- 序
- 第T部 理論編
- 1 語りというコミュニケーション,この愛語の営み
- 2 共同体の社会意識を育むコミュニケーションの場
- 3 コミュニケーション戦略,あるいはメタコミュニケーション能力の育成
- 4 愛を語り,愛を分かち合う
- 5 伝える力―分かち合うための知恵を伸ばす―
- 6 コミュニケーション行為としての聞く力
- 第U部 実践編
- コミュニティを育てるコミュニケーション教育
- 1 こんなコミュニティをつくりたい/2 コミュニティづくりと国語教育/3 授業づくりの戦略/4 授業の実践/5 まとめ
- 1 語り合い,語り継ぐコミュニティ
- @ 語りのコミュニティ
- A いのちのコミュニティ
- B 「笑い」のあるコミュニティ
- 2 文芸を愛し本を楽しむコミュニティ
- @ 清らかに心を通わせる文芸コミュニティ
- A 読書コミュニティ
- B 出版・読書コミュニティ
- 3 地域への愛着を分かち合うコミュニティ
- @ 来らっせ外川の町へ
- A 伝えよう私たちの街
- B 成田昔,今,そして未来を語り合おう
- 4 国語教育研究を磨き合う教師コミュニティ
- @ 研究コミュニティが教師や子どもを変える
序
千葉大学教育学部教授 /寺井 正憲
今,話し言葉によるコミュニケーションの授業が盛んに行われている。国語科はもちろんだが,社会科や理科,総合的な学習の時間などでも単元の終わりは発表活動と相場は決まっているくらい,プレゼンテーション活動が行われている。しかし,大体どれも似ていて,とりあえず発表会があるから話し手は発表し,聞き手もまあ発表会があるから聞いているという感じで,とても切実に伝え合っているようには見えない。そのような姿が多くの実践で見受けられるということは,単に実践一つ一つの問題というよりも,コミュニケーションの学習指導全般が言わば頭打ちの状態になっているということかもしれない。
平成元年版学習指導要領の時代に「新しい学力観」に基づく学習指導の考え方が出されて,それと軌を一にして国語科では次第に音声言語の学習指導が行われるようになった。平成元年版学習指導要領国語では小・中学校ともに「第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い」に「音声言語のための教材を開発したり活用したりするなどして指導の効果を高めるよう工夫すること」が示され,さまざまな教材が開発され実践された。
そして,平成10年版学習指導要領国語には「伝え合う力」が登場して,目的意識や相手意識,場面・状況意識,方法意識などの言語意識を働かせるような学習の場を開発して,効果的に伝え合う活動が生み出されてきた。教科書にも「話すこと聞くこと」の単元が意図的に設定され,全国的に話し言葉によるコミュニケーションの授業が広く行われるようになった。特に,小学校版の解説書には,「第1章 総説」の「第5節 他教科,道徳および特別活動などとの関連」に「国語科の学習だけでなく,それ以外のあらゆる機会を視野に入れて,それらとの関連にも十分に配慮した指導計画,学習内容,学習方法を工夫したり開発したりすることが必要である。」(10ページ)と示され,国語科以外でも場をつくって盛んに伝え合う活動が行われている。それは,言語生活の中で実際に必要とされる言語意識を働かせて,効果的に言語を運用する能力を身に付けさせようとする国語学習を指向している点において,とにかく何とか工夫して話したり聞いたりさせようとしていた平成元年版の学習指導要領の頃よりも前進しており,今や量的には話し言葉によるコミュニケーションの学習指導がある程度確保される時代になったといえる。
では,その学習指導の質はどうだろうか。一つ一つの授業を検討すると,その実態は必ずしも切実に伝え合っているようにはどうも見えない。どうにかして相手に分かってもらおうとか,相手の言うことを理解しようとかいうような,子どもたちが知恵を総動員して伝え合っている姿には見えない。知恵を働かせて伝え合おうとしないような,悪くいえば先生に言われるからやっているような状態の活動をいくらやっても,伝え合いに本当に必要なコミュニケーション能力が育つとは思えない。だが,視点を変えれば,コミュニケーション学習指導の量が確保されているということは,その量の中から質を磨き上げるチャンスとも考えることができる。
言わば,頭打ちの状態にあるともいえるコミュニケーション学習指導の現状を何とか進展させて,今よりもう一段豊かで意味のある学習を実現し,子どもたちのコミュニケーション能力をもう一段伸ばしたいというのが,本書の第一の問題意識である。
コミュニケーションの学習指導でもう一つの問題だと思われることは,その授業が成功しても失敗しても学級経営の問題に帰せられてしまう点である。伝え合いをテーマにした授業研究に立ち合うことがあるが,協議会では,まずまず良好な授業になったときには参観者は「学級経営がいいからね」というような感想を述べる。逆に,問題のある授業になったときも,表立っては言わないけれども,研究会解散後に「学級経営がどうもねえ」というような感想を洩らす。この場合,学級経営が良いとか悪いとかというのは,授業以前の担任教師の人間的,教育的な力量とその結果生まれる学級づくりの良し悪しを指しているわけであるが,一旦学級経営という言葉が出ると,国語教育はもうそこからは立ち入ることができなくなって,授業を国語教育的な視点から検証する思考はストップしてしまう。
しかし,これはおかしい。なぜかといえば,学級が学級としてあるのは,制度として学級があるからではなく,その中で行われるコミュニケーションが人々を結び付けることで学級がコミュニティとなるからである。家庭,学級,学校,社会などのコミュニティがコミュニティとしてあることとそのコミュニティで営まれるコミュニケーションとは本来は不可分なもので,コミュニティがあるからコミュニケーションがあるともいえるが,コミュニケーションがあるからコミニュティもあるのだともいえる。「この学級の子どもたちはコミュニケーション能力は高いけど,学級自体は不安定だよな」という感想がもしあるとしたら,それでは本当にコミュニケーション能力が高いということにならないのではないか。つまり,学級の問題というのも実はコミュニケーションの問題なのであって,コミュニケーションの問題となれば,それは十分に国語教育の問題となりうる。
ところが,これまでの国語教育や学校教育では,多くの場合コミュニケーション教育を単にコミュニケーション能力の育成の問題としてだけ考えがちであった。だから,学級経営とは区別して考えて,国語教育では通り一遍の技能を教え,活動させるだけの授業で済ませてしまう。伝え合う力の解説に「激しく変化するこれからの社会をよりよく生きていくためには,互いの立場や考え方を尊重して言葉による伝え合いを効果的にし,相互の理解を深め豊かな人間関係を構築し,協力して社会生活を向上させていくことが必要である」(『中学校学習指導要領解説―国語編―』文部省,1999年,10頁)との理念が示されているが,これは国語教育がこの理念を実現する使命を担っていることを示すとともに,通り一遍の技能や活動ではとてもこの理念は実現しようもないことも理解される。本気でこのことを実現しようとするのなら,「社会生活を向上」させるためには,言い換えれば望ましいコミュニティを生み出すためには,どのようなコミュニケーションやその能力,態度が必要かを考えて,それを実現する学習活動を組織することが必要であろう。
このように,これまでコミュニケーション教育の問題としてあまり考えられてこなかったコミュニティづくりについて,国語教育,コミュニケーション教育と結び付けて提案していきたいというのが,本書の第二の問題意識である。
このような問題意識をコミュニケーション教育で持つようになったのは,語りの存在があったからである。1999(平成11)年に子どもたちに地域の民話を語らせる授業づくりに関わって以来,また前著『ことばと心をひらく「語り」の授業』(青木伸生との共編著,東洋館出版社,2001)以降も,小学校や中学校において語りの授業づくりのお手伝いをし,また自身でも大学の授業や小・中学校への飛び込みの授業などで語りの授業づくりを通して,次第に先のような問題が意識化されてくるとともに,語りの授業づくりの知見を生かせばコミュニケーション教育に関わるいろいろな問題を改善していけるにちがいないと思えてきた。実際,小学校1年生から中学生,高校生,それに大学生にいたるまで語りの授業づくりに携わった経験からいえば,どの実践においても子どもたちは充実した満足感や達成感を持ち,コミュニケーションの能力や態度に進歩が認められる。緘黙や自閉症の子どもたちも語りなら人前でちゃんと語ることができるのである。そして,実践した先生方も,子どもたちのそういう姿を目の当たりにすることによって,改めて語りのよさを実感してくれるようだ。毎年必ず語りをやっていますとおっしゃってくださる方もいる。
そもそも語りとは,語り手が記憶する話を聞き手に語り聞かせることであり,お話,口演童話,ストーリーテリングを総称して使っている。本書では,落語やパネルシアターなども語りに含めて考えていこうとしている。これまで国語教育では,大正期から大人が子どもたちにお話を語って聞かせるというものとして使ってきたが,本書では子どもたちを語り手とすることによって,そこにコミュニケーション教育をはじめとするさまざまな国語学習を成立させようとしている。
語りの学習は,通常次のような学習過程となる。単元の初めで,まずは多くの場合大人の語りを聞く体験をする。それから,今度は自分で語る民話や物語を探して選ぶ。ついで,その民話や物語を読み込み,情景や心情を豊かに想像し全体の構造やメッセージをつかむ。そして,全体の構造を押さえつつ場面ごとにお話を覚え,語り込む中で,聞き手とともにお話の世界をつくり維持する体験を積み,自分の語りをつくり上げる。最後に,発表会でつくり上げてきた語りを語り,他の語りを聞く。この過程で,大まかに見ても,次のような国語学習が成立すると考えられる。
〈コミュニケーション教育,話し言葉教育として〉
〇声に出し,聞き手に分かりやすく豊かに物語の世界を伝えるコミュニケーションの学習が成立する。一見独話の形態でスピーチ学習に類似するが,スピーチ学習よりも語り手と聞き手の間にできる場が親密で,両者の間には目には見えないが,確かな心の交流が成立する。その意味で,原初的とでもいえるコミュニケーションの様態を認めることができる。
〇何度も同じ話を語ることができ,繰り返し実演する中で,語り手の音声言語能力は向上し,人前に立って語る度胸も養われてくる。
〇現在の話し言葉教育ではあまり注意を払われていない非言語コミュニケーションの能力が養われる。
〇「よい語り手はよい聞き手」という言葉があるように,何度も語り何度も聞く経験を積むことで,聞き手としての技能や態度,姿勢が養われてくる。
〇互いの語りを語り合い聞き合う場では,語り手も聞き手も自己開示して,互いの語りや存在を尊重し合うような状態ができ,そこに豊かな人間関係の学習が成立する。
〈読書指導として〉
〇語るための話を探す段階で,物語系列の読書活動が豊かに行われる。
〇語りが実演されるようになると,いろいろな語りを聞くことで,耳からの読書活動が行われる。もちろん,語りで聞いた話を本で読み直そうとするような読書にも発展する。
〈読解指導として〉
〇語るために,話を読み込み,脚本をつくり,覚え,語り込んでいく過程を通して,物語の構造を理解し,情景や心情を豊かにイメージ化する,文学系列の読解活動が成立する。
〇語りを聞く段階で,物語を想像豊かに聞く活動(聴解活動)が成立する。
〈書くことの学習指導として〉
〇脚本づくりの中で,物語の全文視写や書き換え,あるいは書き込みなどの,読解活動に結び付いた書く活動を行う。
〇自分で創作した話を語る場合,物語を書く活動を行うこともできる。
〈地域学習,総合的な学習として〉
〇語る話として地域の民話や歴史的な話題を取り上げることで,地域の文化や歴史について学習する。
〇地域に取材活動に行ったり,地域の語り部やストーリーテラーを招いたり,完成した語りを地域の人たちに聞いてもらったりすることを通して,地域の人たちと交流し,そこに地域に対する愛着が生まれ,また豊かなコミュニケーション学習が成立する。
(『ことばと心をひらく「語り」の授業』24,25頁による)
これ以外にも,一般的に指摘されるように昔話や民話,物語などのお話を聞くことによって,文学教育や情操教育の面からも高い成果が得られるものと思われる。
前著『ことばと心をひらく「語り」の授業』では,語りの授業づくりを中心に述べており,語りの授業をなさりたい方は前著も合わせてご覧いただきたい。ただ,前著では語りのコミュニケーション教育としての価値の一端にしか触れていない。そこで,本書では,コミュニケーション教育に絞って,前著以降に考えたり実践したりしたことに基づき,大きくは先述の二つの課題をめぐって国語教育が語りから学ぶべき知見を考察し提案するとともに,その知見を語り以外のコミュニケーション学習指導に生かす可能性を論じ,併せて具体的な授業実践を提案していきたい。
上巻では,以上の課題に対して,理論編として語りから学ぶことのできるコミュニケーション教育の考え方や実践に関わるいくつかのアイデア,方法について提案を行う。また,これに加えて,実践編として,主に第二の課題に関わって,コミュニティづくりと関係付けた国語教育,コミュニケーション教育の実践を提案している。下巻では,実践編として,主に第一の課題に関わって,コミュニケーション学習指導を今よりもう一段豊かで意味のあるものにし,これまであまり意識されずにきたメタコミュニケーション能力やノンバーバルコミュニケーション能力などにも注意を払い,知恵として生きて働くコミュニケーション能力を磨き伸ばす授業実践について提案する。
最後になったが,理論編は『実践国語研究』242,244,246,248,250,252(明治図書,2003年5月〜2004年3月)に「語りに学ぶコミュニケーション教育」と題して連載したものである。この連載の機会を与えてくださった文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官の井上一郎先生に心より感謝申し上げる。また,本書刊行に当たって,編集の間瀬季夫氏,松本幸子氏に多大なお力添えをいただいた。ここに記してお礼を申し上げる。
2006年12月 編著者
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- 明治図書