ラスキンの芸術教育描画への招待

人間性をむしばみ、崩壊させた近代化社会と対決し、その弊害を除去したラスキンの考え方は、混迷する教育現場の教師や芸術を志す者に対し大いなる力を与えてくれよう。


紙版価格: 2,596円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-950821-7
ジャンル:
図工・美術
刊行:
対象:
その他
仕様:
A5判 208頁
状態:
絶版
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序(推薦のことば) /梅原 猛
訳者序文 /内藤 史朗
1章 最初の手習い
─『図画要綱』第1の手紙─練習一から練習十まで
2章 自然からのスケッチ
─『図画要綱』第2の手紙─
3章 色彩と構図
─『図画要綱』第3の手紙─
解説に代えて/ ラスキンの批評と芸術教育の思想─『近代画家論』第一巻(抄)を読む─
(1) 芸術における偉大さとは何か
(2) 美の観念について
(3) 相関の観念について
(4) 美・相関の観念と関連する真実の観念
(5) 芸術教育によって自然の真実を見分ける能力を!
『図画要綱』の付録
1 双眼鏡の原理
2 暗い線は光に向けられている
3 水面に反映される映像
4 映像が最も暗い処で,水を通して最善に見える
5 敬意を払い流れに近づく
6 自然の色彩の節約

序(推薦のことば)

   /梅原 猛(哲学・文化勲章受賞者)


 内藤史朗君は,私と東海中学及び京都大学文学部と,二重の同窓生である。ちょうど内藤君が京大の1年生のとき,私が先輩と相談して,東海中学の京都同窓会を作ったことがある。そのときに出席した京大生のなかで二人の新入生の印象が私の心に焼きついているのである。一人は工学部建築科の黒川紀章君であり,もう一人は文学部英文科の内藤史朗君である。黒川君を覚えているのは,呼んだ芸者が黒川君のそばに張りついてなかなか離れなかったからであり,内藤君に強い印象をもったのは,内藤君がみごとな逆立ちを演じてくれたからである。

 その後,内藤君はしばしば私の家を訪れ,私と学問の話をした。彼は若いときから熱血漢で,一つのことに夢中になると,あとのことはまったく目に入らないというありさまであった。あるいは彼はイェイツの詩に夢中になり,イェイツの詩と禅との関係を論じたり,あるいは台湾の原住民のことを詳しく調べたりして,学問的好奇心の並々ならぬことを示した。最近,内藤君はラスキンに夢中になっていて,会えば必ずラスキンの話を熱情的に語る。

 この本はラスキンの代表作の訳書であるが,ラスキンの芸術教育論は,今まさに日本において顧みられるべきもっとも重要な教育論の一つではないかと思う。日本を代表する教育学者の一人であった故勝田守一氏はすでに30年ほど前にこの本の重要性について言及しているが,今こそこの書が教育者のみでなく,広く日本人全体に読まれるべきではないかと思う。なぜならば,少年の恐るべき犯罪やエリート役人の憂うベき堕落が報道されるにつれ,いつも情緒教育の欠如が指摘されているからである。

 現代日本の教育において情緒教育というものがほとんど存在しないと言える。美術や音楽の授業はあるが,それは情緒の教育であるよりは絵を描く技術,あるいは歌ったり演奏したりする技術を教える授業であるように思われる。

 道徳教育の必要が盛んに言われているが,堅苦しい道徳を上から押しつけるようなことをすべきではあるまい。人間の情緒を豊かにすれば,おのずから道徳心は備わる。

 芸術教育こそそういう情緒を豊かにする教育であろう。道徳教育に代わって心の教育という言葉が使われるが,心の教育の中心は芸術教育であろう。

 どのような心の教育を行うか。その心の教育のなかで芸術教育はどのような位置を占めるのか。それが現代の教育のもっとも中心的な問題である。こういう問題をもっとも深く考え,精密な理論を展開したラスキンの書物こそ,まじめに教育のことを考える人が読まねばならない本となろう。内藤君のこの訳書は,このような時代の要求に応えるものであろう。

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