- はじめに
- 序 「基幹学力」を育てるスモールステップ
- ■T 「基幹学力」を育てる基本的な考え方
- 1 もつべき教師の考え方
- @「たして1の論理」
- A 教えること,考えさせること,そして任せることの区別
- B リンクする「4つの力」
- C 特化することで,本物になる!
- D 教科書をすべて教えてはいけない〜中越地震の学校支援から考えたこと
- E「ソフトランディング」な鍛え方
- F 安定飛行していると学力は飛躍的に高まる!
- 2 もたせたい子どもの態度
- @ 今までの自分を正しく振り返ること
- A 今の自分が分かり,自分の頭で考え行動すること
- B 予想,推理できること 「あしはなぜ足か?」
- C 友達から学ぶこと
- D 素直な気付きの自然な表出
- 3 教師にとってできて当たり前のこと
- @〈算数〉図表現を使って,既習の考え方で説明できること
- A〈国語〉何が言いたいのかを伝える文章が書けること
- B「なぜ○○できないのか」の原因の分析
- C「どうすると○○できるようになるのか」の処方箋
- D キャッチ&レスポンス能力
- E 15分の区切りで活動を変えるセンス
- ■U 聞く力と話す力から「基幹学力」を育てるスモールステップ
- 1 何を聞かせるか?
- @ 相手(教師・友達)の説明を,そのまま聞かせる
- A 相手の話の内容をまとめて聞かせる
- 2 どのようにして聞かせるか?
- @「話し手のほうに体を向けさせる」技術
- A「主体的に聞かせる」技術
- B「質問したくてたまらなくさせる」技術
- C 聞いて,頭の中で考えさせよう
- 3 何を話させるか?
- @ 図や絵では伝わらない内容
- A 日常語とは違う「算数語」
- 4 どのように話させるか?
- @ 道徳の授業で,「何でも感想」
- A 通る声を出させる技術
- B 相手の反応を考えながら話させる技術
- C 話し合いを続けさせる技術
- D 相手に向かって話させる技術
- ■V 書く力と読む力から「基幹学力」を育てるスモールステップ
- 1 何を書かせるか?
- @ イメージ図
- A 数直線などの数学的表現
- B 1時間,1単元を振り返る「学習感想」
- 2 どのように書かせるか?
- @ 黒板に書く抵抗感をゼロにする
- A 言葉と図を関係付ける
- B 座席表を使って「学習感想」を鍛える
- 3 何を読ませるか?
- @ 文章題
- A 友達が表した図や絵,言葉,式
- B さまざまな文章
- 4 どのように読ませるか?(読ませ方)
- @ 他者説明とストップモーション説明
- A コミュニケーション広場(知の展覧会)
- B 教室が編集部となる?
- ■W 4つの力で,思考力も高まる!
- 1 算数の授業から
- @ どの数が出やすいかな?(2年「たし算」)
- A 6円と7円で,できない金額はなあに?(4年「変化のきまり」)
- B 小数ゲームから,習熟…そして思考(5年「小数と整数」)
- 2 国語の授業から
- @ てんがヒント?(1年 言葉あそび)
- A みんなで作る!(2年 物語漢字テスト)
- B 主人公はだれかな? 言葉にこだわる(2年「お手紙」)
- C 構造図を検討する(5年 説明文)
- おわりに
はじめに
教師によって子どもは変わる.
このことを否定する者は,おそらくだれもいない.
それでは,こう問われると,いかがだろうか.
教師によって,子どもの「基幹学力」は変わりますか.
※ 「基幹学力」とは,「学力の源」と,とりあえず定義する.
定義すること自体が,本質ではないからである.
きっと答えは分かれるだろう.
「当然変わりますよ」と自信満々に言う教師.「いやあ,私たちがどんなにがんばっても,そんなことは無理ですよ」と,あきらめてしまう教師.
自分の子どもがそこにいたなら,どちらのタイプの教師に教えてほしいと願うだろうか.
答えは明らかである.
私は,前者のようなタイプの教師でありたいと,ずっと思い続けてきた.
私自身が教職に就いてから,さまざまな機会を通して,「よい授業」をたくさん見せてもらった.中でも,地元,新潟大学附属小学校や筑波大学附属小学校の先生方の算数授業には,本当にいろいろな意味で刺激された.
しかしながら,ある疑問がいつも授業後に残った.それは,「どうしたらこんなふうになるのだろう」という疑問である.子どもの成長過程が見えなかった.
「よい授業」での子どもは,よく通る声で発言する.じっと友達のつぶやきを聞いて,それにつき合える態度も完璧である.長い時間,黙々とノートに考えや感想を書く姿もある.
どれも,若いころの私には驚くことばかりだった.
「自分もこんなふうな子どもを育てたい」と本気で思った.
しかし,残念ながら,そうは思わない教師も大勢いた.
私自身は,「附属の子どもだからできる」とは思ったことはないが,周りには,そういう考え方をする教師もいた.
私は34歳になった春,新潟大学附属新潟小学校に赴任した.そこで,毎年の研究会のたびに,やはり「附属の子どもだから…」と陰で捨てぜりふを残し帰っていく教師を数多く見てきた.
附属では5年間を過ごした.附属の現場にいたからこそ分かったことは,どの教師も,日常茶飯的に子どもを鍛えているという事実だった.
国語科や算数科などはもちろんのこと,体育科,音楽科の教師までもが,日常的に話し合いをさせたり,振り返りの文章を書かせたり,教科にかかわる体験をたっぷりとさせたりしている.そうした取り組みが,結果的に基幹学力をはじめ,教科の力をぐんと伸ばしている.
研究会での1コマというのは,私の意識としては「ショータイム」である.決して研究会当日の「教師の働き掛け」だけで子どもが変わるのではなく,今まで鍛えてきた子どもだからこそ,「ショータイム」の場で,自然に活躍するのである.
だから,正直いって,「どうしてあんなふうになるのですか」と聞かれても即答はできない.成長させていく手法は一つや二つではないからである.
自分が若いころ思った「こんなふうにどうしたらなるのか」という疑問は,自分がそういう立場となった今,「そんなのは,一言で言えないんだよ.考え方も違うし…」と,若いころの自分に向けて言えるようになった.
最近は,「学習スキル」であるとか,本シリーズのテーマである「基幹学力」とかの「学力の源」について,私もさまざまな学校で話をする機会が増えた.
経験を通して築き上げてきた「ノウハウ」や,それを取り巻く考え方を何とか多くの教師に伝えたいと考え,いろいろと努力もしてきた.
県外からわざわざ来て,1週間くらい私のクラスに張り付いていた教師もたくさんいた.本来はそんなふうに,普段の授業を実際に見て学ぶというのが一番である.しかし,それは通常,難しい.
本書は,その「一言で言えない」鍛え方の「ノウハウ」を,私自身の考え方や事例とともに,なるべく分かりやすく整理したものである.
この本は,私にとって2冊目の単著となる.
1冊目は,私にとって「初めての子ども」のようなものだった.無我夢中のうちに書き上げた.
2冊目は,いわば「2人目の子ども」である.より冷静になって自分の考え方を整理していこうと努めた.
私の専門,算数科という視点からではなく,もっと本質を見つめ直したのである.国語と算数という「だれが何と言っても大切な教科」を基にして,自分の足跡を残していける喜びを,今ひしひしと感じている.
私も40歳となり,一般的には,そろそろ学級担任を離れるころになった.
この本はもしかすると,現役の学級担任として綴る最後となるかもしれない.
本書が,日本国中の子どもの教育を最前線で担う学級担任の先生方に読まれ,少しでも参考にしていただけたら,この上ない喜びである.
それを祈ってやまない.
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- 明治図書