- はじめに
- T 合唱指導は学級担任がするのだ!
- ―長谷川博之と吉川廣二の対談―
- 一 教師との信頼関係〜長谷川
- 二 教師がまず努力する〜吉川
- 三 教師が全部歌える状態になる(本気だ、と思わせる)〜長谷川
- 四 自分が苦手だから、子どもをほめられる〜吉川
- 五 合唱指導は学級経営だ〜長谷川
- 六 合唱指導で自己肯定感を高める〜吉川
- 七 合唱では歌詞が重要〜吉川
- 八 何のために合唱指導をするのか〜長谷川
- 九 曲の決め方一つにも教師の思想が表れる〜長谷川
- 十 一年かけて歌い上げる〜吉川
- 十一 本気で歌っているか〜吉川
- 十二 生徒はうまくなりたがっている〜長谷川
- 十三 「音痴」ってどの程度を言うの?〜吉川
- 十四 子どもにとって、うれしいほめ方〜長谷川
- 十五 子どもに合わせて伴奏する〜吉川
- 十六 中学生の可能性〜吉川
- U 学級をまとめる合唱指導の条件
- 一 歌うことは恥ずかしい
- 二 歌うことは誰でもできる(専科でなくてもできる)
- 三 子どもの音程の外れが気になる?
- 四 声が美しいことよりも、自分が出せること
- 五 音読の指導を応用する
- 六 担任は毎日指導できる強みがある
- 七 ピアノ伴奏はカラオケで
- 八 CD操作は子どもでもできる
- 九 心の変化が歌声に現れる
- 十 合唱指導で学級をまとめる
- V やればできる! 指揮のイロハ
- 一 まずは教科書にある指揮法から
- 二 音楽専科・中学教師・専門家に学ぶ
- 三 鏡を見て真似をする
- 四 前に立っているだけで子どもたちは歌いやすい
- 五 指揮棒を使って
- 六 両手の使い分け
- 七 指揮で大事なことは息を吸わせること
- 八 息を声に変える
- 九 弱起の曲は、タイミングが難しい
- 十 曲に合う指揮法とは?
- W 指導とは、子どもの声を集めるのだ!
- 一 指揮者に声を届かせる
- 二 子どもの近くに届かせる
- 三 少しずつ遠くに行く
- 四 子どもの声を捕まえる
- 五 手のひらに声を乗せる
- 六 第三者に聴いてもらう
- 七 納得するまで繰り返す
- 八 音読指導で慣れておく
- 九 変化のある繰り返しで子どもを乗せる
- 十 ほめる、ひたすらほめる(マイナス評価は効果なし)
- X 声の大きさと方向を変化させるテク
- 一 まずは小さな声で歌わせる(内緒話のように)
- 二 少しずつ子どもから遠ざかる
- 三 少しでも変化したらほめる
- 四 状況を子どもたちに逐一知らせる
- 五 最初に出た声の位置を覚えておく
- 六 最初に出た声の大きさを合格とする
- 七 大きく変化したら加点する
- 八 声を「大きく」でなく、「遠くに届かせる」
- 九 小さな声でも遠くに届く
- 十 怒鳴る声と元気な声は違う
- 十一 まずはまっすぐ方向に
- 十二 左右方向に
- 十三 上下に持って行く
- 十四 斜め上に
- 十五 円を描くように
- 十六 少しでも変化したらほめる
- 十七 自由自在に変化させる
- Y 低・中・高学年別指導のポイント
- 一 低学年のポイント
- 二 中学年のポイント
- 三 高学年のポイント
- Z 教材別による“指揮”指導のレッスンポイント
- 一 うみ(一年生) /池田 愛子
- 二 虫のこえ(二年生) /谷岡 眞史
- 三 夕焼けこやけ(二年生) /谷岡 眞史
- 四 小ぎつね(二年生) /谷岡 眞史
- 五 とんび(四年生) /池田 愛子
- 六 ビリーブ(四年生) /小室 由希江
- 七 君をのせて(四年生) /小室 由希江
- 八 もみじ(四年生) /小室 由希江
- 九 おぼろ月夜(六年生) /三島 麻美
- 十 ふるさと(六年生) /三島 麻美
- 十一 われは海の子(六年生) /三島 麻美
- 十二 一つのこと(全学年) /池田 愛子
はじめに
合唱指導がなぜ大事なのか?
まずは、自己表現ができること。思いっきり歌うことで、ストレス発散になる。スッキリする。また、友達と歌うことで、心を通わせることもできる。
歌詞がよければ、歌うだけで道徳性を養うこともできるのである。ただし、これは担任の美意識が必要なため、難しい話だ。そう考えると、文学部出身の教師は、合唱指導に向いているかも知れない。
合唱につきものの、恥ずかしさを吹っ切ることで、自分を変えることもできる。これは、朗読でも、演劇でも、身体表現でも同じだ。
中学校教師(国語専攻)の長谷川博之氏は、『中学担任がつくる合唱指導』(明治図書)の「まえがき」で、「合唱指導は合唱の技術の指導のみを指すのではない。その数倍重要なのが、『生き方の指導』である。」と述べている。全く同感である。三十年ほど前、私は友人(当時は、喫茶店の経営者)から「吉川は教師として、子どもたちに何を教えたいのか」と聞かれ、「生き方を教えたい」と迷わず答えた。教師は、授業を通して、また自身の生き方を通して、子どもに生き方を教えるのである。そのことを、長谷川氏の本を読み改めて思い直した。
幸運なことに、平成二十二年八月に島根県大田市で開催した「長谷川博之セミナー」で、長谷川氏と対談する機会を得た。その内容を、第一章に載せたので参考にしていただきたい。
ところで、少し長くなるが、本書で執筆している池田愛子氏が吉川の合唱指導の特徴について書いてくれたので紹介しておきたい。
◎吉川氏の合唱指導は「全員の原則」に貫かれていた
吉川廣二氏に初めて出会ったのは、今から約三十年前のことである。
ある土曜日の午後、吉川学級を見に行き、初めて五年生(二十名ぐらいだった)の子どもたちの合唱をきいた時の感動を今も忘れることができない。
まさに「花ひらくような合唱」であった。一人ひとりの子どもたちが、歌うことによっていきいきと自分を表現していた。一人残らずである。その子どもたちの姿を見ていると、なぜか涙が出てきた。おそらく、感動の涙であったろう。
私は、自分が担任した子どもたちを、こんなにいきいきと自己表現させたことがあっただろうか。吉川氏の勤務校も私の勤務校も、中国山地の山懐にいだかれた町にあった。子どもたちの持っている表現力に、そんなに大きな違いはないはずである。それなのにこんなに表現力が違うのは、明らかに教師の引き出し方が違うからである。そのことを見せつけられた瞬間でもあった。
氏の合唱指導はまさに、
全員の原則
に貫かれていたのである。
その日から今日まで、氏の合唱指導はずっと私のあこがれであり、目標である。
◎「息」は声のエネルギー
それからの数年間、学校をかわってからも、私は幾度となく子どもたちの歌をテープに録り、サークル例会で氏に聴いてもらった。
その時、最初に氏の口から出るコメントは、必ずと言っていいほど次のひと言だった。
まだ息が吸えていませんね。
自分では、結構きれいで元気な歌声で歌わせているつもりでも、氏の耳には、まだ本気で歌っていない子どもの息づかいが分かるのである。
そう言われて歌っている時の子どもの顔を思い浮かべてみると、納得できた。
私は、子どもたちの小さくまとまったきれいな歌声に妥協して、一人ひとりに要求すべきことが何か、分かっていなかったのである。
氏は、『ピアノが弾けなくても合唱指導は出来る』(明治図書)の中で、次のように述べている。
自信のない子どもは、大きな声が出せない。
一人ひとりにしっかり「息」を吸わせて自信を持って歌わせることが、歌唱指導の原点である。
◎指揮は「身体表現」である
セミナー等で、氏の指揮で歌ったことが何度かある。氏の指揮の印象は、
指揮は身体表現である
ということである。
氏の指揮は、「柔らかい」という言葉がぴったりである。手のひらや指先を使って、膝を使って、体全体を使って歌のイメージやリズム、声の方向を示される。
それは若い頃に氏と何度か行った「教授学研究の会」の指揮と通ずるものがあり、何度か写真で見たあの「斎藤喜博先生」の指揮と同じイメージなのである。
吉川氏の指揮はまさに「身体表現」であり、歌う側にとって分かりやすい指揮である。
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- 明治図書