- まえがき
- Ⅰ 「話すこと・聞くこと」学習の目標は何か
- 一 現代社会の変容と「話すこと・聞くこと」
- 二 子どもの人間関係と「話すこと・聞くこと」
- 三 学習観の転換と「話すこと・聞くこと」
- 四 学習目標としての対話能力
- Ⅱ 対話能力とはどのようなものか
- 一 コミュニケーションをどうとらえるか
- 二 対話とは何か
- 三 対話能力とは
- Ⅲ 対話能力をどう育てるか
- 一 カリキュラムをどう組むか
- 1 「私」のことばと「公」のことばの統合
- 2 対話能力の発達を踏まえる
- 二 学習のすすめかたの留意点
- 1 文化的実践への参加としての学習
- 2 対話能力はどのような場で学習するか
- 3 活動を展開させる原理――対話を必然化する枠組をつくる――
- Ⅳ 小学校低学年
- ――ことばをつむぎ合う楽しさ(親和的対話能力)――
- 一 主題と目標
- 二 学習の実際
- (1) コミュニケーションリテラシーを高める
- (2) 自然で幸福で自由な対話を
- (3) 総合学習に位置づける
- (4) 協同的学習を通して
- 三 学習を深める手がかり
- Ⅴ 小学校中学年
- ――わかち合う喜び(聞き合う 受容的対話能力)――
- 一 主題と目標
- 二 学習の実際
- (1) コミュニケーションリテラシーを高める~コミュニケーションの仕組を考える~
- (2) 取りたて学習で、「聞いて、訊く」力を高める
- (3) 他領域の学習で、訊ね合う対話を
- (4) 単元学習で、「訊き出す」経験を
- 三 学習を深める手がかり
- Ⅵ 小学校高学年
- ――見方を広げ深める面白さ(論じ合う 対論的対話能力)――
- 一 主題と目標
- 二 学習の実際
- (1) コミュニケーションリテラシーを高める
- (2) 聴く力を取り立てて高める学習
- (3) 「比べて考える」~ミニ討論~
- (4) ディベート的討論
- (5) まとめ~討論の原点に戻る~
- 三 学習を深める手がかり
- Ⅶ 中学校・前半
- ――話し合いを運営する妙味(メタ対話能力)――
- 一 主題と目標
- 二 学習の実際
- (1) コミュニケーションリテラシーを高める~「言語行為批評」の大切さ~
- (2) 自分のことばを対象化する
- (3) 話し合いを対象化する
- Ⅷ 中学校・後半
- ――高められた合意を形成する達成感(智恵を寄せ合う 協働的対話能力)――
- 一 主題と目標
- 二 学習の実際
- (1) コミュニケーションリテラシーを高める~市民的公共性と討論~
- (2) 学び合いをめざすディベカッション
まえがき
学習指導要領が改められ、平成一四年度から、国語科に「話すこと・聞くこと」という新たな領域(くくり)が設けられることになった。年間でおよそ三〇時間(小学校)はその指導にあてよと数字まで明示された。おまけに、スピーチや発表、対話、討論といった活動例も紹介されている。いずれもはじめてのことだ。
因みに、身の回りの何人かに、これから、国語の授業で「話すこと・聞くこと」の教育に力を入れるそうだよと水を向けると、少なからぬ者が「え、外国人にじゃなくて?」とか「英語教育のことだろう」と答えた。日本人なら改めて勉強しなくても日本語は話せるでしょうにというわけであろう。「それはよいことだ」と積極的に支持する者も、理由を聞いてみると、「今の若い子のことば遣いはひどいからね」とか「人前できちんと話せるようになることは社会に出てからとても大事なことだと思う」などとさまざまである。
週休二日制に伴い、全体の授業時間が三割も削減される中、なぜ、いま、「話すこと・聞くこと」にそれだけの時間を割り当てるのか。保護者や一般市民(のうぜいしゃ)を納得させるには相当の理由づけが必要である。気持ちを固め、〝理論武装〟をしておかないと、やがて「基礎学力低下」といういつか聞いた大合唱の前に、絵に描いた餅になるおそれが十分にある。いまなすべきは、「話すこと・聞くこと」の教育がめざす理念、内容を明らかにし、その必要性を、広く、一般にわかりやすい形で説明し、社会的な合意を得ることである。ドイツでは、ナチス時代の苦い反省から、政治的意思決定に責任をもつ「成熟した市民」をめざすため議論能力を高める教育に熱心だと聞く。アメリカでも、ディベートに代表される自己主張教育が盛んだが、これも、市民がそのような力を身につけてこそ、競争の公正性が保たれ、社会の活性化が図られるという信念が人々に共有されているからであろう。どこの国でも、こうしたコンセンサスを踏まえて「話す・聞く」教育の方向を定めているのだ。
本書は、そうした問題意識から、まず、「変容する現代社会」「歪んだ人間関係」「学習観の転換」という子どもの問題を論じる際無視できない三つの文脈に照らして、「我々は何を目標にしたらよいのか」を考えた。そこから浮かび上がってきたのは、「話すこと・聞くこと」をコミュニケーション能力、もっと絞れば対話能力の学習としてすすめることの重要性である。ことばを介して他者と関わっていこうとする意欲、他者の、ことばにならないことばまでを聞き取り共感できる心、考えの異なる相手と粘り強く対話を重ね合意を形成する能力が今ほど求められているときはない。しかしながら、「話すこと・聞くこと」をそうした対話能力の育成ととらえる伝統は国語教育の中で弱い。そこで、つづく章では、対話能力の本質を明らかにしながら、系統性、体系性などカリキュラム編成の原理を探った。そして、後半は、小学校から中学校まで、学年を追って、具体的な学習のすすめ方を提案した。一読していただければわかるように、その大部分は、現場から生み出された先進的な実践の紹介である。筆者はその意義を解説したに過ぎない。
本書のもとになったのは、平成一一年四月から一二年三月まで、一二回にわたって『教育科学国語教育』誌(明治図書)に連載された「対話能力育成のカリキュラム開発」である。今度、一本にまとめるにあたり、Ⅰ章~Ⅲ章を新たに書き下ろし、Ⅳ章以降も大幅に改稿した。幸い、連載中から思わぬ反響があり、全国の先生方から実践報告や研究紀要を送っていただいた。小中学生を教えたことがない筆者にとってはまさに宝物で、どれほど学ばせてもらったかわからない。また、メールなどを通して貴重な感想、意見をたくさん頂戴した。中には、「コミュニケーション能力という多義的なことばを国語教育で使うのはいかがなものか」「技能主義に偏りすぎているのでは」といった批判も含まれていたが、そうした異論との対話を通して、筆者の論考の足らざる部分に気づき、改め、深めることができた。今回、そうした多様な「声」との交流の成果をできるだけ取り入れるように努めたつもりである。したがって、本書は、無論、文責はすべて筆者に帰するものの、掛け値なく読者との共同作業によってできたといってよい。拙著が新たな議論のきっかけになれば著者としてこれ以上の喜びはない。
「話すこと・聞くこと」といった人間生活の根本に関わる学習については、国語科教育の枠を越えた開かれた場でもっともっと論議される必要があると考える。その思いが、身に余る大きな主題の執筆を決意させたのだが、筆者のような〝門外漢〟にそうした場を提供してくださった明治図書、江部満氏の度量と勇気に心から感謝したい。
また、筆者が勤務するお茶の水女子大学の附属幼稚園、小学校、中学校、高等学校の国語科の先生方との「音声言語学習会」を通じての研究交流がなければ、到底本書は成らなかったはずである。この場をかりてお礼を申し上げる。
二〇〇一年二月 /村松 賢一
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- 明治図書