- まえがき
- 第T部 訳読式授業とは ―実践編―
- 第1章 これが訳読式授業! ―授業はシンプル,しかし効果抜群―
- 第2章 訳読式授業は,こうして生まれた ―授業中に突然ひらめいた授業―
- §1 訳読式授業はこうして生まれた!/ §2 訳読式の授業を解説する!/ §3 訳読式授業のシンプルなやり方!
- 第3章 訳読式をやってはじめて気づいたこと ―学習の基礎基本がここに存在する―
- §1 ノートを開けるだけで1分も経過するの?/ §2 意外と生徒は単語の意味を知らない/ §3 単語の意味がわかれば,どの子も訳せるんだ!/ §4 単なる「写すこと」すら正しくできない事実/ §5 訳読式でいろんな生徒がほめられる
- 第4章 “訳読式授業”の留意点 ―指示のシンプルさと10の留意点―
- §1 列を作らないようにする!/ §2 ポイントを絞ってノートを見る/ §3 指示のタイミングも大事!/ §4 いつもノートをパッと見るのではない/ §5 ノートは,教師の方を向けさせる/ §6 訳は,およそでいい!/ §7 訳読式の前に指導をしておく/ §8 まず基本形は,「視写」から,入る!/ §9 あらかじめおおまかな訳を教えておく/ §10 テストには,必ず訳す問題を入れる
- 第5章 VTRに見る訳読式授業 ―実録! 12分で視写・訳が終了!―
- 第U部 訳読式授業とは ―研究編―
- 第1章 訳読式授業 Pro or Con ―どこでどう否定されたのか?―
- 第2章 訳読式授業実践追試報告 ―実践編―
- 第3章 訳読式授業の発展性 ―様々な角度からの訳読式授業―
- §1 意味のまとまりごとに日本語に訳す/ §2 選択授業での訳読式/ §3 今日は訳だけしなさい/ §4 訳し方を教える
- あとがき
まえがき
平成元年の学習指導要領の1年前,私は教員になった。
平成元年の学習指導要領と言えば,「コミュニケーション」という言葉,概念が初めて盛り込まれたときでもある。
当然,私も新卒の頃から,生徒たちに「使える英語」を身につけていってもらいたい……と,日頃の授業に工夫を加えていった。
当然,研究会でも,「コミュニケーション能力をいかに高めるか」の話になった。
リスニングでは,おおよそ内容がわかればよい……と,細部はわからなくてもおおよそ相手の英語が理解できればよしとする傾向にあった。
文法でも,細かいところには注意を払わず,多少間違いがあっても,コミュニケーションがなされればいいという観点で,実践がなされた。
英文の読みではどうだろうか……。
これまた,
○訳すことなんかさせるな
○だいたい理解できればよい
○内容が理解できない生徒には,あとで訳を配ってあげよう
と,完全に訳を否定した読みの指導に転換していった。
当然のごとく,新卒の私もその波にのり,コミュニケーション主体の授業を作り上げ,コミュニケーションという枠の中で,授業を考えていった。
そんな授業をしていたある日。
教員歴14年目の年である。
中学2年生の2学期の授業。
市販テストをさせているとき,ふと1人の女の子に目がいった。
彼女は,英語のスピーチ(将来の夢)も立派に行い,また授業中も英語をよく口にする女の子であった。
その彼女が,その市販テストで,ぼ〜〜っと黙ったまま,思考活動がなされていなかったのである。
私は,彼女に声をかけた。
どうしたの?
彼女は答えた。
「だって,読めないもん」
私はしばし言葉を失った。
そして向山洋一氏がよく話される,医師と教師の話を思い出した。
というより,できない生徒を目の前にしたときに,私がいつも思い出す言葉である。
少し長いが引用してみる(太字は瀧沢による)。
ぼくの力をすべて出して,それでもできなかった時,考えつくすべてのことをやってみることだと思っていた。医者が難病で正体不明の病気の人に,時として何種類もの薬を与えるようにである。ぼくの姪は,全身の痛みを訴え,血液のガンらしいと言われながら,7種類もの薬を飲まされて,治ったことがある。患者を目の前にした医者は,手をこまねいていてはだめなのである。とにもかくにも,治療活動をしなければいけないのだ。
教師もそれを同じだと思う。できない子を目の前にして,自分の力が及ばなかった時,それでもなお,とにもかくにも教育活動をしなければいけないのだと思う。
p.20『教師修業10年 プロ教師への道』向山洋一著(明治図書)
その女の子を見ながら,「英語教師のプロだろ! なんとかしろよ」と自問自答した。
そして,その場をなんとか助けるために私が発した言葉は,これだった。
とにかく,前から読んで意味をとっていってごらん。
読んで意味をとらなければ,英文全体の意味が理解できないのである。
苦し紛れに発した言葉に,堂々巡りのように次の言葉が突き刺さった。
前から読む……って,これって『訳す』ってことじゃないの?
訳すことを否定してきた自分だったが,やはり中学生という年代の生徒に,訳さず英語を英語としてとらえさせようと言うのは,間違っているんじゃないの?
やっぱり,日本語に介することって,必要な学習過程だよな。
と思った。
今まで,「アンチ・訳読式」の考え方から,「訳す」という言葉,また,「訳」という言葉を,私自身,できるだけ避けてきた。
しかし,考えてみたら,まるっきり読めない生徒にとって,大まかでもいいから,内容を読みとってごらん……って言ったって,できっこないことである。ある程度,意味が分かるから,そこに書かれている内容が理解できるのである。
それ以降,私は思いきって,「訳す」という言葉を使用し,授業にも訳すことを取り入れるようになった。
本書では,コミュニケーションの名の下,忘れかけている基礎・基本に視点を当て,再度,現代版の「訳読式」をやってみてはどうか……という提案書でもある。
どうぞお読みいただき,ご批判,ご意見をお待ちしている。
平成17年1月25日(火) /瀧沢 広人
是非ともお試しあれ、、。