- 勇気づけリーダーの学級経営
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1 たとえその目標が叶わずとも
ある程度のキャリアのある教師ならば、子どもたちの不適切な行動に対して「深追い」しない方がいいことはわかっていることだと思います。また、「巻き込まれ」にも気をつけていることと思います。多くの教師は、「不適切な行動に注目しない」ことはやっているようです。
しかし、再三申し上げてきたように、子どもたちの不適切な行動には「誤った目標」が設定されています。不適切な行動は、それを達成するための手段です。不適切な行動に注目をしないということは、その目標達成を阻止することになります。しかし、アドラー心理学の考え方に則れば、人の行動は目標志向性があるので、
ある行動で目標の達成が叶わなくなると、別な行動で達成しようとする
ことが起こります。
例えば、授業中におしゃべりすることで、注目を得ようとしている子がいたとしましょう。教師は、「不適切な行動に注目しない」原則に則って、そのおしゃべりには声かけも注意もすることなく、授業を進行し続けました。するとその子は、今度は、机を叩いたり奇声を上げたりするなどして教師をなんとか自分に向かせようとすることでしょう。それでも教師が注目をしないと、今度は立ち歩き、終いには教師の脚にしがみついたりするということが起こるのです。大抵はここまでいかずに、教師がどこかで注目してしまうことでしょう。
子どもたちの行動は、居場所を見つけるためであり、不適切な行動はそれを実現するための誤った目標の設定であるとわかれば、「不適切な行動に注目しない」ことだけではうまくいかないことがわかります。
そこで、「不適切な行動に注目しない」ことと同時進行で取り組むことは、
適切な行動に注目する
ことです。子どもたちの不適切な行動は、全てパートタイムです。したがって、どこかで、適切な行動もしているはずです。むしろ、不適切な行動は彼らの生活のほんのわずかな部分に過ぎないことでしょう。よく子育てでは、子どもを「ありのままに受け入れる」ことが大事だといいます。そういった場合は、「その子らしさ」を受け入れるといった意味で使われることが多いように思われます。その子らしさとかその子の個性と言ってしまうと、そこに見る側の解釈がかなり入り込みます。何をもって「その子らしさ」や「個性」とするかは、客観的な指標が見出しにくいです。
しかし、アドラー心理学で言うところの「ありのまま」とは、ちょっと異なると解釈しています。アドラー心理学でこの言葉を用いる場合は、文字通りです。対象丸ごと全部という意味です。不適切な行動を「ないもの」とは捉えません。それも含めて、それ以外の適切な行動や、適切とも不適切とも分類できない中間の行動も全部合わせて「ありのまま」と捉えます。
そもそも世の中に、1から10まで全ての行動が不適切な人なんているでしょうか。犯罪に手を染めてしまった人だって、「普段は優しい人」「会えば挨拶くらいはする」なんて話はよくあることです。朝から晩まで悪いことをやっている人なんてファンタジーの世界の話です。にもかかわらず私たちは、子どもたちに対して「問題児」や「気になる子」というレッテルを貼ってしまっているのです。「問題児」や「気になる子」を生み出しているのは私たちの解釈の問題であることはこれまでも述べてきたことです。
私たちは、子どもたちが不適切な行動をし、また、その頻度や程度が増すと、それを拡大解釈しがちです。裏を返せば、適切な行動が過小評価されているわけです。子どもたちは、うまくやっていることやうまくやる力をたくさんもっているはずです。では、またここでツヨシ君に登場してもらい、この問題を考えてみたいと思います。
2 うまくいっていることを探す
事例を並べますので、担任が注目していることは何か考えながらお読みください。
【エピソード1】
ツヨシ君は、学級開きのその日にもさっそく、友達とトラブルがありました。ひとしきり泣いて暴れた後、初対面だった担任は、彼にこう伝えました。「どう、落ち着いた?」
涙を袖で拭き取りながら、彼は頷きました。
「3年生の時から見ていて思っていたんだけどさ、ツヨシ君はさ、理由もなく怒る人じゃないよね。だからさ、落ち着いて話せるようになったら、理由を聞かせてくれるかな。」
彼は、目をぱちくりさせながら、担任の顔を見ました。それから、担任は彼が暴れる度に、落ち着いてから彼の話に耳を傾けました。彼は、どんなに激しく暴れても落ち着くと事の経緯を担任に話しました。前年は、暴れると泣きながら帰ることもあったといいます。彼は担任と話すのを嫌がったりすることはありませんでした。
【エピソード2】
最初の授業参観の日のことです。担任が代わったばかりということもあり、大勢の保護者が来ました。子どもたちも張り切ったのか、いつもより発言者の多い授業となりました。前年は荒れていたということもあって、保護者にも少し安堵の表情が見られました。
しかし、その表情が一瞬にして曇ることが起こりました。ツヨシ君は、教室中央の最後方の座席でしたが、授業がだんだんと盛り上がってきたので、もともと発言好きのツヨシ君の気持ちものってきたのでしょう。彼は指名してほしくて懸命に挙手をしました。担任は、それは十分すぎるほどにわかっていましたが、授業が成り立っている様子、そして、いろいろな子が活躍している様子を見てほしくて、ツヨシ君への指名を控えていました。しかし、もう限界だろうと判断し、指名しました。すると彼は、嬉しくなって机上に仁王立ちとなって元気よく発言しました。言い切ると、満足げに着席しました。担任は笑顔でいたので、子どもたちは全く平気でしたが、保護者の一部は表情が凍っていたように見えました。
授業が終わると、一人の保護者が担任を廊下に呼び出しました。そこには、7〜8名の保護者の方が並び立ち、先ほどの方が代表するようにこう言いました。
「先生は、子どもたちにだいぶ自由にやらせているようですね。しかし、きちんとしつけていただかないと困りますよ。」
言葉は丁寧でしたが、メッセージは、大変厳しい雰囲気の中で伝えられました。担任はそれを聞き終わると、深々と頭を下げて言いました。
「誠に申し訳ございません。ご心配をおかけしたと思います。私の力不足でございます。
ただ、少しずつですが、成長が見られております。ご心配をおかけしないようにしっかりと指導していきたいと思います。今日は、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。」
【エピソード3】
運動会の季節になりました。この学校の運動会の花形は応援団です。応援団は、3年生以上の代表で構成されますが、どのクラスもなり手が多く、担任たちにとっては嬉しい悲鳴が上がっていたようです。しかし、ツヨシ君のクラスは、前年度荒れていたこともあって、こうした役割の立候補になると誰も手を挙げないという雰囲気ができていました。ツヨシ君は、ここぞチャンスとばかりに立候補しました。彼は対立候補のいない無風状態で応援団のメンバーになりました。
それが保護者に知られると、何人かの保護者から連絡をいただきました。「なぜ、彼が応援団なのか?」といった内容ですが、要は質問の形をしたクレームです。きっとわが子を応援団にと思っていたのかもしれません。担任は、丁寧に事情を説明しました。
応援練習では、協力しないクラスメートに彼が怒り出し、ケンカになることもありました。クラスメートの態度に問題はありましたが、そもそも彼がクラスメートから信頼されていないことが根底にはありました。担任は、応援団指導の担当でもあったので、ツヨシ君が本番でも立派にやり遂げられるようにしっかりと指導しようと心掛けました。練習をさせる手順を教え、何度か応援練習の練習もしました。
しかし、あるとき彼は、放課後の練習が嫌で活動に参加したくないと言ったことがありました。担任はそれを聞くと、彼に言いました。
「そうなんだ、練習に参加したくないんだね。でも、どうだろう。ここであなたが今日休んだら、そのことを知ったら、みんなはどう思うかな。今日までみんながみんな協力的だったわけじゃないよね。でも、前はあんなに学校が終わると一目散に帰っていた君が、これまでがんばってきたからほとんどのみんながあなたをリーダーとして認めてきたんだよね。みんながやっていないことをやっているからリーダーなんだよね。もし、ここであなたが帰ったら、みんなは本番まであなたをリーダーとして認めるかな。」
彼は渋々ながらも練習に参加しました。応援団の活動自体は嫌いではなかったようで、活動が始まると楽しそうにやっていました。後でわかったことのですが、なぜ、その日、彼が練習を嫌がったかといえば、お気に入りのコミックの発売日で、いち早く読みたかったようでした。
本番の彼は、4年生ながらまるで団長のような活躍をしていました。これまで歴代応援団は、教師の指示がないと動かないことが多くありました。しかし、彼は、自分で「今、応援しに行こう」と他の学年のメンバーに声をかけて、それこそ主体的に動いていました。それは他の先生方も感心するほどの動きでした。
さて、この3つのエピソードにおいて担任が注目したことは何でしょうか。また、みなさんもご自身が不適切な行動をする子に接するときに注目していることは何でしょうか。ここからたくさんの事例が出てきます。事例をお読みになるときに想像力を働かせて、自分のクラスでは、あの子の場合ではというように、ご自分やご自身のクラスに引き寄せながらお読みいただきたいと思います。