- はじめに
- 1 子どもの現状とメンタルトレーニングの役割
- 個々のモチベーションを喚起させる
- リラクゼーションを生み出す工夫
- プラスのイメージトレーニングの活用
- 心理的限界の打破を目指す
- 集中力向上の要因
- プラス思考へのクセづけ
- 動作感覚イメージの強化
- 個人に合わせた目標設定の大切さ
- 暗示効果をうまく使おう
- 判断能力の場を増やす
- 創造力の発揮にかける
- 気持ちの切り替えの大切さ
- 2 「スポーツ心理学」から見る体育授業の課題
- @子どもとのより良い関係づくりが記録を伸ばす
- 教師の目線と親の目線の二つを大切に
- 子どもの目線におりてみましょう
- 一言でもよいので声掛けを忘れずに
- 運動が苦手な子にこそ声掛けを
- A子どもの意識を高めることが近道
- 子どもの心のハードル設定は適切に
- You−MessageからI−Messageに変える
- 子どものつくウソに上手にだまされてあげる
- スキンシップを第一に
- B環境づくりを見直すことで子どもの集中力を導く
- まずは先生が充分に楽しもう
- 根をつめすぎないように注意する
- 子どもの右脳に刺激を与えてあげよう
- 一度に多くのことを教えないようにする
- C一人一人への指導が集団力を生み出す
- できる限り個人名で指導しよう
- 子ども同士で教え合える環境作りを
- 新しい形のグループ分けを考える
- 大きな目標と小さな目標のコンビネーション
- 3 運動領域別に見るメンタルトレーニングのアイデア
- @「基本の運動」
- ケース1 集合や整列ができない(低学年)
- ケース2 水を怖がり,水遊びもできない(低学年)
- A「ゲーム」
- ケース1 鬼遊びで同じ子がすぐ鬼になってしまう(低学年)
- ケース2 ゲーム中ボールがうまく扱えない(低学年)
- B「体つくり運動」
- ケース1 体ほぐしを行うと騒がしくなる(中学年)
- ケース2
- C「器械運動」
- ケース1 マット運動で回転感覚が不足している(低学年)
- ケース2 跳び箱での記録をねらおうとしない(高学年)
- D「陸上運動」
- ケース1 リレーでのチームワークが悪い(中学年)
- ケース2 ハードル走でうまくリズムが取れない(高学年)
- E「水泳」
- ケース1 泳法の欠点が直りにくい(中学年)
- ケース2 速さの記録に挑戦しようとしない(高学年)
- F「ボール運動」
- ケース1 ゲームになると急に消極的になる(中学年)
- ケース2 ゲーム中チームがバラバラである(高学年)
- G「表現運動」
- ケース1 リズム運動を恥ずかしがってやろうとしない(中学年)
- ケース2 フォークダンスを嫌がる(高学年)
- H「保健」
- ケース1 心のコントロールができない(高学年)
- ケース2 ストレスに弱い(高学年)
- 4 メンタルトレーニングを取り入れた授業の実際
- 悩める小学校教師
- 子どもが変わる前に先生が変わろう
- 怒り方と叱り方
- 動機付けで授業が変わる
- 5 メンタルを強くする遊びのアイデア
- 遊びにおけるメンタルトレーニング
- 集団能力を高めるアイデア
- @仲間を作れ!
- A手つなぎ鬼ごっこ!
- 記録向上に燃えるアイデア
- @日本縦断マラソン
- A火事場のバカ力
- 集中力が高まるアイデア
- @平均台鬼ごっこ
- 創造力を高めるアイデア
- @サッカーゴルフ
- Aスカッシュ・バレーボール
- 思考力を高めるアイデア
- @マイナス言葉の罰ゲーム
- Aプラス言葉リレー
はじめに
体育が得意だった先生には,体育の苦手な子どもの気持ちがわかりづらいかもしれません。しかし,そんな先生にも必ず苦手な教科はあったはずです。自分なりに精一杯頑張ったのにテストでは悪い点数,クラスみんなの前で指名されても分からずに赤面して恥をかく,当時のその教科の先生から「君は勉強ができないんだから。全くダメだな。」と言われた……など苦手教科を通して様々な思いをしてきたはずです。
「立場が変われば人も変わる」という言葉がありますが,先生という立場に立つことによって自分が子どもの頃の記憶や心情を忘れてしまっているような瞬間をふと自覚するような時はありませんか。子どもの目線に立って考えてみるというのは,一つには何故自分はやらなかったのか,できなかったのかを考えることであり,その時に自分はどのように感じたり考えたりしたのかを思い出してみることでもあるのかもしれません。
そしてその当時の苦手教科に苦しんでいる自分に対して,今の自分自身が先生という立場でどのように指導していけば良いのかをイメージの中であれこれと考えてみるのです。過去の自分を育てていく事は,とりも直さず今の自分自身を育てていく事で繋がっていくのです。自分を育てられない人は,決して他人を育てていくことはできないでしょう。
最近,教育と言う言葉に対して「教師はいっぱいいるけれど,育師は減ってきている」というお話しをある先生から耳にしました。教科を教えることはできても,子どもを育てていくことが,難しくなっているということなのでしょうか。子どもを育てるということは,子どもの心をしっかりと育てていくということです。
体育で考えてみると,いくら技術指導をしっかりと子ども達に指導できたとしても,子ども達一人一人が「自分からやりたい」「自分から上手になりたい」と思えなければ,心が育っていることにはならないでしょう。先生は切り札を持っているのを自覚されていますか? 切り札を切って「だらだらしていると成績を下げるぞ」「タイムが良ければ成績を上げるから頑張れ」という具合に怒ったり,成績をちらつかせたりすれば,恐らく子ども達は動くかもしれません。しかし,それは罰を受けたくないから“やらされている”にすぎないのです。
心がしっかり育っていく子どもは,誰が何を言わなくても「今自分はやっているんだ」という自主性を持って取り組んでいきます。誰のためでも,何のためでもなく,自分のために自分がやっているのです。こうしたことは小学校の低学年のうちから身に付けていけるものです。逆にいえば,変な心のクセが身に付く前にこそ,子どもの心に正しいクセを身に付けさせていくべきなのです。私は,体育にしろ他の教科にしろ,その教科を通して学習能力はもちろんですが,その奥の人間の本質とでも言うべき心を育てていくことこそが,今後はますます重要になってくるのではないかなと思います。
2006年11月 /高畑 好秀
子どもにどうやって運動技能を身に付けさせるのかばかりを気にしていましたが、子どものメンタル的な向上が意欲につながることがわかりました。もっと、子どものメンタルな部分を補ってやりたいとおもいました。
失礼ですが、明治図書からこの方の書籍が出るとは思いませんでした。学校体育向けに実践的に書かれているので、メンタル関係にうとい人間でも、実践できそうです。
なんと言っても、子どものやる気が一番ですから。
新学期から実践してみたいと思います。