- はしがき
- T 読書の楽しみと学習理論
- 一 主体的で計画的な読書活動
- 1 考えながら多読する
- 2 先輩の多読指導の研究に学ぶ
- 3 読書指導から読書学習への転換
- 二 言語活動主義の読書によって思考力を伸ばす
- 1 芥川龍之介の「藪の中」を読んで考える
- 2 発達段階に応じた読書能力を育てる
- 3 読書感想生成のモデル――読解感想文から読書感想文へ――
- 三 テーマ読書の展開
- 1 テーマ読書の四つの段階
- 2 自分のテーマを持って読書する
- 3 テーマ読書の系統化を図る
- U 読書意欲を高める多読のすすめ
- 1 多読のきっかけ―― 『宮本武蔵』
- 発展読書1 『宝島』
- 発展読書2 『啄木歌集』
- 2 絵本の楽しみ―― 『しずかなおはなし』 『かにむかし』 『ぐりとぐら』
- 発展読書1 『ずうっと、ずっと、大すきだよ』
- 発展読書2 『富士山大ばくはつ』
- 3 童話を好む―― 『泣いた赤おに』
- 発展読書1 『みにくいアヒルの子』
- 発展読書2 『車の色は空の色』
- 4 マンガにのめりこむ―― 『火の鳥』
- 発展読書1 『ちびくろさんぼ』
- 発展読書2 『カムイ伝』
- 5 友情を育てる―― 『赤毛のアン』
- 発展読書1 『トムソーヤの冒険』
- 発展読書2 『二十四の瞳』
- 6 戦争を考える―― 『ガラスのうさぎ』
- 発展読書1 『かわいそうなぞう』
- 発展読書2 『アンネの日記』
- 7 心の豊かさ―― 『鼻』
- 発展読書1 『もったいないばあさん』
- 発展読書2 『兎の眼』
- 8 試練に立ち向かう―― 『車輪の下』
- 発展読書1 『次郎物語』
- 発展読書2 『ガンジー伝』
- 9 美しき人間関係―― 『楢山節考』
- 発展読書1 『八郎』
- 発展読書2 『グスコーブドリの伝記』
- 10 いのちの大切さ―― 『夕鶴』
- 発展読書1 『葉っぱのフレディ』
- 発展読書2 『たたかいの人』
- 11 死について考える―― 『星の王子さま』
- 発展読書1 『原爆詩集』
- 発展読書2 『沈黙』
- 12 空想の輪を広げる―― 『注文の多い料理店』
- 発展読書1 『龍の子太郎』
- 発展読書2 『水滸伝』
はしがき
「多読」とは、文章を詳しく分析しないままに、数多くの読書材を読むことを指します。ベストセラーとして知られている本を読むときには、この読み方であら筋をつかみ、作品の雰囲気を味わうことによって、同じ本を読んだ仲間と読書体験を分かち合い、気づかないことを発見すると、もう一度読んでみようという気になって、読み返したりします。
それに対して、文字や語句の意味を確かめながら分析的に読んでいく読み方は、「精読」と言われています。中学や高校の教科書に載っている文学作品で、中間テストや期末試験の出題範囲に入っている教材の場合には、授業でも精読をしますから、予習や復習においても、入念な読み方をすることになります。
多読と精読との二通りの読み方を効果的に使いこなして、自分から進んで魅力のありそうな読書材を探し求めて読書活動を展開できるように、指導していけば占めたものです。
ところが、教科書教材で時間をかけ過ぎたり、教師が詳しく分析し過ぎますと、嫌気がさして、発展読書をする気を削がれてしまい、多読のおもしろさを体験しないままで、読書興味をなくしてしまうことになりかねないのです。指導に当たる教師は、文学作品は子ども自身が独自の学習目標を解決していく楽しみが中心で、そのための基本となる技法を養うことが重要なのだという自覚を持って指導に当たらなければならないのです。
多読は学習意欲を養うのに適した読書活動なのですが、これと似ている読書活動でも、質的には大分異なり、指導を必要とするものもあります。本をたくさん読んでいる者の中には、適切な治療的指導を必要なものとして、次の四つがあります。
@ 読書偏向児 特定の種類の本にしか興味を示さない者。少女小説、冒険小説や推理小説、SF(空想的科学小説)などにのめりこむ。
A 読書早熟児 自分の生活年齢以上の程度の高い本を好んで読む。生かじりして終わりになりやすい。
B 読書過多児 自分の読書ばかりに夢中で、友達が少なく、スポーツにも興味を示さず、孤立しがちな傾向がある。
C 読書不安定児 情緒が不安定で、思いつくままにいろいろな種類の本を読み散らす。概して読書好きで、図書館によく出入りする。
最近は、世界的規模のPISA学力調査が三年ごとに実施され、その結果が発表されて、日本の国語学力の低下が大きな話題となっている中で、平成二十年版学習指導要領が告示されましたが、これという名案はなく、教師力の低下に対する具体的な改善策も出されていません。
その最大の問題点は、学校教育の主役は子どもであるにもかかわらずに、教師が主役であるという錯覚しか持っていないとしか思えない人が多過ぎると私は思います。同じ教材を何時間も繰り返して読まされたのでは飽きがきてしまって、文学作品そのものは好きであっても、国語科の文学の授業は好きになれない者たちが続出してしまうのです。
昭和二十年八月には、第二次世界大戦に負けて、アメリカに占領されましたが、本質的な意味での反省がないままに、民主主義の教育が始まり、学習指導要領に沿った新教育が始まったのですが、占領軍が日本に与えたのは、「Course of Study」でした。日本語に直訳すれば「学習要領」となるのですが、占領軍が去って時間が経過するにつれて、「戦前のような教師中心の指導要領」と考える人が増えてしまったのです。とんでもない間違えをしたものです。そのせいもあって、学習資料に過ぎない検定教科書が、「国定教科書」でもあるかのような重圧感を持ってしまうことになったのです。
「読書学習」の授業においては、学習者自身が主体性を持ってそれぞれに、いかなる学習目標を設定するかによって、学習活動の内容がよくも悪くもなります。戦前のような、文章の内容を理解しさえすればよいのだという考え方がはびこってしまうと、物事に対して自分から疑問を持って、真実はどうなっているのかと、納得できるまで調べまくって解決していく探究心がないと、いつになっても自分の考えを持てないままで終わってしまうことになってしまうのです。
思考力を練るための方法はいろいろありますが、自分の力だけで解決するためにはどうしても、読書によって相異なる考え方とぶつかりながら、自分の思考力を磨いていくことが大切なのです。他の人の考えを聞いて解決するのは、あくまでも補助的方法に止めなくてはいけないのです。
自分の力でより深い確かな答えを導き出すためには、いろいろな方法で情報を入手して、蓄えていく必要があるのです。自分が直接体験したことはいちばんインパクトが強くてよいのですが、直接体験できることは限られています。テレビや各種の資料によって情報を入手するにしても、他からの情報には、情報元の価値観がありますから、それを吟味してかからなくてはならないのです。
他からの情報を吟味して、自分なりに公平な判断を下すことは、そう簡単なことではないのです。つまるところ、自力を養っておかないと、役に立たなくなってしまうのです。自分なりに明らかにしたいテーマを持って読書して、思考力を練っていくことは、すべての学習の中核をなすことなのです。
私は、七十三歳をもって第二の定年を迎えましたが、国語教育界にはまだ発言したいことがたくさん残っています。雑誌『教育科学国語教育』に一年間連載させていただき、その延長として、原稿を追加して一冊にまとめるという、温かい機会を与えてくださった、明治図書出版株式会社に対して、心から感謝の気持ちを表したいと思います。
/増田 信一
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- 明治図書