子どもたちの人間宣言

子どもたちの人間宣言

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子どもたちに「人間」のこころを知るちからを持って欲しい。

著者が、子どもたちに「人間」のこころを知るちからを育てたいという願いをこめて、二十数年に渡って実践してきた「生活綴り方」教育の集大成。


復刊時予価: 2,926円(税込)

送料・代引手数料無料

電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-519811-6
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 212頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

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まえがき
T 子どもが綴る子どもの世界
[詩]
べんきょう
識字学級
修学旅行
でかせぎ
しゃものけんか
竹細工
[綴り方]
二階からとびおりた
手話
おばあちゃんの手
U 子どもたちとどう出会ったのか
――四年一組の記録
四月 先生、へこすい
五月 わすれれないこと
六月 先生、ねむたい
七月 「やさしさ」ということ
八月 「待つ」ということ
九月 識字学級
十月 関心が関心を呼びおこす
十一月 表現の自由と不自由
十二月 集団登校と太刀おどり
一月 くらしをひらく
二月 手紙
三月 あらくさ
V 綴ることの意味
ことばをひらくこと
つなぐこと(親と子と)
誇りを確かめること
想像すること
生きるための思想を学び創造すること
―─まとめにかえて──
あとがき 「らいしょ」

まえがき

  「きちんと」

 少し前のことでした

 一〇月のある日曜日

 どの小学校でも運動会がありました

 Y小学校も何の事故もなく

 運動会も閉会式になりました

 秋の陽はもう西方に移動していました

 楽しい運動会でした

 特に

 一年生にとっては

 小学校に入学して初めての運動会ですので

 すごく楽しかったのです

 でも

 やっぱり一年生ですから

 すごくつかれました

 閉会式のときは

 運動会が終わった開放感と

 疲れが一度にやってきて

 きちんと並んでじっとしているのも

 たいへんです

 あっち向いたりこっち向いたり

 おしゃべりをしたり

 足で土を掻き集めてみたり…

 一年生の担任の先生は

 子どもたちのそばに行って

 小声で叱りながらきちんとさせました

 おしゃべりをしたり

 動いたりしてはいけないと

 閉会式は

 最後の校長先生の話になりました

 一年生の子どもたちは

 さきほど叱られたものですから

 きちんとしていました

 そのうちに

 一年生のひとりの女の子が

 足をモジモジさせはじめました

 おしっこがしたくなったのでした

 でも

 動いたら叱られるものですから

 がまんをしていました

 校長先生の話は続きました

 突然

 女の子の足元の

 運動会の余韻の残る土の上に

 おしっこが落ちました

 女の子は

 手で顔を覆って

 そこにしゃがみこみました

 おしっこをかくすように―

 小さなからだは震えていました

 でも

 誰も動きませんでした

 子どもたちはみんな

 きちんとしていました

 先生もみんな

 きちんとしていました

 運動会は終わりました


 あとの反省会では

 「いい運動会だった」

 と話し合われました


 多くのお父さんやお母さんや学校の先生たちは、この光景をどう思われるだろう。

 この現場に立ち会った私が、事実としてそのときどうしたかということは、どうことばをつないでも、そのことを言えば、ひとつの「罪」の免罪符を手に入れることにも似てしまうので、それは言わない。けれども、今でもはっきりと覚えているあの女の子の姿を思う度に、涙がこぼれてしかたがない。

 そして同時に、この女の子の姿を見ても、声を出すこともそばに駆け寄ることもできなかった子どもたちが、哀しくてしかたがない。そんな子どもにしてしまった教師(教育)に、鳥肌が立つ。

 私は、あの日以来ずっと思ってきた。私には、こんな「きちんと」はいらないと。子どもたちには、こんな「きちんと」したこころや態度は身につけてもらいたくないと。

 私が、子どもたちに願うものは、まずは、「人間」のこころを知るちからだ。

 かなしさ、うれしさ、よろこび、はらだたしさ、いたみ、さびしさ、くるしさ、優しさ、恐れ、願い、悩み、誇り、はずかしさ……。

 具体的な生活の事実から生み出される、人間のそんな微妙で奥深い感情を、まさに自分のものとして感じることのできるこころとからだだ。人間の感情に響いて、人間としての尊厳というものをからだで知って、それを辱しめるものに対しては、それがなんであっても「ものを言う」行動力だ。

 遠くそんなことを願って、日々続けてきた生活綴り方の営みは、あの罪深い「きちんと」を受け入れないための、子どもたちと私の「人間宣言」の序章でもあった。

 二十数年にわたって続けてきた私の営みが、そのおりおりで綴られた子どもたちの生活綴り方が、たとえ序章であるにしても、「人間宣言」としての質と実をもっているのかどうか、それを判断する分析力は、まだ私にはない。それは、出会った子どもたちが今をどう生きているかによって決まるものなのだろう。

 この本に書かれた内容は、過去、雑誌「解放教育」に連載したものである。時間的にもずいぶん以前のこともあるので、現在の時点での教育の課題に重ならない視点もあるにちがいない。教育に対する思い込みもあるやもしれぬ。しかし、教育の本質はそんなに変わらぬものだとも思う。混迷する現在の教育の出口を見つけるための手がかりが見つかればと考え、非力を省みず、自分の実践の一端をここにあらためて紹介することにした。


   二〇〇三年 一〇月 /坂田 次男

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      明治図書

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