- はしがき
- T 『教育の過程』の与えた反響
- 1 最初の反響
- 2 そして、いま
- 3 学習指導要領の推移
- 4 貫かれた。教科≠フ枠組
- 5 一〇年一期のサイクル
- U 教育の現代化
- 1 水道方式からの示唆
- 2 教育の現代化の定義
- 3 教育内容の現代化
- 4 新教育課程プロジェクト
- 5 学問性中心の教育課程
- 6 理科教育の現代化の例
- 7 探究(inquiry)としての学習
- V 『教育の過程』以後
- 1 一九七〇年代の教育
- 2 教育の意義(レリバンス)
- 3 NEAの態度
- 4 学力と規律の低下
- 5 一九八〇年代の教育
- W 『教育の過程』をどう読み直すか
- 1 生涯学習への示唆
- 2 基礎・基本との関係
- 3 教科の構造
- 4 発見学習
- 5 ブルーナー仮説
- 6 就学前早教育
- 補一 数学教育と『教育の過程』
- /阿部 浩一
- 補二 理科教育と『教育の過程』
- /今堀 宏三
はしがき
「ブルーナーの『教育の過程』を読み直す」のテーマで新書で書かないかと明治図書の江部満氏から誘われたのは、およそ一年前のことである。昭和三十八年に訳の初刊を出してから、早や二〇年を経過しているが、最初のころの私の予想を越えて、たくさんの読者に読まれ、今でも版を重ねている。もちろん、その原因は、本をまとめたブルーナー自身の卓越した識見と簡明でしかも説得的な書き方のスタイルにある。本書で解説しているように、一九六〇年代以降の世界の教育改革の理論的指針として永久に記憶されるであろう。
だが、わが国の教育界に広く知られるようになったのは、この書物の価値をつとに認め、明治図書の定期刊行誌や単行本で、私に執筆の機会を多く与えてくださった江部満氏の先見のためである。教育の現代化を標榜した四十三、四十四年の学習指導要領改訂が、さらに拍車をかけ、ブルーナー・ブームが湧き起こった。
ところが、ブームはつねに流行化の危険を内包している。ブルーナー理論は、彼自身がはっきりいっているように、多分に仮説的に提起されたものであって、直接に教育実践とつながらない。
ブルーナーや私か気づかないところで、流行化のあげく、誤った理解にもとづく現場研究が行われていた。
ブームは消えるのも早い。もともと根がないのだから、しかたのないことである。しかし、アメリカでは、内外の動乱によって既存の社会体制は根底から揺さぶられ、教育を受ける側の人間の立場から根源的に問い直す運動が起こって、ブルーナー理論に依拠した教育課程研究は一時停止を余儀なくされる。ところが、アメリカでブーム化した人間主義教育も、きわめて短期間に退潮し、その反動として、対照的な動きが台頭してきた。詳しいことは本書の私の記述に譲るとして、一九八〇年代には、六〇年代の主張と似て、知的教育の質を高める要求が大きくなってきた。そこで、再び『教育の過程』が再評価されている。
さすが、江部氏である。私に読み直しのための執筆を求められたのである。
タイミングもよい。『教育の過程』の訳はこれまで一度も修正されていない。誤訳はないとの自信をもっているが、部分的には不用意な省略や、今では適切でない訳語が使われていて、修正の必要を感じていた。そこで、ブルーナーが一九七七年版のために書いた序文と、現時点で追加した方がよいと思われる「解説」を添えて、増補改訂した新しい版が、近く出版されるはずである。
私は本書で、『教育の過程』を項目ごとに解説していない。読者はまず第一に『教育の過程』を読んでいただきたい。
本書の執筆に際して、私は少なくとも過去およそ三〇年間の教育の動きを背景としてとらえ、その中でのブルーナー理論の位置づけをできるだけ多くの彼の論文・著書を参考にして、明らかにしようと企てた。だから本書はブルーナー研究の書ではない。彼の論文・著書はほとんどといってよいほど、たいていは学術的なものであって、その解明は、認知心理学、言語心理学を専門としていない私には不可能である。私のできること、また本書で求められているのは、教育への示唆を選びとって、学校の教師にできるだけ正確に伝えることである。
その試みがうまく成功したかどうか不安であるが、読者に参考となるよう、努力したつもりである。
なお、教科に即した具体例についてどう考えればよいか。専門の研究者であり、かねてから尊敬している阿部浩一氏、今堀宏三氏に執筆していただいた論文が得られたため、重い肩の荷が下りてホッとしている。また、原稿のチェック、必要な資料の蒐集、そして最後には清書にいたるまで快く協力してくれた西尾範博君の労にも感謝の意を表する次第である。
一九八五年十一月十日 /佐藤 三郎
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- 明治図書