- まえがき /大森 修
- T 「読む」「書く」「話す」「聞く」指導の新展開
- 〜神経心理学からみた「読む」「書く」「話す」「聞く」〜
- U 「読む」
- 〜大森実践の新・定石化〜
- 1 小景異情 その二
- 2 話者と作者との区別―― 詩「から」の授業 ――
- 3 詩「小さなみなとの町」―― 「この詩はいつ書かれましたか」 対応を考えて発問する ――
- 4 修正するためのヒントが二つある―― 「ゆきのなかの こいぬ」の修正追試 ――
- V 「書く」
- 〜大森作文指導カリキュラムの授業化〜
- 1 読書感想文の指導を授業化する―― 『月夜のみみずく』を題材にして ――
- 2 接続詞「たとえば」で意見文を書く
- 3 作文が苦手な児童も書けた―― 大森作文指導カリキュラム ――
- 4 マンガを使い、視点によって変わる文章を書かせる
- 5 知り得たことと自分の体験とを対比させる
- W 「話す」
- 〜「話す」授業の新展開〜
- 1 軽度発達障害の子にとって優しい「話す」授業は、どの子にも優しい授業だ
- 2 話せない中学生を話せるようにするには、書かせて話させることだ
- 3 英会話の授業づくりを通して見えてきた、「話す」ことの指導
- X 「聞く」
- 〜「聞く」授業の新展開〜
- 1 優れた話し手は優れた聞き手を育て、優れた聞き手は優れた話し手を育てる「お話ファックス」をしよう
- 2 「聞く」学習のポイントは「推敲」にある
- 3 聞く力を育てるには書く力が必要である
- あとがき /松野 孝雄
まえがき
いかなる「読解力」の構造も忘れてならないことがある
PISAの調査は次のことを示している。
分からない生徒はますます分からなくなっている。
学力の二極分解である。これは小学校の教室の現実とも符合する。
六パーセント以上の軽度発達障害の子どもの存在、さらには、虐待を受けたり、ていねいに育てられていない子どもの数を含めると十数パーセントになる子どもの数がある。
国語科が担う学力は、その外の教科を理解するために必須な学力である。国語科が担う学力が「読む」「書く」「聞く」「話す」であることを考えれば了解できる。四つの学力は全ての教科で使用される力である。四つの力は、教科を超えて生活そのものである。したがって、軽度発達障害のある子どもの自立のためにも必須な力である。
では、どのようにして四つの力を習得させるかである。
特別支援教育の進展に伴って、もっとも基本的な部分をどのように指導するかが分かり始めている。
音読ができるようにする。音読ができるようにするなどということは、学校教育が担うべき最低限の責務である。
(図省略)
しかし、できるようにはなっていない現状がある。
上図で音読の経路はどこかである。(視覚情報)→(理解)→(音声)である。この経路が、音読のできない子どもがいる学級では、どのように指導したらよいかを教えてくれる。
音読のできない子どもの中には、視覚情報が入りにくい子どもがいるのだ。このような子どもがいることを前提に指導をしなければならないのだ。教師が音読をする。当然である。
次にすることは、「追い読み」である。
次は、子どもと教師が一緒に読む。
その次は、子どもが読む。このような方法は聴覚情報を十二分に入力しているのである。このことによって子どもも音読ができるようになる。
【視写】 視写は、数百年も引き継がれている学習方法である。では、視写の経路はどの経路だろうか。
(視覚情報)→(理解)→(文字)である。大人向けの視写教材(図書)が次々と出版されている。話題になる図書とならない図書がある。理由は極めて明快である。「なぞりがき」の図書の人気が高く、右の文章を左に書き写す図書は人気がない。
このことは、教室での指導でも言える。「なぞりがき」から始めるのには、いくつかの理由がある。書くことに抵抗がある子どもの中には微細運動障害をもっている子どもがいるのだ。こうした子どもでも、なぞりがきはできるのである。できることから始めるというのは、レディネス論の教えるところである。
【作文】 視写ができても、作文ができるようにはならない。なぜ、できるようにならないのかは、作文の経路が分かれば理解できる。
作文の経路は、(理解)→(文字)である。「書くことがない」という子どもの声は極めて自然なのだ。
(図省略)
このような悲鳴にも似た多くの子どもの声で、学校で採用された作文がある。
したこと作文(行事作文等)
したこと作文だと、なぜ、子どもは書くことができるのだろうか。上図左の「記憶のピラミッド」を見れば分かる。「したこと」は「経験記憶」別名思い出記憶と言われ、思い出す(記憶を引き出す)ことが容易なのである。だから、子どもは「書くことがない」とは言わないのだ。
しかし、である。書きやすい行事作文では、言語技術としての作文技術を教えるという教師の意識が弱くなった。
先の図を見れば、向山洋一氏の作文の授業の優れていることが分かる。氏は、「視覚情報」を入力して作文を書かせるのだ。多くの教師にも追試をされた授業である。
(図省略)
氏の「長く書かせる」がそれである。「先生のすること見ていなさい」と言って、教室を出て、ドアを開けて再び教室に入る。そして、教卓の前でパンと手をたたく。そして、言う。「先生が、したことをできるだけ長く、文章にしない。」
【聞く】 聞くの経路はどこであろうか。(聴覚情報)→(理解)である。
「聞く」ということをどのようにして指導するのだろうか。
「聞く」ということの指導は次のことをすることなのである。
聞けているかどうかが分かるようにする。
聞けているかどうかはどのようにして分かるのか。
「何を言ったのか『話して』ごらん。」もしくは、「大切な点を『書いて』ごらん。」となる。つまり、「話し」「書き」ができなければ、聞けたかどうかが分からないのである。
【話す】 ここまでくると、「話す」が「作文」と同様にむずかしいことが分かるであろう。
どのように指導すべきかも分かるであろう。
使っていない入力を使って指導する。
「読解力」の「構造」がいかなるものであれ、「読む」「書く」「聞く」「話す」のもっとも基本的な部分をクリアできないでいる子どものいることを忘れてはいけない。
以上のことは、いかなる読解力の「構造」を提案しようとも忘れてはならないことである。
本書は、大森の現職を退官するにあたって編集された。
稀有な編集である。
このような企画を提案していただいた江部満明治図書相談役に感謝申し上げる。
平成十九年一月 /大森 修
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- 明治図書