- 読者へのメッセージ
- T 構造よみ
- 「モチモチの木」の構造表
- 構造に関わって予想される児童の異論・異説とそれに対する教師の指導言
- U 形象よみ
- 導入部
- 【時】
- ア 時代
- イ 季節・時刻
- 【場】
- 【人物】
- ア 豆太
- イ じさま
- ウ モチモチの木
- 工 豆太のお父ゥ
- 【事件設定】
- 展開部
- V 主題よみ
- 山場の部
- 終結部
- 〈題名よみ〉
- 〈主題〉
- ○教材『モチモチの木』
科学的「読み」の授業研究シリーズ読者へのメッセージ
最近、一つの教材の全授業、全発問という表題を持った本が出版されている。これは良いことだと思う。いままで、一時間の授業、短い授業の記録や報告で済まされることが多かったからである。しかし、本当はそれでは、授業の実際はわからないのである。それに国語教育界が気付いてきたのは一段の前進だと思う。
ところで、この科学的「読み」の授業研究会のシリーズとして今回始まるものは、それとは幾らか違うものになるだろうと思う。
私たち、科学的「読み」の授業研究会(面倒なので、以下『よみ研』という)では、一時間の授業が問題ではなく、教材を一つの単元として全体をどう授業するのかが問題だと考えている。そしてまた、単に授業が成立するというだけでは、国語教育にはなり得ないとも主張してきた。それはなによりもまず、読みのちからを生徒たちの身につけるような指導として、毎日、毎時間なされているかが重要だとかんがえる。
そう考えるならば、私はまず教師が教材を読む力があるかどうかが問題になると思うのである。そして、私は残念なことには、現在まで、教師は教材をまともに読んではこなかったのではないかという疑いを持っている。
たしかに、教師ともなれば、教科書くらいは読めると思っているであろうし、また、そういう意味では、読めることを疑っているわけではない。
小・中・高校の生徒の不満の一つに、「国語の時間には、読んでもう分かっていることを、先生が尋ねるので嫌だ」という声がある。
つまり、普通の学力を持った者には、読めている次元の読みを教師が問題にしているということである。これでは教育にはならない。
上のような読みを私は「表層の読み」と呼んでいる。つまり、書いてあることの意味を理解するという次元のことである。読みには、更にその上に「深層の読み」とでも呼ぶ次元の読みがある。これを生徒はなかなか読めない。教師でもぼんやり読むと読めない。その読みを教え、方法を身に付けさせるからこそ、国語教育は重要なのである。
この「深層の読み」とはなにか? それについて、自覚的に追及したのは、恐らく私が初めてだろうと思う。
昔から、行間を読む、文脈を読む、紙背に徹す、裏を読む……と言われてきた。それは自覚的ではないが、「深層の読み」を指している読みである。ただその方法を明らかにせず、読みの名人が直観で読み取っていただけなのである。私の読みはそれを自覚化し言語技術教育としてそれを方法化し体系化したのである。そして、その一つが、文学作品の読みの方法であり読みの授業過程である「構造よみ」「形象よみ」「主題よみ」と呼ばれるものである。
この方法で授業をやっていくためには、まずどうしても、教材となる、説明的文章や文学作品の教材研究が必要になる。つまり、教材を読むことである。それは、先に述べたように、教師自身が本当に教材を「深層の読み」の次元まで読めているかどうかが問題だからである。そしてそれは、個人的に教師の責任とも言い切れない。
教材研究は教師の協同だけでなく、研究者と協同で完成するべき性質がある。そのようにして、一つの教材について一応完成された教材研究ができたときにそれを、教材研究の定説化ができたと私は考えるのである。
実際は研究者とのそのような協同作業どころではなく教師相互の協同も今の所できない。そのために、このシリーズではその教材研究の定説化のための叩き台となるものをシリーズ化して提供しようとしたのである。
よみ研では実践家がそれぞれ自分の得意のレパートリーを持って、その教材についても専門家となることを目指してきた。その一応の成果がこのシリーズなのである。だから、叩き台と謙遜しては述べたが、それなりに、今までになかった精緻な深い、深層の読みが試みられているはずである。今後はこの教材に関しては授業者はこのシリーズを無視しては客観的な読みの授業をすることはできないだろうと思う。
ところで、この教材研究の定説化の試みは、それで終わるわけではない。
教材研究だけで授業は成立しない。これを土台にして、教師はどのような指導言をくみ、どう提言と序言を組み、それをどのような人間的行為とするかという、教師本来の重要な実践的仕事が残っている。そうして、それをメドにしてやれば一応誰でもが一定の水準の授業がやれるようなものを協同で作り出すのである。それを我々は授業の定式化と呼んでいる。その一応の定式化が試みられなくては、授業としては完成しない。日本の中の生徒の読みの力をほんとうに毎日着実に身につける授業とはならない。
このシリーズの第一期では、その授業の定式化については、基本的と思われる指導言の試みしかのべられていないと思う。さらに研究と実践の試みをつづけねばならない。シリーズを更に充実させる決意でいる。
しかし、とにかく科学的「読み」の授業研究会=よみ研の最初の成果が世に出るのである。ここから、遂に新しい国語教育が科学的、客観的な読みをめざして始まったのである。
平成三年三月三日長男の結婚式、私の六一回の誕生日の日に /大西 忠治
現場の先生だけでなく教職をめざす学生にも読んでおいてもらいたい名著です。