遊びを基盤にした保育
楽しい遊びと幼児の個性的全面発達の保障のために

遊びを基盤にした保育楽しい遊びと幼児の個性的全面発達の保障のために

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「遊びを基盤にした保育」の実践により,すべての幼い子どもが個性的に全面発達をし,心身共に健康に育つことを期待してその保育のあり方を示す。


復刊時予価: 2,728円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-928903-5
ジャンル:
幼児教育
刊行:
対象:
幼・大
仕様:
A5判 184頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

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まえがき
第一章 遊びを基盤にした保育
第一節 「遊びを基盤にした保育」ということの意味
第二節 保育の概念
一 保育の概念
二 保育という働きかけの中身
三 子どもの成長とその保障
第三節 保育と遊びとの基本的関係
第二章 「生成としての遊び」の概念
第一節 遊びの語源と遊びの基本的な見方
第二節 生成としての遊び
一 生成としての遊びが成立する三つの条件
二 生成としての遊びの模式図
三 意識の対象となる活動は遊びに「なり」得る
四 仕事(ワーク)の概念
五 遊びと呼ばれる活動を支える意識の実態が遊びの核心
第三章 遊びと保育
第一節 遊びと保育との関係
第二節 遊びが保育の根底にあるべき根拠
第三節 保育における「しつけ」
一 しつけという言葉の一般的意味
二 三つの側面からのしつけ
三 遊びにおいても「しつけ」はなされている
第四章 個性的全面発達
第一節 個性的全面発達の保障という視点は保育の基盤である
第二節 個性的全面発達を支える具体的視点―アンブレラ論
第三節 生成としての遊びは無限の価値と個性的全面発達をもたらす
第四節 全面発達に関係する他の幾つかの見方
第五章 生成としての遊びと偶然性
第一節 生成としての遊びの目標実現過程における偶然性の働き
第二節 偶然性がきっかけで遊びに「なる」
第三節 遊びにおける偶然性と個性的全面発達
第六章 遊びにおける「楽しさ」の考察
第一節 無限の実態で存在する「楽しさ」
第二節 楽しさの幾つかの具体的側面
一 「作り出す」楽しさと「与えられる」楽しさの二極の楽しさ
二 恐怖を味わう楽しさ、こわいもの見たさの楽しさ
三 探索や探究の楽しさ
四 興味・関心のある人や事物とかかわる楽しさ
五 体全体で挑戦する活動の楽しさ
第七章 「その活動自体への欲求」の考察
第一節 単純な欲求内容から複雑なものへ
第二節 その活動自体への欲求の具体的な発現
一 具体的発現は、その内容や中身と一体的なものである。
二 その欲求の具体的発現は勉学や職業的仕事においても見られる
第三節 青年期における遊びへの意識の変化
第八章 主体性(及び非強制感、自由感、自発性)の考察
第九章 よく遊んでいるかどうかを判断する際の具体的な手がかり
第十章 保育における環境
第一節 環境とは何か
一 環境概念と環境の動的性格
二 環境の主体をどう考えるか
三 成長と共に広がる遊び環境
第二節 子どもの遊びは環境とのたたかいの過程
第三節 「目に見えない環境」の重要性
第四節 子どもをとりまく全体的環境と部分的環境
一 環境を全体と部分との両方から見ることが必要
二 園と家庭の遊び環境
三 子どもが欲する遊びを探る
第五節 園を中心とした遊び環境
一  環境構成は常に連続的な過程
二 「その活動自体への欲求」に応える環境
三 設定保育、中心活動、主活動における環境
四 保育者による素材や材料の用意
五 遊び環境は子どもと一緒に生み出していくもの
六 園の資源(リソーシズ)の特徴を生かす
七 もっと自然をとりこんだ保育環境を
八 かけがえのない地域の特性を生かす
九 季節や気候や天候への適切かつ柔軟な対応
十 園と小学校との環境的非連続性の解消
十一 長野県における幼・保・小・家庭の連携のための県レベルでのアピール
十二 家庭での遊び環境
十三 地域社会での工夫と協力
十四 公的な遊び場の充実
第六節 園での環境構成上の一般的留意点
第十一章 保育における遊びの支援
第一節 保育における遊びの支援のあり方
一 保育における遊びの支援の位置
二 保育における支援のよしあしの基準
第二節 遊びの支援についての基本的な見方
一 遊びの支援を得ずに育った人はいない
二 子ども自らが遊ぶように支援することが急所
三 支援における三つの道すじ
四 教育的禁欲も支援になり得る
五 支援の適切さを支える保育者の二つの力
六 孫悟空と如来さま
第十二章 園での遊びの支援
第一節 園での遊びの支援についての基本的な事柄
一 入園時の不安を早くとり除いて、一日も早く園を楽しい遊びの場にする
二 たくましく遊んでいない状態への配慮
三 子どもにとっての身近な題材の重要性
四 子どもたちの興味・関心の実態についてのアンテナを
五 子どもの心の中を読みとれるだけ読みとる
六 支援は子どもの個性的特徴をふまえて
七 偶然性に対応できる柔軟な支援
八 保育者は必要に応じて子どもの遊び相手になるべし
九 支援のしすぎ、過支援、かまいすぎ、干渉のしすぎ
十 保育者の持ち味を生かす
十一 もてるものを生かしきる
十二 園や保育者が慣習的に受け入れてしまっている前提についての再検討が必要…
十三 園の周辺地域、近隣の活用
十四 園内のすべての場所的環境の活用
十五 園内の自然環境にも工夫を
十六 廃品活用のすすめ
十七 安全への配慮
十八 遊びについての親教育の重要性
第二節 保育における遊びの支援・援助での一般的留意点
むすび

まえがき

 遊びを生かした保育のあり方を、やさしく、しかも、しっかりした考え方で示してくれる本はないだろうか。

 そう思っている人は決して少なくないであろう。本書はそのような人々のことを頭において書いたつもりである。

 今日の保育の環境は厳しい。すなわち、子どもも大人も、数えきれないほど多くのプレッシャーの中で生きている。その結果として、多くの子どもも大人も、たとえば、心的外傷などと呼ばれるような心の中の傷をかかえている。われわれがこのような状況のもとで保育をしていく場合、幼い子どもだけでなく、一般的には現代に生きているすべての人が、それに気づいているいないにかかわらず、さまざまな実態で、心の内面や精神的側面に傷やゆがみをもってしまっている。そのように想定しておいた方がよいと著者は思っている。大人や保育者自身もこのような状況にある中で、幼い子どもを心身ともに健康に育て上げていくことは、並大抵のことではない。

 ところで、われわれが知り得る限りの古い時代から今日に至るまでの、幼い子どもの育ち方や育て方に目を向けた場合、そこには一貫して一つの重要な事実が常に存在してきたと見ることができる。それは、具体的には絶えず変化している時代にありながらも、幼い子どもが心身ともに健康に育つような保育の場には、かならずや常に「遊びを通しての育ち」や、「遊びを通しての育ちを保障するような育て方」というものがあった、ということである。

 では、そのような「遊びを通しての育ち」や、「遊びを通しての育ちを保障するような育て方」というものを、どのように洗い出して現代の幼い子どもの保育に生かせばよいのか? この問題にせまろうとする意図をもって、本書には『遊びを基盤にした保育』という書名がつけられている。著者が別の機会に「遊びによる保育」とか、「遊びを土台にした保育」とか、「遊びを保障する保育」などという言葉を使う場合も、その背後には同様の意図がある。

 遊びというものが幼い子どもの心身の健康な成長にとって説明しきれないほどに重要な意味をもっているにもかかわらず、それが現代の多くの子どもの成長の過程から奪い去られてしまっている。その結果としての子どもの実態は悲惨な状態とすら言える。このことは、親や大人たちの世界をも巻きこんで、さらに大きな混乱状態を生み出している。「心の教育」などという言葉が政治家たちの口からとび出し、中教審を含めた教育関係者がこの言葉に特別な注意を向けたのも、このような悲惨な状況の一端の現れである。しかし、「心の教育」を口にせざるを得なくなっている今日の社会状況の根底には、「遊びを通しての育ち」や、「遊びを通しての育ちを保障する保育」の重要性についての認識の欠損や欠落がある。また、幼い子どもの心身の健康な成長と遊びとの本質的一体性、もしくは不可分性についての認識は、わが国の保育行政の根幹をつかさどっている文部省や厚生省においても、依然として希薄である。

 このように言えば、はたして言いすぎであろうか? いずれにしても、幼い子どもの「遊びを通しての育ち」や、「遊びを通しての育ちを保障する保育」に対して、もっと多くの保育関係者が鋭い目を向けて追究していくことが必要であり、重要であると思う。その際に、本書が少しでもお役に立てば幸いである。


  一九九八年七月   著 者

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      明治図書

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