- まえがき
- T メディア・リテラシーとは何か?
- /中村 敦雄
- 一 国語の授業の「常識」をとらえ直す
- 二 メディア・リテラシーとは何か?
- 三 メディア・リテラシーの必要性
- 四 国語科としてのメディア・リテラシーのあり方
- U メディア・リテラシーと国語教育
- /井上 尚美
- 一 メディア教育は以前からあった
- 二 メディア・リテラシー論の盲点
- 三 二十一世紀の国語教育に求められるもの
- V 小学校の実践
- A 1年生だって、パソコンでカルタづくり! ──ニューメディアの活用と国語科教育をつなぐもの(小1) /望月 之美
- B 身の回りにある「説明のされ方」を考えさせる──CMづくりを通して(小4) /石川 等
- C 卒業記念映画「6年C組ズッコケ一家」を制作する──キャラクターの構想やシナリオ作成における 国語科的な学習(小6) /京野 真樹
- W 中学・高校の実践
- A 広告を題材にして意見文を書く──チラシ広告の工夫、落とし穴に目を向けて(中2) /水野 美鈴
- B 漫画でつくる放送劇──メディアの変換を通して表現する(中2) /栗原 裕一
- C 「どのメディアを使う?」──パネル・ディスカッションで考える(中2) /中村 純子
- D テレビニュース「事件の続報」──情報の内容を吟味し、ニュースの編集の仕方を考える一時間の授業(高2) /近藤 聡
- X メディア・リテラシーを育てる国語の授業づくり
- ──実践の総括 /大内 善一
- 一 メディア・リテラシーを育てる国語の授業づくりを考える前に
- 二 ニューメディアを活用して表現する能力を育てる授業
- 三 メディアを活用して情報を送り出す側の意図を理解する能力を育てる授業
- 四 メディアを活用して表現する能力を育てる授業
- 五 メディアのあり方を批判的に理解する能力を育てる授業
- 六 複数のメディアへの変換を通して表現する能力を育てる授業
- 七 パーソナル・メディアの特性を理解し効果的に活用する能力を育てる授業
- 八 メディアから送り出されてくる内容を批判的に理解する能力を育てる授業
- 九 メディア・リテラシーを育てる国語の授業の創造
- Y メディア制作の現場から
- /下村 健一 /中村 純子(聞き手)
- Z 映像文法入門
- /中村 純子
- 一 はじめに
- 二 授業のねらい
- 三 教 材
- 四 授業の展開
- 五 評 価
- 六 ポイント
- [ メディア・リテラシーと国語教育を結ぶ基礎研究
- /岩永 正史
- 一 メディア・リテラシー教育実践の背後にある問題
- 二 「映像の文法」を理解しているか
- 三 「マンガの文法」も重要だ
- 四 コンピュータを介したコミュニケーションの功罪
- 五 文字情報にも問題がある
- \ メディア・リテラシーの基礎理論
- /中村 敦雄
- 一 メディアと教育
- 二 メディアを積極的に活用する
- 三 メディアをクリティカル(批判的)に分析する
- 四 メディア・リテラシーの四分野
- あとがき
まえがき
教師にとっての新たな課題
二一世紀を迎え、学校教育全体の課題として、高度情報化社会を生き抜く主体の育成が求められている。コンピュータや映像機器などのメディア(媒体)を活用して積極的に情報を発信する、メディアを活用して情報を的確に収集・取捨選択・吟味する。いずれもこうした時代に必須とされる能力である。ところが、学校では機器こそ導入されたものの、教師が授業でどう取り組めばいいのか確信が持てない状態にある。そのため、子どもたちの能力育成も後手に回っている。
今、授業で求められているのは、メディア・リテラシーの教育である。くわしくは本文中で説明するが、新たな時代のリテラシー(読み書き能力)であり、これからの子どもたちにとって基礎となる能力である。この本では、小学校から高校までのレベルでの授業実践に関わって具体的に論じてある。教師として、ぜひとも取り組んでいこうではないか。
ところで、教育ジャーナリズムの世界では、メディア・リテラシーはブームの状態になりつつある。メディアを使えば何でもいいのだとばかりに、安直な実践も報告されている。メディア・リテラシーへの誤解が、ひいては子どもたちの能力育成に影響を及ぼしかねない。となれば、事態は深刻である。
たとえば、発表学習がコンピュータソフトの使い方教育に終始してしまい、華やかな画面に文字が飛び込んでくるような特殊効果だけが目立ち、発表内容や音声言語による説明はお粗末という授業がある。聞き手に自分たちの考えを分かりやすく伝えるという大目標が見失われ、末節の部分に学習の焦点がしぼられてしまうのは危険である。こうした過ちをおかさぬよう、教師はしっかりとした土台を踏まえておかなければならないのだ。
国語の授業の大事さ
メディア・リテラシーに取り組むにあたって、何を土台に据えるか。私たち筆者は、国語の授業を土台にすることを力説したい。メディア・リテラシーの主要部分は、国語の授業で育てるのがもっともふさわしい内容だからである。
科学技術の進歩はめざましいが、メディアとはあくまで人間にとっての手段・道具である。原稿用紙にしろ、ワードプロセッサにしろ、書くという人間の行為の観点からすると役割は同等である。教育にあっては、「何のために」その手段・道具を使うのかを見きわめることが前提となろう。メディア機器の操作ができることと、情報を分かりやすく伝え・的確に受け取ることは区別して考えるべきなのである。
高度情報化社会にあって求められている能力のうち、情報の発信や、収集・取捨選択・吟味といった能力は、言葉による伝え合いに基づくことは明らかである。写真や図表などの映像にしても、言葉と合わせて解釈されている。実際の言語活動を踏まえて授業を組み立てていきたい。国語科であれば、こうした能力を効果的に育成するための授業が実現できる。総合的な学習の時間にあっても、国語科としてのアプローチが適切であることは言うまでもない。国語の授業が果たすべき責任は大きいのだ。
ただし、私たちが言いたいのは、形骸化した悪しき国語の授業ではない。教科書を丹念に読み解き、効率よく理解することだけに時間を割く授業は、すでにその限界を指摘されて久しい。そうではなく、新しいタイプの授業に注目したい。「話すこと・聞くこと」に関しては、相手に声を的確に届ける、考えを出し合って話し合うといった授業が展開されている。「書くこと」では、相手との双方向でのやりとりを目ざした新しい試みが取り組まれている。「読むこと」では、複数の情報を読み比べたり、主張を吟味する授業が着手されている。近年の動向だけでなく、過去の蓄積の中にも学ぶべき実践は多い。
こうした授業の多くに共通することは、活動の必要性からさまざまなメディアを活用した伝え合いが行われていることである。インターネットを活用して調査活動に取り組む。インタビューを実施してその様子をビデオで撮影する。コンピュータを活用して自分たちの考えを整理・図示し、発表のための資料をつくりあげる。成果をプレゼンテーションの手法で効果的に発表する。といったように、各種メディアを手段・道具として使いこなす能動的活動が増えている。活動の多くは、グループでの話し合いなど協働的な学習として行われているのが特徴である。
右の授業の中には、そうと名づけられていないものの、りっぱなメディア・リテラシーとして評価すべき学習活動が多く含まれる。メディア・リテラシーとは、今までまったくなかった新しい活動ではない。また、この本で紹介している実践報告にあるように、コンピュータなどの機器を使わずに取り組むこともできる。メディア・リテラシーとは、特別な教室でしかできない活動ではない。どの教室でも、実現可能な学習活動なのだ。
この本の特徴について
ふたたび強調すると、私たち筆者は、メディア・リテラシーを二十一世紀の基礎能力であるととらえている。国語の時間に楽しく・わかる・力のつく授業を行って、子どもたちの能力を確実に高めていくことを目ざしている。この本では、初めてメディア・リテラシーという言葉を知った方が、実際に授業に取り組むのに必要な情報に的をしぼって説明している。基礎として必要なこと、実際の授業の展開、さらなる授業づくりの方向性を分かりやすく述べることを心がけた。
私たち筆者は、小学校から大学まで、さまざまな現場で国語の授業に取り組んでいる。これまで刊行されてきたメディア・リテラシーについての本は、横文字の翻訳・翻案が多かった。外国を理想としてわが国の現状をたしなめる論調も見受けられる一方で、実際に授業に取り組むための情報は明らかに不足していた。私たち筆者は、メディア・リテラシーの有効性を評価するだけに、こうした状態を深く憂えている。
この本は、わが国の現状から出発し、国語科という立場から、授業での実際を通してつかんだことをまとめた本であり、ユニークなものであると自負している。そうした意味で、私たちの提案として受け止めていただければ何よりである。
この提案が多くの方に共有され、国語の授業そのものをよりよくするためのステップにもなることができれば幸いである。読者諸賢のさらなる授業への取り組みを願っている。
二〇〇一年七月 編者 /井上 尚美 /中村 敦雄
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- 明治図書