- 序文
- はしがき
- 第1章 合衆国史および世界史の基準の開発
- 教育を受けた市民にとっての歴史の意義
- 基準の定義
- 基準開発のための規範
- 合衆国史における基準の開発
- 合衆国史の時代区分
- 歴史的理解
- 歴史的思考
- 歴史的理解と思考における基準の統合
- 第2章 第5―12学年のための合衆国史基準
- 時代1: 三つの世界の出会い(はじまりから1620年まで)
- 時代2: 入植と植民(1585年−1763年)
- 時代3: 独立革命と新国家(1754年−1820年代)
- 時代4: 誇張と改革(1801年−1861年)
- 時代5: 南北戦争と再建(1850年−1877年)
- 時代6: 工業合衆国の発展(1870年−1900年)
- 時代7: 現代アメリカの出現(1890年−1930年)
- 時代8: 大恐慌と第二次世界大戦(1929年−1945年)
- 時代9: 戦後の合衆国(1945年から1970年代初めまで)
- 時代10: 現代の合衆国(1968年から現在まで)
- あとがき
序文
本書の著者冨所治氏がアメリカ南部史の研究に着手したのは,40年近くにもさかのぼる1950年代末のことであった。当時,氏が進学した立教大学文学部大学院史学専攻課程の清水博研究室には,故村本竹司氏,故西川進氏,市橋(篠田)靖子氏,大原祐子氏らの新進気鋭の学徒が集い,ジョンズ・ホプキンズ大学での研究生活を終えて帰国されたばかりの故清水博先生を中心にアメリカ南部史の研究が活発に行なわれ,さながらわが国における南部史研究のメッカの観を呈していた。すでに山岸義夫先生の下でアメリカ史を学び,南部史研究の志を抱いていた冨所氏が,清水研究室の扉をたたいたのは自然の流れであった。
早くも1960年に,冨所氏は立教大学史学会の『史苑』誌上に「分離運動研究の一前提──ダモンドの著作を中心にして」を発表し,その後つぎつぎに南部史に関する論文を公にして頭角をあらわした。さらに氏は,1970年代には南部のイデオローグ,ジョン・C・カルフーン,そして80年代には南西部のテキサス併合へと研究領域をひろげ,数多くの論考を発表した。
1970年代のはじめの頃だったと思う。私には忘れられないシーンがある。それは当時博士課程に在籍していた冨所氏が,立教大学アメリカ研究所の一室で,多分テキサス併合問題に関する故清水博先生の講義を一対一で懸命にノートしていた姿である。そこに私は厳しい一面で温かい師弟関係を垣間見る思いがした。その意味では,この序文の筆者としては,故清水博先生こそがもっともふさわしいのであるが,先生はすでに他界されてしまったので,研究仲間の一人として私が代わって拙文を寄せる次第となった。
冨所氏はこのような研究の蓄積をふまえて,長年にわたる歴史教育の実践に基づいて,最近,アメリカではアメリカ史がどのように教えられているのか,という問題に深い関心を寄せている。それは,群馬大学の研究誌に掲載された論考「アメリカにみる多文化主義的歴史教育―学習指導案“メキシコの土地喪失”を中心として」(『群馬大学教育実践研究』第14号,1997年)に示されている。冨所氏から送られてきたその草稿を一読して,私はわが意をえたりと喜んだ。というのは,それがアメリカにおける多文化主義教育の主唱者ロナルド・タカキ氏の所論を軸にして,従来ともすれば遊離しがちであった歴史研究と歴史教育とを架橋しようとする試みであったからである。当時,私もタカキ氏の多文化主義的アプローチに賛同して,氏の大著『多文化主義社会アメリカの歴史』(明石書店,1995年)を,大勢の研究者とともに翻訳し刊行したばかりであった。
冨所氏はさらに一歩進めてここに『アメリカ歴史教科書―全米基準の価値体系とは何か』を世に問うことになった。氏の精進ぶりには感嘆のほかない。ここには知的刺激に満ちた諸問題──私の関心にひきつけていえば,「南北戦争を通じて主要なインディアン国家の立場を描写し,これら国家への戦争の影響を説明する」(時代5の66頁)という問題──が随所に提起されている。しかし,このような問題に即座に答えうる教師は,全米に何人いるだろうか。因みにJ・M・ファラガらが執筆した大部のアメリカ史概説書『多様のなかから』(B4版,本文1039頁,1997年)をみても,その答えは見つからない。多文化主義を唱えるのは易しいが,それを教育実践することはいかにむずかしいことか。しかし,それは新しい時代の要請であり,応答しなければならない挑戦なのである。
1997年秋 立教大学名誉教授 /富田 虎男
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