- はじめに
- 第1章 相田みつをの詩と道徳授業
- 第2章 相田みつをの詩の世界
- /相田 一人
- 第3章 道徳授業の実際
- 同じ作品を1年生と6年生で扱った実践
- (1)ただいるだけで 〜1年〜
- (2)ただいるだけで 〜6年〜
- 中心資料として扱った実践
- (3)わたしは無駄に 〜6年〜
- (4)毎日毎日の足跡が 〜5年〜
- (5)いのち無常 〜6年〜
- 終末に扱った実践
- (6)セトモノとセトモノと 〜5年〜
- (7)うそつきて 〜4年〜
- (8)毎日少しずつ 〜3年〜
- 二つの作品を対比的に扱った実践
- (9)ぐちVS道 〜6年〜
- 総合学習との関連を意識した実践
- (10)トマトとメロン&ひとりでもいい 〜6年〜
- (11)じか 〜5年〜
- (12)自分の番 いのちのバトン 〜3年〜
- 美術館の「感想ノート」からの実践
- (13)女子学生の手記 〜5年〜
- おわりに
はじめに
昨年6月末に「相田みつを美術館」を訪れた。運よく,相田一人館長にお会いすることができた。お忙しいスケジュールの合間にもかかわらず,今回の本の企画も含めいろいろな話を聞いていただいた。
また,館長さんの方からも,本にかかわることだけでなく,ご自身の学生時代のことや,現在のこと,そしてもちろんお父さまのことなど聞かせていただいた。
私はそのお話の内容はもとより,「どうして初めて会った者に,このように優しく語りかけてくれるのだろう」「どうして,図々しく押しかけてきたこんな私の話を,うんうんとうなずいて聞いてくれるのだろう」と,胸が熱くなるばかりであった。
この「出逢い」がなければ,本書は日の目を見ることはなかったであろう。
相田みつを氏の「逢」の作品を想い起こし,改めて感激。
私は,何を置いても初めに,「子どもたちの教育のために」と,相田みつを作品の使用や転載許可などで,寛大なご理解をいただいた相田一人館長に感謝申し上げたい。
本書には,人間としての一人の教師と,相田みつを作品との「出会い」が多く書かれている。
しかしこの「出会い」は,ただの出会いではない。その教師の,人間としての根幹を揺さぶるものであったのである。そうした出会いはすでに「出会い」とは言わない。
そうした出会いこそ「出逢い」と言うのであろう。
したがって本書では,あえて「会」でなく,「逢」の字を使わせていただいた。
また,一人氏が書かれているように,相田みつを作品は「『詩』でもあり『書』でもある」という立場から,特別な場合を除いて「作品」と表現させていただいている。
そしてまた本書では,できるだけ教師や子どもと,相田作品との出逢い,また作品に対する思いを大切にしたいと考え,ねらいの設定や指導案の形式について,執筆者の意図するものが全面に出やすくするため,特に形式を統一することをしなかった。
ただし,「作品との出逢い」→「道徳授業でどう生かすか」→「実践」→「考察」という時系列に沿って記述するようにした。
終わりに,本書に優れた実践事例をご提供くださった各先生方に対し心より感謝の意を表するとともに,出版に当たって多大なるご尽力をいただいた,明治図書出版教育書部門編集部の仁井田康義氏に厚く御礼申し上げる。
2000年3月 /清水 保徳
-
- 明治図書