- 勇気づけリーダーの学級経営
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1 うまくいっていることは変更しない
【エピソード3】で注目していること、注目しないことは何でしょう。これは明らかですよね。注目していることは、ツヨシ君が応援団として行動していることです。一方で注目しないことは、周囲の目です。彼が応援団になったときの保護者の反応に象徴されるように、周囲の目は冷ややかです。保護者がクレームじみたことを言うのは、けっして子どもたちの多数派ではありませんが、それぞれの家庭でそのようなことを言っているということです。特に、本当は応援団になりたかったけど、立候補するに至らなかった子どもたちは、内心穏やかではなかったでしょう。
せっかく「うまくいっていること」が起こっているのに、ツヨシ君自身が、そこから離脱や逃避をしようとしたことがありました。しかし、「うまくいっていること」は変更してはいけないのです。ここでツヨシ君が中途半端なパフォーマンスをしてしまったら、それこそ周囲の思う壺です(本当にツヨシ君の負担が大きくて、応援団を続けることがツヨシ君の学校生活に支障が出るほどだったら、それは変更せざるを得ないとは思います)。応援団の仕事は、ツヨシ君が感情を使わず、正当な手続きで勝ち取ったものです。つまり適切な行動です。これをやり遂げることは、不適切な行動によって注目を得ていたツヨシ君の認識に、適切な行動で注目を得るという認識を上書きする絶好のチャンスです。
生徒指導で、問題傾向のある子に役割を担ってもらうことによって、問題行動の減少をねらうような方法は、伝統的にとられてきました。しかし、いつもそうした手法がうまくいくわけではありません。もともとその役割を遂行するだけの力のある子は、任されることによって力を発揮することができるでしょう。しかし、役割と実力にギャップがある場合は、自信を失ってしまって逆効果になる場合があります。挫折は人を育てますが、それは、ある程度の成功体験の裏付けがある人の場合です。ツヨシ君のような成功体験の少ない子は、失敗することによってさらに不適切な行動の頻度を増やすこともあるでしょう。だから、しっかりと成功するようにサポートすることが大事です。担任は、長らく応援団指導にかかわってきて、応援団の組織化と育成に自信をもっていました。
余談になりますが、担任が異動してきた初年度の運動会における応援団(3年生から6年生の学級から選出)は、ほぼ全員、推薦によって選ばれたメンバーでした。つまり、立候補がいないということです。団長、副団長をやるはずの6年生のやる気が最も低いという状態でした。それでもしっかりと指導すると応援団は、運動会の花形としての活躍をするようになります。そうした運動会を一度でも経験すると、全校の応援団を見る目が変わります。次年度からは、ほとんどのクラスで応援団の立候補に困ることがないという状態になります。また、リレーの選手と応援団を兼ねることができないことになっている学校がありますが、そうした学校では、リレーの選手になることを辞退して応援団になる子もいました。高学年の教師や体育主任が、嬉しいような、困ったような声を上げるようになりました。
一方、荒れたクラスでは、やはり、応援団の立候補が出にくいという傾向がありました。ツヨシ君のクラスもそういうクラスだったわけです。しかし、潜在的に応援団になりたい子は相当数いて、それがツヨシ君への嫉妬、そして、嫉妬からの反発となっていました。
2 適切な行動をプロデュースする
だから、ツヨシ君には中途半端なパフォーマンスは、許されない状況となっていました。だからといって高すぎる目標にツヨシ君を縛り付けてしまっては、ツヨシ君の意欲を逆にくじいてしまうことになります。ツヨシ君は、挫折しそうなときもありましたが、最後までやり遂げました。そんなツヨシ君に担任は、毎日、励まし、彼のがんばりを伝えました。「今日は、よく声が出ていた」「今日は、よく腕が伸びていたね」「今日の1年生への指示はとても的確だったよ」などとポジティブなところを指摘しました。
クラスメートも保護者も、運動会のツヨシ君を見て、少し見方を変えたようでした。特にクラスメートの中には、運動会の感想に、ツヨシ君のがんばりを讃える記述も少なからず見られました。ツヨシ君の担任は、応援団指導に自信がありました。そこにツヨシ君が飛び込んできたという幸運な出来事がありました。そこで、ツヨシ君と濃密な時間を過ごすことができました。
みなさんも気になる子とかかわる機会を見つけて、または、ときには
適切な行動をつくり出してとことんかかわってみる
のはいかがでしょうか。運動会の後、ツヨシ君がキレなくなったかというとそんなことはありません。ただ、ツヨシ君との絆らしきものはできたと言えるでしょう。
「不適切な行動に注目せず、適切な行動に注目する」という指導は、言葉にするととても簡単ですが、実行するのは難しく感じるかもしれません。しかし、どちらも私たちの認知の癖なので、訓練すればできるようになります。また、不適切な行動に注目しないことはできても、適切な行動に注目するのは難しいと感じる方もいるかもしれません。しかし、それも訓練すればいろいろ見つかることでしょう。
図のように不適切な行動の周辺には、適切な行動が溢れています。不適切な行動が、日常行動に比べて落ち込んだ行動だとすると、【エピソード3】のように気になる子が、日常行動のちょっと上のレベルでがんばっている場面では見つけやすいですね。なんといっても目立ちますから。しかし、【エピソード4】のように不適切な行動が起こる直前や、【エピソード1】のような、その直後の回復過程のように、目立たないところにも適切な行動は隠れています。また、【エピソード2】のように、日常行動の中で同時に起こっていることもあります。要は、
適切な行動は見つける気にならないと見つからない
ということです。しかし、本稿を読み、それを知り、「なるほど!」と納得すれば、見つけようと思えば必ず見つかります。人の行動は、認知と感情の影響を受けるからです。
人の悪いところは誰でも見つけることができます。つまり、訓練されていないアマチュアでもできるわけです。しかし、よいところを見つけるためには多少の覚悟がいるかもしれません。そしてある程度の訓練もいることでしょう。子どもたちの適切な行動を見つけることは、プロの視点をもったプロの営みなのです。職員室で、子どもたちの悪口を言っている時間があったら、その陰に隠された適切な行動を挙げてみたらいかがでしょうか。もし、あなたが子どもたちの行動によって傷付いたのなら、ひとしきり愚痴を言ってもいいとは思いますよ。しかし、愚痴を言いっ放しになっていたとしたらそれはプロの行いとは言い難いですね。
3 日々のかかわりの質が資質・能力を育てる
さて、2年間24回にわたった連載も今回が最後となりました。ここまでお読みいただきありがとうございました。実は、ツヨシ君への支援はここが入り口です。その後、ツヨシ君がどうなったか、そして、その支援の在り方をさらに知りたい方は、拙著『アドラー心理学で変わる学級経営 勇気づけのクラスづくり』をご覧ください。
本連載の副題は「これからを生きる資質・能力を育てる教師の役割」とあります。アドラー心理学を切り口に、ツヨシ君という一人の男子の事例を通して、信頼を構築する教師のリーダーシップについて述べてきました。実は、この信頼がこれからの時代を生きる資質・能力としてとても重要なのです(ここにかかわる根拠は『資質・能力を育てる問題解決型学級経営』に詳述しました)。
これからは、ますます価値感が多様化し、社会の隅々にまで変化の波が訪れることでしょう。変化の時代には、様々な価値感が破壊と再生を繰り返します。それは時には、自分自身の存在も危うくすることが予想されます。信じていたことが事実ではなかったり、期待していたものがなくなったりするということが常々起こり得るという世の中になっていくわけです。そうした中で、自尊感情やアイデンティティーなどの自己の存在にかかわることを確かなものにしてくれるのが「つながり」なのです。私たちは、危機を感じると「つながり」を求めます。未曾有の震災を経験したときに日本中が「絆」の大切さを叫んだことをご記憶の方も多いことでしょう。
人が幸せに生きるためには「つながり」が必要だといわれます。その「つながり」をつくる基盤となるのが信頼なのです。しかし、日本社会は、工業化社会の発展と引き替えに「個別化」を選び、人と人との「つながり」が分断されやすい構造をつくりました。一つの例を挙げれば、個別化による消費の増大です。家族がまとまって暮らすよりもバラバラに住んだ方が、物はよく売れるわけです。私たちの信頼関係はより綻びやすく、より断ち切れやすくなっているのではないでしょうか。
では、子どもたちの信頼を築く力は、どのようにしたら育てられるのでしょうか。理屈はとても単純です。信頼を構築する力は、信頼関係の中でこそ築かれます。不信感や裏切りのなかで人を信頼することを学ぶでしょうか。それはかなり難しいことです。人は信頼されることで人を信頼することを学びます。アドラー心理学に基づく教育は、人間関係の基盤を信頼と尊敬に置きます。本連載で述べることができたのは、一人の男子との信頼構築の物語の一端です。「キレる子」、「問題児」そして「学級崩壊の主犯」とまで言われた子が、一人の教師との信頼関係をきっかけにしてクラスメートとつながっていく、その始まりの物語です。
みなさんが今かかわっている事例は一筋縄ではいかないことが多いとは思いますが、子どもたちが扉を開ける前にノックを止めたら、その扉は二度と開かないかもしれません。諦めそうになるときに、アドラー心理学は、それを続ける勇気と技術を示してくれることでしょう。みなさんの教室に信頼に基づくつながりが生まれ、みなさんと共に時間を過ごす子どもたちに、これからを生きる力が漲っていくことを心より願っています。