- 提起文 国語授業の起承転結のつくり方を問い直す
- 授業をかえる起と転 /青木 伸生
- 特集 国語授業を変える「起」と「転」
- 発問で、子どもがチェッカーフラッグまで駆け抜ける授業を創る /井上 幸信
- 「何かわからないことはない?」で「起」が変わり、「転」が変わる /広山 隆行
- 国語科の学習全体の「起承転結」から始まる /森川 正樹
- 「一気に本題」「成長の実感」楽しい国語にする「起」「転」の改善 /山本 真司
- 授業の「起」と「転」を貫き、子どもたちが躍動する「問い」を引き出そう! /遠藤 裕一
- 「比べ読み」で授業を変える /高橋 啓介
- 「目的を明らかにして読む」言語活動として「推薦文」をセットする /藤井 大助
- 自分の考えを明確にする一時間での「起」と「転」 /長谷川 水緒
- 「明日」の国語授業を創る
- 物語 この授業で「言葉の力」をつける
- キーワードを手がかりに物語を読み解く /岩崎 直哉
- 説明文 この授業で「言葉の力」をつける
- 新たな「相手」の設定で伝わる喜びを知る /佐藤 修太郎
- 書く この授業で「言葉の力」をつける
- 内容がばらばら!どうしたらいいの? /菊池 英慈
- 聞く・話す この授業で「言葉の力」をつける
- 「先生!クエスチョンがいいです!」〜「クエスチョン」で“能動的な”聞き手へ〜 /相澤 勇弥
- 古典・詩・俳句 この授業で「言葉の力」をつける
- 一文字にこだわる子どもに育てる /小林 圭
- 漢字 この授業で「言葉の力」をつける
- 普段の漢字の力を引き立たせる活動 /灘本 裕子
- ミニ連載 高知からの発信L
- 国語と算数教師ともに生きる熱き日々 /藤田 究・田中 元康
- リレー連載
- 二十代先生の国語授業日記 /川崎 修司
- 基幹学力シリーズ国語の最新刊
- 連載
- にへいちゃんの国語教室通信 /二瓶 弘行
- 青木伸生の国語教室創造記 /青木 伸生
- 提言 「人とかかわる言葉・思考を促す言葉」を身につける /青山 由紀
- グラビア
- 『セロ弾きのゴーシュ』を演じる(3年生) :構成 /青木 伸生
- 学び合う6年生(卒業を前に) :構成 /青木 伸生
- 提起文 算数授業の起承転結のつくり方を問い直す
- 「起」と「転」の改革がポイント /田中 博史
- 特集 算数授業の起承転結のつくり方を問い直す
- 低学年 「崩す」ことから始める授業の『起』「転」を促し「転」の瞬間を見逃さない授業『転』 /千々岩 芳朗
- 低学年 子どもの活動・発言から「えっ?」「あれ?」の場面を引き出す /中田 寿幸
- 中学年 子どもの素直な思いに寄り添いながら、「起」から「承」、そして「転」のあり方を問い直す /藤田 究・高橋 真
- 中学年 「転」に新たな「起承転結」を取り入れた授業構成を /熊谷 純
- 高学年 「起」「転」の場面にズレを生む仕掛けをつくる /尾ア 正彦
- 高学年 子どもの心の変容に寄り添うこと /小松 信哉
- コラム 子ども発見! /田中 敬子
- 面白教材紹介 /木下 幸夫
- 問題解決の授業―その背景と今日的課題 /手島 勝朗
- 算数授業と理科のコラボを考える /夏坂 哲志
- 算数授業と社会科のコラボを考える /山本 良和
- 子ども目線で算数しよう /永田 美奈子
- リレー連載
- 副編集長のリレー連載 /盛山 隆雄
- 連載
- 田中博史の算数授業づくり講座123 /田中 博史
- 提言
- 新学習指導要領の目指す算数科教育の再確認 /梶田 叡一
- 数学的な潜在力に着目しよう /中原 忠男
- グラビア
- 落ち葉を10000枚集めよう :構成 /田中 博史
提起文 国語授業の起承転結のつくり方を問い直す 授業を変える起と転
筑波大学附属小学校 /青木 伸生
一 国語の授業はなぜ退屈か
基幹学力研究会で算数の授業と国語の授業を見る機会がたくさんある。算数の授業は盛り上がって面白い。子どもたちは、授業が展開していくにつれて、内容をだんだんわかっていくから、目の輝きが増す。見ているこちらも引き込まれる。
それに引き替え、国語の授業は淡々と進んでいく展開が多い。子どもの発言を聞いていても、驚きや発見が少ない。「わかった!」を目を輝かせて発言する子どもはほとんどいない。
もちろん、教科には特性があるから、一概に比較して算数がよくて国語の授業はダメだと烙印を押すことはできない。国語の授業で、子どもがじっくりと言葉に立ち向かい、しっとりとした雰囲気の中で言葉と向き合う時間は、むしろ必要だ。時には時間をかけて自分の考えをつくり出したり、その考えをノートなどにメモしたりする「沈黙の時間」も設定することが大切である。
それにしてもだ。国語の授業そのものに活気が感じられないのはなぜなのか? 授業が進んでも、子どもの目の輝きが増さないのはどうしてか?
国語教師は、この違いをもっと気にした方がよいのではないか。なぜ国語科の授業は退屈なのか、もっと真剣に悩む必要があるのではないか。
来年度から、低学年は週に九時間も国語の時間がある。毎日二時間だ。この貴重な、しかも本当に多くの時間を、退屈な時間として子どもに与えてしまってよいのか。今この機会に、国語の授業を見直す必要があるのではないか。
二 言語活動を充実させるために
研究会の後の懇親会で、ある先生とこんな議論になった。その先生は、私にこのように話しかけてきた。
「今年度は、『言語活動の充実』を研究テーマに、単元の第二次をどう展開するか、校内で研究している。この次には、第三次を研究しようと思っている」
私は、この話を聞いて、次のように話した。
「言語活動をどう充実させるかは、単元の導入にかかわっている。第二次の後は、単元の導入の研究をしたほうがいいのではないか?」
子どもの言語活動を支えるのは、その活動の目的意識である。必要感と言ってもよい。子どもは、活動に必然性や必要感をもったときに、自ら動き出す。子ども自身が「このことを何とかしたい」と思うことが、言語活動を充実させる。
これは単元のレベルであっても、一時間の授業のレベルであっても同じではないか。
例えば、子どもに「音読発表会」という言語活動を設定してやらせるとする。(やらせるという言葉を使う意識自体がすでに子どもの意欲を損なわせているのだが)
教師は、子どもが上手に音読の発表をできるように、くり返し練習させる。初めの言葉や終わりの言葉も練習させる。子どもは、本番では練習したとおりの文言を暗記して、機械的に挨拶し、音読をし、終わりの挨拶をする。聞いていた子どもたちは大変義理深い拍手を送る。
これで、言語活動が充実していたといえるのか。大切なのは、「何のために、どのように音読するか」という目的意識であり、「だれに聞いてもらうのか」という相手意識である。そうした重要なお膳立てをおろそかにして、結果として行われる発表会だけをうまく乗り切らせようとさせるから、子どもがのってこないのではないか。
三 国語の授業が退屈な理由
理由その@
国語の教科書に出てきた順に、機械的にこなしていこうと授業をするから、子どもにとって新鮮みがない。単元も、一時間の需要も、導入の工夫がもっとあるべきではないか。
子どもが「やってみたい」「考えてみたい」「表現したい」と思えるような導入をいかに工夫するか。そのためには、授業の導入の段階で、子どもの中に「?」をもたせることが大切である。これは算数科の授業構成から学ばなければならないところであろう。
理由そのA
授業が進む中で、子どもにとって「!」が生まれてくるような展開がない。授業に山場も、転換点もないから、平坦に進んでいってしまう。
時には子どもをゆさぶり、困らせることも大切であろう。
展開の「転」に着目した授業づくりが、国語科においてももっと考えられるべきではないか。
理由そのB
ポスターや新聞、紙芝居、あるいは音読発表など、結果としてでき上がったもののできばえで評価しようとして、その過程がおろそかになるという「結果主義」の傾向がある。
子どもにとって大切なことは、一時間一時間が、「面白い」と思えることである。あるいは、その一時間の中に発見がある、新しい学びがあることである。
国語の授業を改革するために、一時間の構成をまず見直したい。とくに、授業の「起」と「転」を意識して授業づくりを考えたい。
今号では、授業の「起」と「転」をいかに工夫して国語の授業をつくるか、具体的な実践を通して論じていただきたい。
提起文 算数授業の起承転結のつくり方を問い直す 「起」と「転」の改革がポイント
筑波大学附属小学校 /田中 博史
1 「起」の意識改革から
日本が古くから行っている算数の問題解決授業は、「課題把握」「自力解決」「練り上げ」「まとめ・発展」の4段階の構成として意識されることが多い。いわゆる“起承転結”と呼ばれるステップと対比すると、私はこの中の「起」と「転」に当たる部分に今の授業づくりの課題が多いと思っている。
まず「起」に関してだが、ともかく時間的に無駄な導入が多いと言われている。子どもの興味・関心を高めるという名目のもと、本題に入るまでにずいぶん時間のかかる公開授業をよく目にする。一番必要なのは、解決の段階になったときに、子どもの声にきちんとつき合うことである。その大切な時間を確保するためにこそ、スタートはスパッと本題に入った方がよいと私も感じている。
導入で子どもの意欲を大切にすると言って、いろいろと子どもに尋ねるわりには、教師は予定通りしか進めるつもりはなく、自分の予定のものが出てくるまで、延々と「他にないかな?」と尋ね続けるのは、あまりにも身勝手だろうと思う。たまたま出てきた1人の意見にのっかって、「ではA君の発見についてみんなで考えてみよう。と展開されるのだから、子どもにしたらクイズをやっているようなものだ。これでは子どもの意見を大切にしているとは言い難い。
このような現実を反省するためにも、今、導入に関する意識の改革は必要である。
さらに、もう1つ別の視点から導入の課題について述べてみる。
「活用」というキーワードが取り上げられるようになってから最近よく見るのが、まずAの課題を解いて、それからBの課題に向かうという流れ。AがBを解くための準備になっていて一見親切そうなのだが、逆に子どもの考える力を弱めてしまっているのではないかと思われる授業。
Aの問題を解いてBに向かえば、Aの発想を使えと言っているようなものであり、こんなのは活用でもなんでもない。そしてもっと問題なのは、Aを解いているうちに別の課題意識が起こり、結局はBの問題までは入れないで授業が終わるというパターンである。
これも導入に対する発想の転換が、必要だと思わせる現実である。
2 「え?」「そうか!」「もしかしたら」の声が聞こえる授業づくりの「転」
授業中盤では、この「転」の場面の仕組み方こそが、考える力を育てる授業づくりのための命だと思う。いや、子どもたちが授業を楽しいと感じるのは、この転の場面の仕掛けがおもしろいときである。
基礎・基本重視が言われ、学力向上の名のもとに、反復学習やプリント学習ばかりが取り上げられつつある最近の算数授業の傾向に警鐘をならすためにも、「転」のアイデアを集めたいと思う。
それは、先に述べた「練り上げ」の展開の発想とは大きく異なる。一般に「練り上げ」と言われる部分では、問題を解いた子どもの何人かが指名され、画用紙やミニ黒板などにまとめたものを発表するというのが多い。場合によっては、延々と単調な発表会が続く。子どもにとっては退屈な時間になってしまっているのである。
つけ加えて発表される内容もあまり意外性がないから、子どもにとって学びへの抑揚感もない。この場面で意外なことが起きたり、逆転現象が起きたりすると、子どもも知的に燃えるだろう。伝統的な形式を守ることに懸命になって展開の工夫をしないことが算数嫌いを増やしていると言っても過言ではない。
特集では、今一度、考える力を育てるドラマのある、つまり起承転結のある授業づくりの復権を願って、こうした授業構成力に焦点を当てた。もちろん、起と転だけを改革しても授業は変わらないから、全体の中での位置づけや構成そのものを考えるということは大切だと思う。日本の算数教育では4段階の問題解決授業という歴史のある形式がある。今ではそれをただ形式に当てはめて展開する先生も増えてきて、本来の目的や意義が伝わっていないように思う。そこで「問題解決の授業」を長く研究してこられた手島勝朗先生には、特別にその歴史的な背景なども踏まえて論じていただいた。本当の問題解決授業の復活に役立ててほしいと思う。
3 本誌の役割と今後の展望
さて、ここで1つお知らせがある。
この『基幹学力の授業 国語&算数』誌は現在の形での発刊を29号をもってひとまず終える。今後は、さらに絞ったテーマのもとでの単行本をシリーズ化していくことに挑戦する。本会に賛同してくださる同志が増えてきたことや、それに伴う執筆希望者の多様化、さらに国語、算数のそれぞれの立場において、見えてきたテーマを具体的に深化させていくには、このままの形態では紙面的に無理があると感じたことがその主な理由である。夏の研究会では800名を超える参加者があり、国内の最大級の研究会になりつつある本会だが、今の状態に甘んじることなく、新しい形と内容での提案を考えていきたいと思っている。
ちなみに本誌26号は明治図書のランキングで現在1位である。バックナンバーもベスト100の中に何冊も入っている(1/21現在)確実にたくさんの読者の先生方からの支持をいただいているのだが、マンネリズムに陥る前に一度形態を改革してみる。もちろんこの形態での問題提起が再び必要になったらリニューアルして帰ってくる。
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