- まえがき
- 本書の使い方
- Ⅰ 大和時代に関するクイズ
- [1] 607年
- 日出ずる処の天子 書を 日没する処の天子に致す。恙なきや。
- Q1 「日出ずる処の」とは,どこの国でしょう。
- Q2 「天子」とは,だれのことでしょう。
- Q3 「日没する処の天子に致す」とは,どういうことでしょう。
- Q4 「恙なきや」とは,どういう意味でしょう。
- Q5 この手紙を見た,中国の天子は,どう思ったでしょう。
- Q6 この手紙を出したのは,だれでしょう。
- 解説
- [2] 645年
- 蘇我氏を許せない。
- 朝鮮半島から使者が来る日に,入鹿を暗殺しよう。
- Q1 「蘇我氏を許せない」といったのは,だれでしょう。
- Q2 「朝鮮半島から使者が来る」というのは,何のための使者でしょう。
- Q3 「蘇我入鹿を暗殺しよう」というのはどうしてか。
- Q4 入鹿を暗殺しようとした中心人物はだれですか。
- 解説
- Ⅱ 奈良・平安時代に関するクイズ
- [3] 奈良時代・759年
- あおによし 奈良の都は咲く花の におうがごとく 今さかりなり
- Q1 「あお(を)によし」とは,どういう意味でしょう。
- Q2 「奈良の都」というのはどこのこと。
- Q3 「咲く花の」の「花」は,何の花でしょう。
- Q4 「におうがごとく」の「におう」とは,どういう意味でしょう。
- Q5 このうたは,だれがよんだものでしょう。
- 解説
- [4] 759年(万葉集)
- から衣 裾に取りつき泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母なしにして
- Q1 「から衣」とは,どんな衣でしょう。
- Q2 「裾に取りつき泣く子ら」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 このうたは,一体どんな人がよんだものでしょう。
- Q4 「置きてぞ来ぬや」とは,どういう意味でしょう。
- Q5 「母なしにして」とは,どういう意味でしょう。
- Q6 どうしてこんなうたがつくられたのでしょう。
- 解説
- [5] 936年
- 男もすなる日記といふものを 女のわたしも書いてみよう
- Q1 「男もすなる日記」とは,どういうことでしょう。
- Q2 「女のわたしも書いてみよう」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 この文はだれが書いたものでしょう。
- Q4 これは,いつごろのことでしょう。
- Q5 どんなきっかけで,日記を書いてみようとしたのでしょう。
- Q6 この作品を何というでしょう。
- 解説
- [6] 1016年
- この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思えば
- Q1 「この世をば」とは,どんな世の中のことをいっているのでしょう。
- Q2 「わが世」とは,だれの世のことでしょう。
- Q3 「望月」とは何のことでしょう。
- Q4 「かけたること」とは,どういうことでしょう。
- Q5 この句はだれがよんだものでしょう。
- Q6 この句をよんだのは,いつごろのことでしょう。
- Q7 どんな状況の中で,こんなことばが出たのでしょう。
- Q8 この句をよんだ一族が栄えた大もとは,いつごろ,どんな手柄をたてたことが原因でしょう。
- Q9 Q8の後,どのようにして,勢力を伸ばしていったのでしょう。
- Q10 この句をよんだ後,この一族はどうなっていったでしょう。
- 解説
- [7] 1167年
- 平氏でない者は,人ではない
- Q1 平氏とは,だれのことでしょう。
- Q2 「人ではない」というのは,どういうことでしょう。
- Q3 このことばは,一体だれがいったのでしょう。
- 解説
- Ⅲ 鎌倉・室町・安土桃山時代に関するクイズ
- [8] 1221年
- みなの者,ようく聞け!
- 朝廷から差別され,搾取され続けた武士たちを,
- 今の地位に引き上げたのはだれか。頼朝ではなかったのか。
- その恩に報いるのは,まさに今である。
- もし,朝廷に従う者あれば,引き止めはしない。
- ただ,私を斬り捨てて行きなさい。
- Q1 この演説は,だれがやっているのでしょう。
- Q2 この演説の対象になっているのはどんな人たちですか。
- Q3 この演説は,どんなことがおこったときなされましたか。
- Q4 この公家による反乱を何といいますか。
- Q5 この公家による反乱は,西暦何年におこりましたか。
- Q6 この結果,どのようになりましたか。
- Q7 この戦いに勝った鎌倉幕府は,どのようになりましたか。
- 解説
- [9] 桃山時代
- 日本の最も富める港にして,国内の金銀の大部分集まるところなり
- Q1 「日本の最も富める港」とは,どこのことでしょう。
- Q2 「日本の最も富める港」といったのは,だれでしょう。
- Q3 このことばを発したのは,西暦何年ごろのことでしょう。
- Q4 このことばを発した人たちは,日本に何をしにきたのでしょう。
- Q5 16~17世紀のはじめ,スペインやポルトガルと貿易をしたことを「なに貿易」というでしょう。
- 解説
- [10] 1582年
- 人間五十年,下天の内をくらぶれば,夢幻の如くなり,
- ひとたび生を得て,滅せぬ者のあるべきか
- Q1 「人間五十年」というのは,どういう意味でしょう。
- Q2 「下天の内」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 「夢幻の如く」とは,どういう意味でしょう。
- Q4 「滅せぬ者のあるべきか」とは,どういう意味でしょう。
- Q5 このことばをいったのはだれでしょう。
- Q6 このことばは,どんな状況のときいったのでしょう。
- Q7 このときの合戦を何といいますか。
- 解説
- [11] 1598年
- 露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢
- Q1 「露と落ち 露と消えにし わが身かな」とは,どういう意味でしょう。
- Q2 「難波のこと」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 これをいったのは,だれでしょうか。
- Q4 いつごろ,どんな状況の中でよんだのでしょう。
- 解説
- Ⅳ 江戸時代に関するクイズ
- [12] 1615年
- 「もうだめだ。腹を切る!」と,二度まで叫んだのはだれか
- Q1 「もうだめだ」というのは,何がだめだったのでしょう。
- Q2 「腹を切る」とは,どういうことでしょう。
- Q3 二度まで叫んだのは,一体だれでしょう。
- Q4 いつごろのことでしょう。
- Q5 この戦いの後,徳川家はどうなったでしょう。
- 解説
- [13] 1623年
- 余は 生まれながらの将軍である
- Q1 「余は」とは,だれのことですか。
- Q2 「生まれながらの将軍である」とは,どういう意味ですか。
- Q3 このことをいったのは,西暦何年ごろですか。
- 解説
- [14] 1637年
- 「裏でポルトガルが,農民を援助している」と,幕府にふきこんだ
- Q1 「裏でポルトガルが,農民を援助している」とは,どういうことでしょう。
- Q2 これは,ある「乱」であるが,何という乱でしょう。
- Q3 この乱は,どういうことからおこったのでしょう。
- Q4 幕府にふきこんだのは,だれでしょう。
- Q5 乱の結果は,どうなったでしょう。
- Q6 この乱がおこったのは,西暦何年でしょう。
- Q7 乱をしずめた後,幕府はどんな政策をとったでしょう。
- 解説
- [15] 17世紀
- 江戸時代,唯一の世界的な輸出品だった日本の商品は何か?
- Q1 江戸時代,唯一の世界的な輸出品は何だったか?
- Q2 世界的な唯一の輸出品であった有田焼は,いつごろつくられたのか?
- Q3 「有田焼」を注文したのは,どこの国の人だったのか?
- Q4 どうして「有田焼」が注目をあびるようになったのか?
- Q5 古九谷と有田焼は,同じなのか,別物なのか?
- Q6 「有田焼」が,各地の遺跡の年代を計る「ものさし」として役立っているというが,本当か?
- Q7 ヨーロッパでは,有田焼はどのように使われたのか?
- Q8 ヨーロッパ王侯貴族は,有田焼をもっていることがステータスシンボルになったというが,本当か?
- Q9 有田焼を入手するため,自国の兵隊と交換した王様がいたというが本当か?
- Q10 有田磁器は,ヨーロッパだけでなく,アジアにも大量に輸出されていたというが,本当か?
- 解説
- [16] 1649年
- 1.早起きをして,朝は草かり,昼は田畑を耕し,夜はなわをない,たわらをあむこと
- 2.酒や茶は買って飲まないこと
- 5.麻や木綿以外の着物は着ないこと
- Q1 これは,農民にいっているようだが,どうしてこんな注意をしたのでしょう。
- Q2 この農民へのきまりを何というでしょう。
- Q3 これは,いつごろ出されたでしょう。
- Q4 このきまりの目的は,どんなことでしょう。
- 解説
- [17] 1774年
- 櫓舵なき船の大海に乗り出せしが如く,茫洋として寄るべきかたなく,ただあきれあきれて居るまでなり
- Q1 「櫓舵」とは,何のことでしょう。
- Q2 「茫洋として寄るべきかたなく」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 これを書いたのは,だれでしょう。
- 解説
- [18] 幕末のころ
- スエズ以東の最先端地域だったのはどこか?
- Q1 スエズ以東とは,どういうことか?
- Q2 最先端地域とは,どこだったのか?
- Q3 どんなことで最先端地域だったのか。
- Q4 スエズ以東で最先端地域は,実は日本であった。日本の何県でしょう。
- Q5 どんな機械つくりで最先端地域だったのか?
- Q6 どうして佐賀県が,スエズ以東の最先端地域地・県になったのか。
- Q7 佐賀藩が驚くべき早さで蒸気機関車を造りあげたのはどうしてか?
- Q8 「明治政府」を成立させたのは佐賀藩だったといわれるが,それはなぜか?
- Q9 日本は科学技術の進んだ国といわれているが,そのもとをつくったのは佐賀県といってよいか?
- 解説
- [19] 1806年
- 「北の黒船事件」とは,どんな事件なのか?
- Q1 「北の黒船事件」とは,いつ,どこでおこったのか?
- Q2 どうしてこんな事件をロシアはおこしたのか?
- Q3 北の黒船事件は,いつ,明らかになったか?
- Q4 斉藤勝利の『松前詰合日記』が偶然みつかってから,どんなことがわかったのか?
- Q5 斜里の郷土史家,日置順正(96歳)は,斉藤勝利の日記をみたあと,津軽藩の本拠地だった青森県弘前市の図書館へいき,斉藤の日記をうらづける資料をさがしたが記録はなかった。そこで,斜里からの資料,つまり「斉藤の日記」を出すと大さわぎになった。それはなぜか?
- Q6 「斉藤勝利」と「高倉新一郎」の2人がいなかったら,斜里事件は永久に世に出ることはなかったといわれるが,それはなぜか?
- Q7 100人のうち,72人も死亡するという大事件を,どうして封印されたのだろうか。
- Q8 津軽藩士は,斜里へ何をしにいったのか。命を失うようなところへいくことないのに。
- Q9 津軽藩士は,どんな道順をたどって「斜里」までいったのか?
- Q10 ロシアが日本の北海道に求めていたものは何か?
- Q11 ロシアに北海道や樺太,千島列島を攻められた日本の江戸幕府は,どんなことを意識したのか?
- Q12 津軽兵は,ロシア兵と戦ったのか?
- Q13 この北の黒船事件をきちんと始末しておれば,ペリーがきたときあわてることはなかったのに,と思うのだがどうか?
- 解説
- [20] 1806年
- 大平の ねむりをさます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠られず
- Q1 「大平の~」という「大平」とは,どんな意味でしょう。
- Q2 「ねむりをさます上喜撰」とは,どんな意味でしょう。
- Q3 「たった四杯」とは,どんなことでしょう。
- Q4 「夜も眠られず」とは,どういうことでしょう。
- 解説
- [21] 1868年
- 白虎隊は,どうして城が落ちる前,つまり,敗戦より前に集団自決したのか?
- Q1 そもそも「白虎隊」とは,どんなものだったのか?
- Q2 「白虎隊」というのは,何人くらいいたのか?
- Q3 「白虎隊」は,身分が高かったのか。それとも低かったのか?
- Q4 「白虎隊」の少年たち19人が,戦いが始まってわずか2日後に,集団自決したのはなぜか?(城が落ちたのは1月後であった)
- Q5 白虎隊が城が落ちる1か月も前に自決したのはなぜか?
- Q6 白虎隊の中で,2人生き残っている。それはどうしてか?
- Q7 生き残った2人は,少年たちの行動や考え方などを詳しく説明したのか?
- Q8 白虎隊の眠る飯盛山の墓には,観光客が絶え間なく訪れているというが本当か?
- Q9 鶴ヶ城は,いつ落ちたのか?
- 解説
- Ⅴ 明治時代に関するクイズ
- [22] 1872年
- 日本最初の鉄道は,1/3は海の上を走っているのはどうしてか?
- Q1 わずか29㎞の,日本最初の新橋~横浜間の鉄道は,上のイメージ図のようなところが1/3もあるというが,どこにあるのか?
- Q2 駅は,いくつあったのか?
- Q3 図をよくみると,手前に道,次に海,盛土した上を走る鉄道,そのむこうは海になっている。手前の道から盛土しているところまで,何メートルくらいあるのか?
- Q4 海上を走らせたのは,わざと走らせたのか。それとも,しかたなく走らせたのか?
- Q5 鉄道に反対したのは,どんな人たちですか?
- Q6 政府の中で積極的に反対した人はいなかったのか?
- Q7 「日本中が反対した」のに,鉄道を造ることに命をかけたのはだれですか?
- Q8 金もない,技術もない,資材もない,必要性もないのに,どうしてむりして鉄道を造ったのか?
- Q9 880億円という莫大な建設費(これは当時の政府の歳入の1/3にもなる)は,どこからもってきたのか?
- Q10 早く造らないと,明治政府がパンクする。一揆がおこるし,反対運動はあるしで,大急ぎで測量を始めた。その結果はどうだったか?
- Q11 六郷橋(今の多摩川にかかる橋)617mは,きちんとできたのか?
- Q12 エピソードには,どんなことがありましたか?
- Q13 最高スピードは,どのくらい出たのか?
- Q14 最も人気のあった場所はどこだったか?
- Q15 わずか29㎞の鉄道であったが,日本政府にとってどんな効果があったか?
- Q16 新橋~横浜間の鉄道造りから,日本の鉄道造りのどんなことがみえるか?
- 解説
- [23] 1872年
- 天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずといえり
- Q1 「天は~」というのは,どういう意味でしょう。
- Q2 「天は人の上に人を造らず」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 「人の下に人を造らず」というのは,どういう意味でしょう。
- 解説
- [24] 明治のはじめ
- ザンギリ頭をたたいてみれば,文明開化の音がする
- Q1 ザンギリ頭って,どんな頭?
- Q2 ザンギリ頭にしたのは,男ですか,女ですか?
- Q3 「チョンマゲ」とは,どんな髪型?
- Q4 「たたいてみれば」というのは,どうしてか?
- Q5 「文明開化の音がする」とは,どんな音か?
- Q6 「文明開化」ということは,どういう意味か?
- Q7 文明開化の象徴は,具体的にはどんなことだったのか?
- 解説
- [25] 1876年
- 少年よ 大志をいだけ
- Q1 「少年よ」というのは,どんな人をさしているのでしょう。
- Q2 「大志をいだけ」の「大志」とは,どんなことでしょう。
- Q3 クラーク博士のやってきたのは,日本のどこか。
- 解説
- [26] 1877年
- 西郷隆盛が,「しまった!」といったのは,どんな意味か?
- Q1 西郷は,ある報告をきいて,「しまった」といったという。どんな報告だったのか?
- Q2 鹿児島士族は,どうして政府の火薬庫を襲ったのか?
- Q3 深夜に,突然,火薬や弾薬を運び出そうとしたのは,明治政府が計画的に鹿児島を挑発したのだというが本当か?
- Q4 明治政府は,明治9年8月,士族の特権を奪う「秩禄処分」を発表した。これは,政府から士族に支給されていた「給与・秩禄」を打ち切るというものであった。つまり,士族を追い詰めたのはなぜか?
- Q5 西郷は政府をやめて鹿児島へ帰り,「私学校」を創っているが,これは,どんなもので,なぜ創ったのか?
- Q6 西郷は,何が不満で鹿児島に帰ったのか?
- Q7 西南戦争は,「戦争」といわれるくらい大戦争であった。1つの県が政府の軍隊と戦って,どうして大戦争になったのか?
- Q8 西南戦争から,どんなことがいえるのか?
- 解説
- [27] 1900年
- 板垣死すとも 自由は死せず
- Q1 「板垣」とは,どういうことでしょう。
- Q2 「自由は死せず」とは,どういう意味でしょう。
- Q3 このことばは,どんな状況の中でいわれたものでしょう。
- Q4 これは,いつごろのことでしょう。
- Q5 このことばが出るような運動を何というでしょう。
- 解説
まえがき
はじめは,「北の黒船事件」や「白虎隊」のこと,「佐賀の機関車」のことなどを書きたいと考えていた。樋口編集長が,「歴史に残った名言クイズ」のようなものが面白いのではないか,と提案してくださった。
クイズの本は何冊も書いたが,「名言クイズ」は書いたことがない。これは面白いし,新しい歴史書になると考え,まず「名言」を集めようとした。ところが,意外にいいものがみつからない。『日本の名言集』などの本を買って読んでみたが,これは名言集というより,格言集のようで,歴史学習に使えるものはわずかであった。
そこで,『学習百科事典』を2冊,ていねいに読んだ。さすが百科事典だと思った。『堂々日本史』も,全巻目を通し,面白そうなものをひろい出した。『日本の歴史』(中央公論社)31巻も,大あらまし目を通した。
厚い本をこんなにていねいに目を通したのは初めてであった。勉強不足がはっきりとわかった。
「北の黒船事件」のことについて,北海道の西村一夫氏に質問の電話をしたところ,「斜里は奥様の生まれ育った所だし,自分も斜里で何年か勤めたので,資料のありかがわかる」といって,取材に2度もいき,写真もとって資料をどっさり送ってくれた。何よりも『松前詰合日記』はありがたかった。読んでいて息がつまりそうだった。文は,たんたんと事実だけを書いているのだが,結果を知っているだけに,「苦しかっただろうなあ」と思いながら読んだ。
「白虎隊」についても,福島大附小の柳沼孝一氏に,「現地にしかない資料を入手できないか」とお願いしたところ,良い資料と写真を送ってくれた。「電話でたずねるならこの人」という方の電話番号まで教えてくれた。
また,「佐賀・鍋島藩が,ペリーがきた2年後,機関車を造ったので,その資料はないか」と佐賀県の佐藤幸規氏にたずねた。すかさずコピー29ページを送ってくれた。出典も書いてくれていたので,早速,佐賀新聞社に電話した。「押田努氏の本は3冊あるので全部見た方がよいのではないか」といわれ,3冊とも購入して読んだ。全く知らないことがたくさん出ていた。むさぼり読んだ。押田氏は文もうまい。それで引用がむずかしい。切るところがむずかしく,思わず多くの文を引用させていただいた。気になるので,書いた文を佐賀新聞社を通して,押田氏に見ていただいた。「いい使い方をしていただき私としてもうれしいです」というおことばをくださり,ありがたく思った。記してお礼を申し上げたい方である。
いい友人・知人に恵まれて,予想とは違った面白い本になったと思っている。わたしが集めたり,持っている本だけでは,このような著書はできなかったのは確かである。これを読んでくださる方も,今までの著書とは一味違うなあと思ってくださることだろう。
その代わり,いつもの著書に比べて,3~4倍の労力と時間を要した。こんなに時間をかけて調べ,考え,まとめたのは初めてといってよい。今までは,資料を集めて準備しておけば,時間をかけずに書けた。今回はそうはいかず,もどかしく思いながらも楽しみながら書いた。
樋口編集長がこのようなチャンスを与えてくださったからこそ,新しい勉強をし,資料を集め,検討に検討を加えて書くという,新しい仕事のスタイルをつくれたのである。
問題があり,締切があるからこそ,何とか早く書きあげようと努力するもので,締切がなければいつできあがるかわからないだろう。締切を散々延ばした上,大した著書にならず,樋口編集長に申し訳なく思っている。
しかし,今の実力はこんなものだということが,はっきりとわかるだろう。実力以上のものは,やはりできないものである。これまで待っていただきありがとうございました。樋口編集長に厚くお礼を申し上げます。
2008年4月 /有田 和正
①知らないことが多すぎる
有田先生でさえ、このように言わしめるのが歴史の世界である。あらためて多くの資料を集めてまとめたという。その通りで、今まで知らなかった、はじめて聞いた話も数多い。まずは、教材研究用、教師の知識量アップとして本書を活用しようと考える。
②データの大切さ
解説がいつものことながら、ていねいに記されている。とりわけ、数値などのデータの扱いについてである。非常に分かりやすく、子どもにもそのまま伝えられるものとなっている。「データを大切にする」という、社会科教師の基本の構えを、有田先生の姿から学ばせていただいた。
③参考文献の多さ
これには、驚かされる。有田先生が著書の中で言われていることを、想像以上にされていることがよく分かる。
佐賀で売られている地元の本から調べたり、全国の先生から情報を得たりと、「追究の鬼」を第一線で続けられている。このことも有田先生の大きな魅力のひとつである。