文芸教育80見方・考え方を軸に教科の横断・統合をめざす総合学習

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「総合的な学習の時間」の問題点が明らかになってきている中で,文芸研の見方・考え方を軸にした総合学習の実践が注目されています。80号でも5本の報告を掲載しました。


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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-324410-2
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小・中
仕様:
A5判 136頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

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特集 見方・考え方を軸に教科の横断・統合をめざす総合学習の実践
教科学習と総合学習の統合
―文芸研のめざす総合学習 /西郷 竹彦
教科学習と総合学習を結ぶ原理/ 「やまなし」から生れる疑問/ 見える世界から見えない世界を見る/ 縁起について/ すべてのものは変化する/ 二相とは/いさかいと命の輝き/ 弱肉強食と共進化/ 文芸の授業と総合学習/ 娑婆即寂光土/ すべてはお互いにつながりあっている/ 教科学習と総合学習の関係/ 文芸研の総合学習
文芸研のめざす総合学習の実践
6年 「こぎん刺し」に津軽の農民の生き方を学ぶ /高橋 睦子
5年 国語科・社会科で育てた力を環境学習へつなげる /石田 貴子/ 国語科を中心に関連指導で仲間づくりを /神里 常太郎
4年 熊本・山江村の人々のくらしや願いを紙芝居にしよう /大柿 勝彦
3年 人権学習「なかまっていいな」の実践 /遊亀 美枝
提言 総合学習と教育課程づくりの視点 /植田 健男
西郷竹彦実験授業1
まど・みちお 「おさるが ふねを かきました」の授業 報告 /井上 洋一
西郷竹彦実験授業2
まど・みちお「よかったなあ」の授業 報告 /宮宗 基行
授業後の講話
教科学習の〈ものの見方・考え方〉が総合学習を育てる /西郷 竹彦
特別寄稿
西郷文芸学の話者論とナラトロジーの話法論 /足立 悦男
書評
西郷竹彦編著『文芸研の総合学習』
あいまいさと確かさと /佐々木 智治
「総合」の方向 /和田 美保
真の学力を育てる総合学習の手引書 /村尾 聡
第36回徳島大会第一報
編集後記

見方・考え方を軸にした教科の横断・統合を図る総合学習(冒頭)

教科学習と総合学習の統合
   ―文芸研のめざす総合学習― 文芸教育研究協議会会長 /西郷 竹彦


教科学習と総合学習を結ぶ原理

 教科学習と総合学習、この両者をどのように関連づけ、統一すればいいのか、ということを中心にお話したいと思います。

 最近、教育の現場を回っていて、いつも感じることがあります。それは、「教科学習に力を入れるととても総合学習どころではない。逆に総合学習へ力を入れていくと、教科学習がどうしてもおろそかになる。なかなか両者が両立できない」というジレンマ、悩みを抱えている教師が多いということです。ここに集まっておられる先生方も、この両方をどううまく両立するか、なかなか確信がもてないのではないでしょうか。

 私どもは、自分と自分を取りまく世界を望ましい方向に変えていく主体を育てることが教育の目的であると長年主張してきました。そのためには、何が必要でしょうか。まず、教科学習を確立することです。その上にたって総合学習を展開していき、両者を統一することが必要だと考えます。

 それでは、どういう原理で統一できるのでしょうか。結論的に言いますと、ものの見方・考え方、あるいは認識の方法(「認識」とはわかること)、つまりわかり方を低学年、中学年、高学年、中学と系統的に指導することだと考えています。しかも、全ての教科でものの見方・考え方の原理をふまえた系統指導をしていくことです。そうすると、ものの見方・考え方で全ての教科を関連させ、横断することができます。

 教科には、それぞれ独自性があります。国語科には国語科の、社会科には社会科の、理科には理科の独自性があります。ですから、それぞれの独自性をふまえた指導が必要です。独自性と同時に、すべての教科には共通するものがあるはずです。すべての教科の指導は、大きな教育の目的にむかって統一されなければならないことはもちろんです。しかし、目的だけではなく、方法の上でもすべての教科に共通するものがあるはずです。その方法とは一体何かというと、ものの見方・考え方、つまり認識の方法です。算数の場合でも、理科の場合でも、社会の場合でも、国語の場合でも、ものの見方・考え方は共通なはずです。だから、ものの見方・考え方を軸にして、それぞれの教科で系統指導すると同時にすべての教科を横に関連、横断、統合することが可能になるのです。私どもはこういう考え方をこれまでずっとすすめてきました。

 「総合的な学習の時間」が文部省から出されたから、私どもは、あわてて総合学習ということを言い出だしたのではありません。教科を関連、横断、統合する理論や実践は、文部省が「総合的な学習」を言い出すずっと前、広い意味ではもう四十年も前から今日まで、文芸研が一貫してすすめてきたものです。私どもの方が、総合学習のあり方を先取りして主張してきたとも言えます。

 今日は、見方・考え方にはどういうものがあるのかをお話しする時間はありません。したがって、国語を例にして教科学習をどう確立すればいいのか、しかもそれが総合学習を展開することとどううまくつながるかに焦点を絞ってお話してみたいと思います。

 具体的に話をするために、光村版の教科書教材になっております宮沢賢治の「やまなし」と、まど・みちおの「よかったなあ」という詩を取り上げたいと思います。


「やまなし」から生まれる疑問

 「やまなし」は短い作品ですが、これを読まれると、いろいろな疑問をもたれるかと思います。専門家の間でも、それから教師や子どもたちからも、よく出る疑問があります。それは、いったい〈クラムボン〉というのは何だろうか、なぜ「やまなし」という題名になっているのかといったことです。

 〈やまなし〉は、〈十二月〉の場面の後半で少し出てくる程度です。その程度の比重しかない〈やまなし〉を、なぜ作品全体の題名にしているのだろうかという疑問です。

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