- まえがき
- T 子どもの評論文とは何か
- 一 子どもはなぜ書けるのか
- 1 エネルギーを集中的に使わせる
- 2 学習内容を書かせる
- 3 思考を鍛える作文技術を習得させる
- 二 子どもの評論文からなにが見えるか
- 1 指導法が見える
- 2 学ぶ方法が見える
- 三 評論文をどのようにして書かせるか
- 1 七〇パーセントは授業の反映
- 2 文の指導が二〇パーセント
- 3 周辺の指導が一〇パーセント
- U 子どもの評論文――「学習作文」から「評論文」ヘ――
- 《二年生》
- 一 「ゆきのなかの こいぬ」(すずき としちか)
- 1 あたまをつかった勉強 /遠山 義洋
- 2 頭をつかったこと /桐生 環
- 二 「くまの子ウーフ」 (神沢利子)
- 1 くまの子ウーフを学しゅうして /折戸 千香子
- 三 「はな」(新美南吉)
- 1 「はな」を学習して /本山 舞
- 2 「はな」を学習して /亀谷 寛子
- 《三年生》
- 一 「小さなみなとの町」(木下夕爾)の検討 /飯沼 茂樹
- 二 「手ぶくろを買いに」(新美南吉)の一人学習ノート /中谷 基一
- 三 「手ぶくろを買いに」(新美南吉)の検討 /西沢 美智子
- 《四年生》
- 一 「小さなみなとの町」(木下夕爾)の検討 /鷲尾 顕司
- 二 「ふるさとの木の葉の駅」(坂村真民)の検討 /八向 志保
- 《五年生》
- 一 「鹿」(村野四郎)の検討 /佐野 順
- 二 「虻」(嶋岡 晨)の検討 /丸山 友子
- 三 「冬景色」の検討 /古泉 謙太郎
- 四 「つけひげ」(千葉省三)の検討 /阿部 美穂
- 五 「大造じいさんとガン」(椋 鳩十) /尾崎 文
- 《六年生》
- 一 「小景異情(二)」(室生犀星」の検討 /富岡 夏子
- ニ 「作品第一〇〇四番」(宮沢賢治)の検討 /佐藤 妙
- 三 「春暁」の検討 /佐藤 裕子
- 四 「どろんこ祭り」(今江祥智)の検討 /尾崎 文
- V 子どものレポート
- 一 「日本語のしくみ」のレポート(四年生) /武者 希美
- 二 問題集の問題の分析(六年生) /関谷 直也
- 三 「矛盾」ということについて(六年生) /亀山 央樹
- ――「少年少女のための論理学」を読んで――
- W 理想郷を求める者(寄稿)
- 一 理想郷を求める者 (中学校二年生) /市川 真人
- ――三編の童話に見る宮澤賢治の理想郷思想――
- 1 飛翔――「よだかの星」
- 2 帰還――「ひかりの素足」
- 3 決意――「銀河鉄道の夜」
- あとがき
まえがき
私は次の三つのことを子どもにさせてきた。
(1) 多量に読書させる。
(2) 文章を検討させる。
(3) 検討内容を書かせる。
右の三つを子どもにさせるのはなぜか。
自分の思考を鍛えていける子どもにしたい。
自分の思考を鍛えていけるようになるには、先の三つができなければならない。
(1) 多量に読書をする。
子どもは自分の頭で考えることができない。できないのは、考えるための情報が不足しているからである。情報が不足しているようでは考えようにも考えられないのである。情報を得る方法はいくつかある。いくつかある内でも、読書は、情報を得るためには最適な方法である。
子どもは、ほっておくと、学年が進むにつれて読書をしなくなる。自分の頭で考えなければならない問題が多くなるにつれて読書をしなくなる。これでは、問題を解決するどころか、何が問題なのかさえもわからなくなる。
子どもに十分な情報を保障するには、読書を多量にさせることである。
「読書はとっても大切なんだよ。みんなで読書をしましょう」などと子どもに言うだけでは、子どもは多量に読書をするようにはならない。
「読書って大切なんだな」と子どもが実感しなければ、多量に読書をするようにはならない。「読書は大切だな」と実感する事実を子どもに見せなければならない。子どもは事実を見せられることによって、初めて多量に読書をするようになるのである。読書をしないのと読書を多量にするのとでは、こんなにも違うという事実を何で見せるか。教師の腕が試されているのである。
(2) 文章を検討させる。
文章を検討させるのは、言葉の網の目を精密にしてやるためである。言葉の網の目が精密になると、思考が明晰になるといわれでいる。
文章を検討させる方法としてすぐれているのが「分析批評」の方法である。
「分析批評」の方法は、子どもに文章を検討する技術を培っているのである。しかも、その技術は身につけると次の教材、その次の教材にも使えるのである。
したがって、文章を検討する技術を身につけた子どもは、自分の力で文章を検討できるようになる。
「分析批評」の方法はまた、子どもに問いを育てているとも言える。子どもは、問いを立て、立てた問いを解決するために文章を検討しているのである。問いを解決するために検討するということは、子どもが強い問題意識を持って文章を検討しているということである。観点を変えていうなら、子どもは意欲的に文章を検討しているということである。
(3) 検討した内容を書かせる。
検討した内容を書かせるのは、子どもの思考を鍛えるためである。
子どもは、検討した内容を多量に書くことで、自分の文体を身につける。書くことは考えることだといえるのは、自分の文体と他人の文体を比較検討できるくらいにはっきりと自分の文体を身につけたときである。だから、まず、多量に書かせることが大切である。
多量に書くことが大切だからといって、やみくもになんでも書かせればよいというものではない。書くためには、書くための技術がいる。書くための技術が子どもの身につくようにしなければならない。書くための技術の中でも、文を書く技術は重視される必要がある。
なぜなら、文こそが、思考の単位だからである。だから、文の指導を徹底しておこなわないと、書くことが考えることにならない。書くことが考えることだということが子どもに理解されれば、子どもは書くことに労をいとわなくなる。苦労に苦労を重ねて書くようになる。これは、すばらしいことである。なぜなら、しんどく考えているからである。しんどく考えるから、思考が鍛えられるのである。
本書は、子どもがしんどく考えて書いた「子どもの評論文」集である。
「子どもの評論文」から何が見えるのかは、読む人の技量に規定される。
教育技術法則化運動に参加している教師なら、いろんなことが見えるにちがいない。
たとえば、指導法が見えるかもしれない。
たとえば、子どもの学ぶ方法が見えるかもしれない。
たとえば、学年の発達特性が見えるかもしれない。
たとえば、子どもの意気込みが見えるかもしれない。
子どもは、しんどく考えて書いたはずである。
しかし、しんどく考えて書いていないとすれば、私の未熟さのためであり、子どものせいではない。
本書からの多くの見えを引き出し、一人でも多くの子どもの役に立つことがあるとするなら幸いである。
「子どもの評論文]などというあまり類をみない本書の出版を勧めていただいた明治図書の江部満、樋口雅子両氏に心から感謝申し上げる。
昭和六十三年三月十八日 /大森 修
早期の復刊を望みます。
向山洋一氏が教員必読の書として推薦されていたので、是非読んで勉強したいです!
中古品も軒並み品切れなので、復刊を心から願っております。
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