- はじめに
- T こうすれば中学生も口を開く
- ―バラエティーに富む六つの生き生き実践 /星野 東洋紀
- 一 こんなスピーチできるといいな
- ○磨き込むなかからやさしさが――「長野掃除に学ぶ会」に参加した中学二年生のスピーチ
- 二 六つの実践はこんな特色
- 三 六編を紹介すると
- 1 小中国語学習まとめの一つの試み――「故郷」の発展、九年間の教科書教材を比べて 伊東宏晃先生の実践
- 2 伝え合う力を育てるためのスピーチ活動 池田稔幸先生の実践
- 3 私は、一字博士 ―見方考え方を広げる楽しい漢字の学習のいろいろ 伴野健先生の実践
- 4 鑑賞から創作活動で自分の思いを語ろう 本山育人先生の実践
- 5 一人一人が表現力を伸ばすための調査・発表学習 ―「銀河鉄道の夜」(理解)から「宮沢賢治」(表現)へ 永井雅子先生の実践
- 6 「僕達は教育実習生」――中学校古典学習のまとめとしての実践事例(中学校三年生) 竹中雅幸先生の実践
- U 『故郷』の発展、九年間の教科書教材を比べて
- ―卒業期の発表学習の試み /伊東 宏晃
- 一 高校入試の準備だけで良いわけないのだが
- 二 生徒たちの追究の姿T(『故郷』の発展)
- 三 生徒たちの追究の姿U(九年間の教科書教材を振り返って)
- 四 発表会
- 五 まとめにかえて
- V 伝え合う力を育てるためのスピーチ活動 /池田 稔幸
- 一 国語科の発表学習としての立場
- 二 実践の概要
- 三 実践の記録
- 1 伝え合う力を効果的に伸ばすためのスピーチ学習
- 2 「三十五億年の命」の実験授業
- W 私は、一字博士
- ―見方考え方を広げる楽しい漢字の学習のいろいろ /伴野 健
- 一 漢字学習、二つの方向 ―うまくいかない悩みを授業の出発点に
- 二 漢字クイズを楽しもう ―活気あふれる教室開きでさぐった漢字の見方
- 1 授業の構想
- 2 実際の授業の概略
- 3 漢字の見方の違いを示す生徒相互のクイズの例
- 三 私は、一字博士 ―新出漢字を調べて教え合おう
- 1 授業の構想(年間計画とのかかわり)
- 2 実際の授業の概略
- 3 発表の一例
- 4 用例集からの発展
- 四 「親戚の漢字」を調べ、ゲームにしよう
- 1 「親戚の漢字」を調べる
- 2 部首の組み合わせ、漢字ゲーム
- 五 似た漢字を見つめて詩にしよう
- 1 授業の構想
- 2 実際の授業の概略
- 3 生徒の作成した短文の一例
- 六 終わりに
- X 鑑賞から創作活動で自分の思いを語ろう
- /本山 育人
- 一 発表の場を設定した短詩型の学習
- 二 短詩型の指導に関する基本的態度
- 1 俳句から季節を感じ味わおう
- 2 鑑賞から創作をめざして
- 三 授業の実際
- 1 単元名
- 2 単元目標
- 3 研究の仮説
- 4 展開の大要(八時間扱い)
- 5 本時案(略案)
- 6 第六時で提示する短歌および本時で扱う轟君の作品研究
- 7 授業記録
- 四 詩歌の学習で発表の場をどう設定するか
- Y 一人一人が表現力を伸ばすための調査・発表学習
- ―「銀河鉄道の夜」(理解)から「宮沢賢治」(発表)へ /永井 雅子
- 一 表現力の大切さ
- 二 単元展開 ――「理解」から「表現」への学習過程
- 1 宮沢賢治の作品の紹介(〇・五時間)
- 2 宮沢賢治の生涯と生き方(一・五時間)
- 3 「銀河鉄道の夜」の読みとり(二時間)授業記録
- 三 図書館での調査学習(四時間)
- 1 個人テーマの決定
- 2 調査する時に注意すること
- 3 図書館での調査(二〜三時間)
- 4 まとめ(二時間)
- 四 発表会(二時間)
- 五 評 価
- 六 終わりに
- Z 「僕達は教育実習生」
- ―中学校古典学習のまとめとしての実践事例(中学校三年生) /竹中 雅幸
- 一 はじめに
- 1 取り上げた教材名と古典指導事項
- 2 古典指導事項の洗い出しと教師の支援
- 3 指導計画(展開の大要)〔全二〇時間〕
- 4 授業の実際
- 5 成果と課題
はじめに
今は、新学習指導要領への移行期にあたり、年間百時間もかけておこなわれる予定の総合的学習をどうするかで、教育界は懸命である。教科の枠をこえた、文字通りの総合学習をめざすので、これまでの改訂とはまったく異質の試みが求められている。
これまでに各教科の基礎・基本だけは十分に達成されたので、次には意欲的に総合、つまり応用をねらうのだ、という勢いであるなら、まことに慶賀すべき改革であろう。もっとも有効な応用力とは、一つ二つの教科においてではなく、いくつかの教科を含み、かつ、教科の枠にとらわれない、総合的な学習において、初めて真の到達度がはかられるものである。その意味で、総合的な学習が設けられたのは、意義のある試みだと言えよう。
だが、しかし、どの教科であれ、はたして自身の領域における基礎・基本が、もう十分に育成できている、と言えるのであろうか。もし、まだまだ、これまで以上に基礎・基本の学習を続けなければならない実態があるならば、問題は深刻である。時間数は減少する。それに、総合的な学習の大々的な実践は迫られている。今までの時間数でも不可能であった基礎・基本の力をどのようにして育てるのか。現在、はっきりしていることは、この問題を打開するには、従来とは別の、または、これまであまり重視してこなかった方法を採用しなくてはならない、という方向だけである。
「国語科で総合学習を支える」という本シリーズは、この方向をとり、どのような試みが可能かを提案しようとするものである。理論というよりも、現実に実践できる具体策をめざした。努力すれば、だれでもできる授業構築を、とねらった。中でも、指導者はむろんのこと、学習者自身が楽しく学べる国語教室でなくては意味をなさない、と覚悟を決めて試みたものばかりである。教室の主人公は、児童・生徒である、とは言葉で語られるわりには、実践化に乏しいうらみがあった。学習者主体の授業をと願った結果が本シリーズである。
国語科にそくして言えば、国語の基礎・基本を学ぶことが、そのまま総合的な学習の基礎となり基本となるような授業でなくては、現下の問題の解決にはならない。国語の時間の一時間一時間において、生きて働く言葉の力を、教室の全員に、つまり、一人のもれなく育成している授業形態にしていく必要がある。本シリーズのねらいは、そこにある。
そのために、さまざまな方策を試みた。中には、従来、安易に流れ、無視されてきた方法が、この度の改革に応えるためには、ぜひとも活用すべきである、という確信のもとに活用されたものもある。伝統の良さは、問題が深刻なときほど、かえりみるに値する。それは、歴史の教えるところである。
幸い、以上の私の考えに多くの実践家が賛意を表してくださった。その方々の努力の結晶がシリーズの形をとって世に問うことができる。現代が抱える教育の重い問題に、いつも敏感に反応される明治図書の江部満さんの賛同を得ることもできた。そのおかげで、ここに、総合的学習に向けて、ある意味では、ゆるぎない姿勢で取り組める国語科の一つの道を示すことができたのではないか、と考えている。多くの実践家の、さらなる提案をまって、この道をより確固たるものに練り上げていきたい。多数の批評を切に乞う次第である。
平成一二年七月 /中西 一弘
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- 明治図書