしは解釈した。ちなみに、最近よく言われている『生きる力』とも関連するのかもしれない。国語科の存在意義に関わる大問題を突きつけられ、考えこんだ。中学校では、「高校で、足りないぶんの言語能力をつける機会があるだろう」、高校では、「大学で、……」と問題を先送りし、国語の授業はもっぱら「受験」に向かって「受信」中心で組み立てられてきた。それだけに、何が大切な言語能力で、どこまで身につけたらいいのかというゴールが見えにくくなっているのではなかろうか。

 ところが、わたしの場合、そのゴールがよく見えるだけに、何をどう授業で取り上げるかは切実な問題である。授業時間は、週に二〜三時間しかない。表現・理解・言語事項のバランスをとるのはもちろん、現代文から古典まですべてを網羅しなければならない。手がかりを求めて、小学校から高校までの学習指導要領や、各種の国語教育書を熟読した。この問題がわたしの勤務校だけでなく、あらゆる国語教室で真剣に考えるべきテーマであることにも気づいた。そうやって模索していく過程で、わたしの授業に何が欠けていたかがわかってきた。自分の考えを話したり書いたりする「発信」を取り上げること。「受信」についても、「読むこと」だけでなく「聞く(聴く)こと」も取り上げること。さらに、話し合いなどの「交信」も、ことばの相互作用として大切である、と。

 こうした考えを具体化させようと授業に取り組んだが、まさに試行錯誤の連続であった。(もちろん、これからも、だろうが。)何よりも、スピーチや話し合いのような音声言語による「発信」「受信」や「交信」の授業は、自分自身が受けたことがなかったので不安の連続だった。「本当にできるのだろうか」「失敗したらどうしよう」と心細くなり、授業前日はよく眠れなかった。こうした試行錯誤の過程では、当然のことながら、諸先輩方の論考から学んだことをずいぶんと活用させていただいた。いずれも、実践をとおして学習者の反応を確かめながら、自分なりに咀嚼していった。


 この本には、これまでの授業でわたし自身が汗をかいて体得した成果を余すところなく紹介した。授業ではいい汗をかくことができた時もあったが、冷や汗、脂汗のたぐいもずいぶんとかいた。

 この本は、これまでの「受信」中心の国語教室を、「受信」「発信」「交信」のバランスのとれた国語教室へ変革させたい、と考えている中学校・高校の先生方に向けて書いた。ことに、かつてのわたし同様、こうした授業の経験がない先生方の道しるべとなることができるよう心がけた。「はじめの一歩」を踏み出すためのお手伝いができれば幸いである。実践は高校生を対象におこなったが、すべての項目について中学生も射程に含めて述べた。発達段階説によれば、中学二年生前後で思考の発達段階の大きな境目がある、とのこと。それゆえ、少なくともそれ以降の段階の学習者すべてには当てはまるものと考えている。

 この本では「発信」「受信」「交信」のすべてを説明したにもかかわらず、「発信する国語教室」という題名をつけた。「発信」にいちばんの重点を置いてみたいと考えたからである。いまおこなわれている「発信」の実践のなかには、発信することの意味が忘れられているように思えるものもある。

 先日、ビデオでディベートコンテストの模様を見た。その立論スピーチに驚いた。緊張もあったのだろうが、あらかじめ用意してあった原稿をマシンガンのような早口で、間も強弱も関係なく、ひたすら棒読みしていたからである。そのうえ、準備段階で音声言語としての配慮がなされていない結果、聞いてもわかりにくいスピーチになっていた。すなわち、「受け入れやすい」と言えば耳だけで理解できるところを、「セッシュがヨウイである」などといった文字言語のレベルにとどまった表現が多用されていた。

 文章を早口で棒読みされるくらいなら、むしろ紙に書いたものを受け取って自分で読んだほうが、よほどわかりやすい。「相手にわかりやすく」というコミュニケーションの大原則は残念ながらすっぽりと抜けていた。ディベートのルール上、論点をたくさん出しておくことが作戦のうちであることはわかる。相手が反駁しなければ、その論点については、勝ちと見なされる。だから早口になるわけだ。

 しかし、「勝つこと」に精力が注がれた結果、コミュニケーションが軽んじられてはいないか。

 ディベートは、むしろ「交信」にあたる行為であるが、その土台には適切な「発信」が必要である。


 スピーチの授業の後で、A君がわたしのところに来て、はずんだ声でこんな話をした。スピーチをやってみて、自分の思っていることは、みんなに何とか伝えることができた。緊張していてうまくは話せなかったけれども、みんなは最後まで聞いてくれた。とても楽しかった。すっきりした。

 彼は、ふだん誰ともあまり話をせずに、自分を閉ざしがちであった。わたしは彼を勇気づけながらも、内心、みんなの前でのスピーチは大丈夫かと心配していた。それだけに彼が味わった「発信する喜び」が、わたしにも大いに伝わってきた。A君のスピーチを聞いたクラスメイトも、彼を見直したようだった。

 近年、仲間とのコミュニケーションがうまくとれない者が増えてきた。これまでであれば、ふだんの遊びなどで当然とれていたはずのコミュニケーションがとれない。一人でいつもぽつんとしている。とり方がわからないのか、あるいは、とりたくないのか(そう言う者もいるものの、本心はちがうはず、とわたしは思っている)。

 このスピーチをきっかけにして、A君は少しずつだが、他者とのコミュニケーションを持つようになってきた。さて、もう一人の声を聞いていただきたい。Bさんはショウ・アンド・テル(品物を聴衆に見せながらおこなうスピーチ、第T章を参照)の準備過程で発見したことを、次のように書いた。


 ショウ・アンド・テルのための準備をしている過程で、自分がこれまで経験したことの意味を考え直すことができた。あ、わたしってこういう人だったのか、ってやっとわかった。こんなこと初めて。


 A君やBさんの声は、発信することの本質に迫っているように思う。発信とは、つきつめて言えば、自分自身を発信する行為である。あるいは、ほかの誰ともちがう、この自分自身がここにいるという「あかし」なのかもしれない。程度の差はあるにせよ、何らかのかたちで、「自分」は発信に組み込まれる。どんなに客観的な説明でも、話題をとらえる視点などにその人の個性が反映されるのは言うまでもない。まさしく昔から言われてきたように、「文は人なり」である。

 そして、A君が経験したように、自分自身を発信することは本質的に楽しい行為である。そのうえ、みんなが聞いてくれるというのは、集団の中の一員としての自分の存在価値を認めてもらう行為でもある。こうして考えてみると、A君が味わった「発信の喜び」とは、自分自身を発信できた満足感と、みんなに自分の価値を認められた充足感だったと考えることができる。もちろん、スピーチという課題をやり遂げた達成感もあろう。

 ただし、発信、あるいは表現という行為は、心の中にあるメッセージをそのまま音声や文字に置き換える作業ではない。表現をしながらわたしたちは無限に考えをめぐらすのである。そうやっていろいろな視点から考え抜いてみると、新たな発見も生じる。Bさんが指摘したように、わかりきっていたはずの自分自身が、ちがう側面からすると意外な存在に思えたりするのである。こうした発見に到達できるような授業をやってみたい。「発信する国語教室」としての大きな目標である。


 この本の内容について、簡単に紹介しておきたい。

第T章では、「発信」を中心とした授業について説明した。

・授業びらきの「ペアでおこなう紹介スピーチ」

・グループでおこなう対話形式の説明スピーチ

・『ポスト・イット』発想法を活用した情報紹介スピーチ

・『ポスト・イット』発想法を活用したプレゼンテーション

 いずれもコミュニケーション意識を育てる目的の授業である。また、思考を鍛えるために、学習者の思考操作を容易にする方法論である「ポスト・イット」発想法を取り入れた。

第U章では、「受信」を中心とした授業について説明した。

・的確な受信で論理を鋭く見抜こう

・自分の頭で考えながら受信する

・さらなる資料を求めて、適切な受信をしよう

・自分にとって必要な情報を聴き出す

第V章では、「交信」を中心とした授業について説明した。

・聴いてみたい意見を求めて、フリートーキングする

・『AかBか』ディベート

・パネル・ディスカッション

 これらの授業を、学習者の実態を見ながら、一つの学期に二つ程度ずつおこなっている。選択の授業を担当した場合には、こうした授業のみを週二時間、一年間ずっとおこなっている。この本では、便宜上、「発信」「受信」「交信」と区別を設け、各章において説明した。だが、授業はそれらの相互作用によって成り立っている。たとえば、スピーチでは、話している本人は自分のスピーチを「受信」しながら(モニターしながら)「発信」しているし、聞いている聴衆は、頭の中で関連することや反論を思い浮かべながら(「発信」しながら)「受信」しているからである。さらに、「交信」はそうした複合的な言語行為の組み合わせによって成っている。最後の第W章では、授業を支えている理論について説明した。第T章から第V章までの実践をおこなううえで必要なことを、具体的な技術を含めて明らかにした。


 わたしは以前、『日常言語の論理とレトリック』(教育出版センター、一九九三年)と題した本で、発信・受信・交信のための基礎理論としてのレトリック理論について論じた。今回は、その応用の一環として、できるだけ実践に密着した話題を展開するように心がけた。授業記述の方法は上條晴夫氏の著書をはじめとする、すぐれた論考の数々から学ばせていただいた。「学習者の考える力を少しでも伸ばすのに貢献したい」というわたしの問題意識は前の本と少しも変わっていない。ただし、前の本を出してからの四年ほどのあいだに、日々の授業の中から新たに体得したこともあるので、多少の変化(進歩であれば、うれしいのだが……)はあったかもしれない。本の著者と読者の関係は、一般的には、一方向に知識を伝達するコミュニケーションと見なされている。しかし、著者としてのわがままを言わせてもらえれば、それだけにとどまっていたのでは、ちょっと不満である。授業における教師と学習者の関係もそうだと思うのだが、双方向の(カッコ良く言えば、インタラクティブな)コミュニケーションを成立させたい。そうしてこそ、互いの「学び合い」も成る。前に出した本は、幸運にも著者予想を越えた範囲で読まれたようで、意外なところで引用されているのを見つけて驚いたこともあった。何より多くの方々から、貴重なご意見をいただくことができたのがうれしかった。厳しい批判もかなり受けたので、わたし自身の考えを練り直すいい機会になった。この本についても、そうした機会をいただけることを、心から望んでいる。忌憚のないお声を賜りたい。


  一九九七年九月   /中村 敦雄


付 記

 本書脱稿後、国語教育の世界において、次の二つの注目すべき提言がなされた。

・市毛勝雄「『受信型』から『発信型』への授業改革」(「教育科学国語教育」一九九七年十月号、五〜十二頁)

・小田和也「ポスト・イット授業革命・問題解決技法で個が輝く」(「教育科学国語教育」一九九八年四月号、四七〜五十頁)

 いずれも、厳密にはちがいがあるものの、大筋としては本書において論じた内容と共通の問題意識が認められる。

 現場で学習者と向き合っていくなかで得た成果が、わたし個人だけのものではなく、現代のわが国の他の現場でも共通する問題であったことを知った。これはいろいろな意味で大きな驚きでもある。紙幅の都合上、二つの提言についてくわしく論じることはできないが、機会を改めて言及したい。

  一九九八年四月

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