- 「いじめ」は教師だけがなくせる
- T 差別を見のがさない
- 一 子供集団には教育力がある
- 二 グループ分けで一人の大切さを教える
- 三 その瞬間に解決する
- 四 教師だけが解決できる
- 五 「差別」を見つけ、それと闘う
- 六 席がえの時のひやかしも見のがさずに
- 七 「詰め」をしっかりと
- 八 まず、いじめの場面をえぐり出す
- 九 学年初めにいじめの発見
- U いじめ、親は訴える
- 一 ある母親の訴え
- 二 先生がかわった
- 三 続・ある母親の訴え
- 四 新しい担任は子供の心をつかんだ
- 五 法則化教師は次々手を打った
- V 教師だけがいじめをなくせる
- 一 中学での「いじめ」へのアドバイス
- 二 先生のご努力は分かりますが
- 三 まじめだけでは問題を解決できない
- 四 問題を解決するには方法が必要
- 五 いじめの責任は教師にある
- 六 「いじめ」との闘いは四月から始まる
- 七 「いじめ」をなくすシステムをつくる
- 八 いじめをなくす「学校のシステム」
- 九 「学校のシステム」を広げる
- 十 時には子供集団に解決させる
- 十一 向山学級での実践
- 十二 いいクラスは男女仲がいい
- 十三 教生の授業
- 十四 実習生の授業のざわつきの原因
- 十五 プロの仕事
- 十六 プロの指導はドラマを生む
- W 教師、いじめとの闘い
- 一 少しひねた子供
- 二 授業での逆転現象
- 三 呼び名にも男女差別の意識を
- 四 昔、書きかけた原稿
- 五 新聞記事
- 六 かつての教え子に会う
- 七 五色百人一首大反響
- 八 私の三十数年昔の体験
- 九 向山洋一、教師五年目新年度の日記・再録
- X いじめとの闘いをどこまでも
- 一 ある転入生の日記
- 二 通知表に文句あり
- 三 先生聞いて
- 四 「いじめ」がなくなれば、子供は、あどけなくなる
- 五 大切に育てられた子供はかわいくなる
- 六 差別構造をこわす三つの基本
- 七 向山学級の授業
- 八 自分の仕事をかみしめて
- あとがき
「いじめ」は教師だけがなくせる
「いじめ」は、教師だけがなくすことができる。
「いじめ」を、いちはやく発見し、「いじめ」をなくすのは、教師の大切な仕事である。
「いじめ」によって、多くの子供が傷ついた。
「いじめ」によって、生命を絶つ子さえ出てきた。
「いじめ」の事件が新聞報道された時の学校の発表は、ほぼ決まっていた。
「いじめを知らなかった」である。
こんな答が許されるだろうか。
確かに「いじめ」は、分かりにくい面をもっており、子供の中では発生しつづける。
多くの「いじめ」は、いつの間にか消えていきもする。
しかし、子供が自らの生命を絶たざるを得ないほどの「残酷」で「長期」にわたる「いじめ」を、教師が知らないなどと、言えるのであろうか。
こんな馬鹿げた発言を、教育界は許してはならないのである。
「いじめを知っていて、あれこれ手を尽したがどうにもならなかった」という言い訳なら話は分かる。
「いじめ」は、それを発見してから先も、大きな問題なのだ。
お説教の一回や二回でなくなるものではない。
下手なお説教をすると、「いじめ」は、よけいひどくなる。
私は、いくつかの「いじめ」の相談をうけてきたが、実にすさまじいものだった。
毎日「なぐられ」「こづかれ」しているのである。
それを教師は知らない。知る努力もしてない。
「いじめ」を発見するシステムが学校にはなく、かつ「いじめ」を発見しようとしている教師も少ない。
子供が登校拒否をしてさえ気がつかず、多くの場合、担任が登校拒否の子を訪れるのは数日後である。
特に中学がひどい。
私の知る限り、早い教師で二日目、遅い教師は登校拒否が始まって一週間しても何もしてない(むろん、中には立派な中学教師もいると信じているが……)。
「いじめ」による「登校拒否」が始まったのに、二日以上何もしなかった(知らなかった)という教師には、罰則を与えた方がいいとさえ私は思う。
そのように思うほど、「いじめ」にあった子供はかわいそうだ。
「いじめ」を解決できるのは、教師だけなのに、その自覚もなく、何もしてないのである。
「いじめ」は、それを発見してさえ、なお解決は大変なのである。
すばらしいクラス、知的な授業のあるクラスには「いじめ」はない。
むろん、小さな「いじめ」は、どこでも発生するが、すばらしいクラスは、そんなのは解決していくのである。
授業が面白くないクラス、クラスのまとまりがないクラス(それは、勉強不足の教師のクラスといってもいいが……)、そういうクラスでは「いじめ」が生まれ、「いじめ」がクラスの中を支配する。
教師の力量が低ければ低いほど「いじめ」が生まれ、それにふりまわされるのである。
だから「どんなにひどいクラスのいじめ」でも解決は本当は簡単だ。担任をかえればいい。力のある教師が担任すれば、三日で解決する。
さて、本書は、若くして教育熱心な教師が、自分の力量形成をねがいつつ、同時に「いじめ」に対応していくための方法を書いたものである。
本書が、心ある教師の役にたち、クラスの中から、「いじめ」が少しでもなくなれば幸いである。
「いじめ」をなくすのは、教師の共同の課題である。
「いじめ」をなくすための努力は、教師自身の力量をつけていく過程と全く同じことである。
一九九一年九月十五日 /向山 洋一
分かっているけど,実践できないこともある。
辛いとき,悩んだ時,そばにおいておきたい。
読み返すたびに学びがある。
戦うしかないと,強い気持ちになれる。
そんな,必読の一冊です。
この本に書いてあることは当たり前のようですが、ここまではっきり書いてある本はないのでは?と思った本でした。