- はじめに
- 第1章 なぜ今「思いやり」なのか
- 1 統合的道徳教育の観点
- (1) 芋不易流行」
- (2) 統合的プログラム
- 新しい授業の導入
- 価値伝達の必要性
- 2 「思いやり」の統合的プログラム
- (1) 芋思いやり」のとらえ方
- (2) ケアリング
- (3) 芋思いやり」のプログラム
- 広く大きく考える
- 多面的,立体的に考える
- 第2章 「思いやり」の心理
- 1 子どもの心は闇か
- 2 今,「思いやり意識」は
- (1) 思いやり意識の中には,すべての世代にはじめから備わるものがある
- (2) 思いやり意識には,発達するものと,ある年齢段階で隠れてしまうものがある
- 3 「思いやり」のゆくえ
- 第3章 「思いやり」の統合的プログラム
- 実践1:みんなの心が通うプログラム
- 「どんな気持ちかな?」
- 実践2:あたたかさが伝わるプログラム
- 「思いやりがいっぱい」
- 実践3:やさしさを分かちあうプログラム
- 「相手のことを考えて」
- 実践4:互いに育つプログラム
- 「何でも話せる友達って?」
- 実践5:心の絆をむすぶプログラム
- 「家族の交わり」
- 実践6:たくましく,やわらかく,ゆたかな心をはぐくむプログラム
- 「言葉に思いやりをこめて」
- 第4章 プログラム構成の手順
- 1 プログラム授業のススメ
- 2 プログラム構成の視点と手順
- (1) 内容項目から
- (2) 資料から
- (3) 子どもの実態から
- (4) 体験学習から
- (5) 社会問題から
- 3 道徳教育がめざすもの
はじめに
子どもたちの凶悪な犯罪が社会問題となり,「心の教育」が叫ばれている。これまでにも,校内暴力や芋いじめ鰯が起きる度に道徳教育の重要性が指摘されてきた姻しかし,教師たちは道徳教育の必要性を感じてはいても,「道徳授業」を積極的に推進してきたとは言い難い。
子どもたちの行動だけでなく,その心根に思いをやるとき,「道徳授業」の重要性はだれもが認めるはずである。しかし,年間の35時間を完全実施している教師の数はそう多くない。なぜなのか。その原因の一つは,子どもの実態を踏まえた適切な授業方法が見いだせないからではないだろうか。
そこで提案するのが,統合的プログラムである。まず,プログラムでは,新しいアプローチとして受容院創造型の授業を積極的に導入する。その意味では,非常にラディカル(革新的)である。社会の変化に対応する能力を育てるという視点からだけでなく,教師文化と子ども文化のギャップを直視すれば,これまでの道徳授業だけでは限界がある。教師は,子どもを受け入れ,彼らの言い分に耳を傾け,関係性を深める努力をしなければならない。
しかし,同時に価値多様化が進展すればするほど,社会を支えるベーシックな価値は,しっかりと子どもたちに伝えなくてはならない。その意味では,コンサーバティブ咽保守的員である。子どもたちの現実は,「人間として,しなくてはならないこと」や「人間として,してはならないこと」を教えられていないのである。
私たちは引時代の変化に対応しながら,同時に教育の原点に帰ろうとしている。道徳教育を総合的に考え,「教」と「育」のバランスをとろうとしている。それが統合的道徳教育なのである。
今回は,「思いやり」を統合的プログラムに組んでみた。国立教育研究所の西野真由美氏は,『現在,学校教育における道徳教育カリキュラムは,「思いやり」を重点とする構成が主流である。「思いやり」は道徳性を構成する重要な要素であるが,道徳性の育成はそれにつきるものではない。にもかかわらず,学習指導要領の内容のうち,自立の精神,理想の追求,生きる喜び,法の精神,権利院義務,正義院社会連帯など,思いやり以外の原理的な内容を中心に展開するカリキュラム開発がほとんどみられないのが現状である。多様で豊かな広がりのある道徳教育を実践するには,これらの内容に重点を置いたカリキュラムの開発研究と実践が要請される。』と述べている。
私たちは,「思いやり」のプログラムで,この要請に答えようとしている。確かに,まだまだ不十分である。しかし,プログラム化によって「思いやり」を「正義」・「生きる喜び」・「権利院義務」などと関連づける指導の可能性を見いだせたのではないかと思っている。
授業実践では,経験の浅い教師からベテラン教師まで,皆それぞれに工夫し,悩み,楽しんだ。統合的プログラムは,教師であればだれもができることを示したかった。残念ながら,それらの実践はいまだ満足のいくものではなかった。しかし,そのままを,できるだけ素直に提示したつもりである。ぜひ,実践家の方々のご批判をいただきたい。
この本が出版されるにあたって,明治図書の仁井田康義氏にはひとかたならぬお世話になった。氏の芋思いやり鰯のある励ましがなければ,達成は困難であったと思われる。感謝の意を表したい。
1998年11月 /伊藤 啓一
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- 明治図書