世界一わかりやすい道徳の授業づくり講座 対話でつくる道徳の学び
いよいよスタート目前の「特別の教科 道徳」。身構えなくても大丈夫。考え、議論する道徳にはもやもや・ワクワクがたくさん!対話的な子どもを育てる道徳の授業づくりを始めましょう。
世界一わかりやすい道徳の授業づくり講座(最終回)
道徳科で実現する「主体的・対話的で深い学び」
―道徳における深い学びって何?―
立命館大学大学院教授荒木 寿友
2018/5/25 掲載

 さて、今回で連載も最後を迎えました。毎回お付き合いくださりありがとうございました。最終回の今回は、道徳の授業における「深い学び」ってどういうことなのか、一緒に考えていきましょう。実は道徳における深い学びってあまり語られていないんですよね。

そもそも深い学びとは

 今回の学習指導要領の改訂作業がはじまった頃は、「深い学び」という言葉は実はありませんでした。学びにおける「深さ」への視点は、「アクティブ・ラーニング」の言葉をきっかけに始まったといえます。2012年、大学教育改革の流れの中で登場した「アクティブ・ラーニング」(能動的学修)という用語が日本の教育界を席巻し、この流れの中で、2014年には「教育課程企画特別部会 論点整理」(※1)において、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)」と呼ばれるに至りました。
 ところが、この「アクティブ・ラーニング」という言葉が、その「アクティブ」という訳語から「活動的な(活動中心の)学び」という意味で認識され、「活動あって学びなし」の状態を生み出してしまうのではないかという事態が懸念されました。こういった状況に対して、たとえば松下佳代さんは「ディープ・アクティブラーニング」という表現を用いて、学びにおける「深さ」をアクティブ・ラーニングにおいていかにして保障していくかを論じました。
 結果的に、みなさんもご存知の通り、「主体的・対話的で深い学びの実現」(アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善)という表現に落ち着きました。では具体的に「深い学び」はどう説明されているのでしょうか。

習得・活用・探究という学びの過程の中で、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか(文部科学省『新しい学習指導要領の考え方』(※2)より抜粋)

 この説明からわかるように、その教科等の核心となる「見方・考え方」を中核において、知識の関連付けや問題の発見や解決、創造的な思考をしていくことが「深い学び」であるといえるでしょう。田村学さんも述べるように、学びが深まっていくということは、頭の中の断片的な知識や経験が関係づけられ、より大きな意味を持った集合体になるということ、いわば知のネットワークをつくっていくことを意味しています。「深い学び」とはそういった知識のネットワークを様々な問題解決のために活用していく学びであるといえます。逆にいえば、知識が断片的なままであったり、あるいは教科書に書いてあることをそのまま再生するのであれば、それは「浅い学び」になってしまうということになります。
 「深い学び」を実現していくためには、教師が断片的な知識を断片的な知識のまま教えて、それを活用していくかどうかは子どもたち次第、というようなスタンスではちょっと困りものです。実際の現実生活の中での知識の生きた活用の仕方や、「なぜこれを学ぶ必要があるのか」という学びに対する意味づけをも意識した授業づくりが必要になってきますね。だからこそ、「授業改善の視点」として「アクティブ・ラーニング」が提示されているのでしょう。

では道徳の場合、深い学びってどう考えたらいいんですか?

道徳の授業において目指す深い学び

 道徳教育においても、子どもたちのこれまでの生活経験や授業で知ったことが、そのままの状態で頭の中に「収容」されたままであれば、それは必ずしも道徳の深い学びになっているとはいえないですね。宝の持ち腐れです!
 では、道徳教育における深い学びは、どう考えていけばいいのでしょう。まずは道徳科の本質を表す「見方・考え方」を確認しておく必要がありそうです。

様々な事象を道徳的諸価値を基に自己との関わりで(広い視野から)多面的・多角的に捉え、自己の(人間としての)生き方について考えること(答申資料より:括弧内は中学校)

 これが、道徳教育の「見方・考え方」になります。道徳科の目標と似ており、道徳科の目標における学習活動に着目した「見方・考え方」になっています。自己との関わり、多様な視点、自己や人間の生き方、こういったポイントを考えていくことが、道徳教育における深い学びの核につながってきそうです。
 道徳の授業は、おおむね一つ(ないしは二つくらい)の道徳的価値に基づいた教材が準備され、その教材を中心に授業が展開されます。そういった道徳的価値に対して、子どもたちがどう考えていくかが学びの深さにつながってくるのですが、先の深い学びでお話したことをちょっと思い出してください。そう、知識のネットワーク化による活用を目指すといいました。つまり、そもそも子どもたちが道徳的価値そのものについて、どういったことを知っているのか、そして何を知らないのか明確にする必要があります。国語や社会といった教科であれば必ず子どもたちの既有知識は何であるか確認しますよね。同じように道徳の授業においても、扱われる道徳的価値について子どもたちが何を知っているのか、教師はまず知る必要があります。
 それに加えて、提示されている道徳的価値が一般的にどういう意味なのか、辞書的な意味は子どもたちも確認しておく必要があります。いわば、道徳的価値を知識として知るということが必要になります。道徳科の目標には「道徳的諸価値についての理解を基に」と表現されていますが、公平とはどういった意味なのか、正直、誠実とは何かということについて、その意味するところを授業の中で押さえておく必要はあるでしょう。この辞書的な意味を押さえるにあたっては、学習指導要領の解説などを参考にすればいいかと思います。
 注意しなければならないのは、道徳的価値を教師の「価値観」として教えるのは避けるべきであるということです。価値観にはその人の判断基準や評価基準が含まれてしまいます。道徳科はまさに子どもたちにその判断や評価の基準を、自分を見つめながら多様な視点を考慮しつつ自ら創出してもらうことを目指すわけですから(それが道徳性につながってきます!)、価値観を教えてしまうと、教師のコピーを生み出してしまうことになりかねません。(ただ、基本的に教師の価値観は授業づくりに影響を与えていますので、この場合は「先生はこう考えているんだ!」という教師のあからさまな意見表明を避けてくださいねという意味で捉えてください。)

 知識として道徳的価値を知ることによって、それが道徳的知識になってきます。その道徳的知識が子どもたちの生活経験との関連で解釈され(自己との関わり)、生活経験に意味がもたらされてきます。その意味を持った個人の生活経験が他の人の場合であればどういう意味になるのか考えていく(多様な視点)、それを踏まえて自分たちはどう進んでいくのか捉えていく(人間としての生き方)、こういったプロセスが、道徳における深い学びにつながっていくと考えられます。

子どもたちを深い学びへと誘う道徳の授業の仕掛けとは

 では、具体的にはどういった仕掛けが考えられるでしょうか? そのキーワードは、「ズレ」です! 以下簡単に三点を示しますね。
 繰り返しになりますが、まずは、知識として道徳的価値を理解するということです。生活経験の中で子どもたちは(子どもたちに限らず私たち大人もですが)、ある程度、道徳的価値について認識しています。でもそれはあくまで自分の人生から得られた知識であって、先人が残した知恵の総体としての道徳的価値の知識ではありません。まずはそこを押さえる必要があるでしょう。実はそこにズレが生じる可能性があります。たとえば「正義」。私たちの多くは正義を「悪を成敗すること」と捉えていますが、そもそもは「公平公正な判断を下すこと」を意味しています。すでにズレてますよね。道徳の授業は子どもたちの生活経験に基づくことが多いので、どうしても偏ってしまうことがあります。価値についての一般的な知識を提示するだけでも、生活経験とのズレは生じてきます。それが深さへとつながります。
 二点目は、ズレを意識させる補助的な教材を準備することです。つまり、メインとなる教材(教科書)とは別の立場の教材を準備することを意味します。たとえば礼儀を扱う教材で考えてみましょう。多くの教材は、礼儀の大切さについて描かれています(それはそれで大切なことですが)。そして多くの子どもたちも礼儀は大切なことだとなんとなくわかっています。そのまま授業を進めれば、おそらく礼儀がなぜ必要なのか、その本質には気づくことなく終わってしまうかもしれません。でもここで、マンション内での「あいさつ禁止」のルールができあがったという新聞記事を子どもたちに見せるとどうでしょうか?(実際にあった話です。)礼儀としてのあいさつをしてはならない場合に、どのようなメリットがあるのか、デメリットがあるのか(多様な立場で考える)、そして自分がその場にいたならどうするのか(問題解決的な展開)、いろいろと考えが膨らんでくるかもしれません。これも一つの「ズレ」を意識した授業展開です。
 三点目は、多くの先生方が実践している発問の工夫です。子どもたちの既有知識に揺さぶりをかけ、「なんでだろう?」「どうしてだろう?」と疑問を生じさせる問い、自分が同じ立場に立ったならどうするのかという問い、一般的にはそう言えるかもしれないけど、でもこの場合はどう考えたらいいんだろうという特殊性を問うような問い、逆にそもそもを考えて道徳的価値の本質を問うような問い、その道徳的価値を重要視すると逆にこっちの道徳的価値はどうなるのという相対的な意味を問うような問いなどが考えられます。これらは一問一答型の問いではなく、子どもたちが思考せざるをえない問いです。
 簡単に三つだけ例示しましたが、道徳の授業における深い学びは他にももっと方法があると思います。ただ忘れてほしくない大事なことは、「人の権利と生命を脅かさない限りにおいて」自由に思考してもよいという点です。道徳の授業は、ややもすれば、なんでもありの考えが認められる傾向にありますが、やはり「権利と生命」に関しては長い人類の歴史において創出された大切な価値ですので、そこは大前提として、それらを大切にするためにどう生きていくのかを子どもたちとともに深く考えていく必要があると思います。

最終講のまとめ

  • 深い学びとは、子どもたちが知識のネットワークを創り上げることで、新たな課題を解決していける学びを意味する。
  • 知識として道徳的価値の理解をしよう。
  • 道徳科の「見方・考え方」を意識した授業づくりをしてみよう。
  • 子どもたちの認識との「ズレ」を生じさせる仕掛けを準備しよう。

 一年間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

【参考文献】

※1 文部科学省 教育課程企画特別部会における論点整理について(報告)

※2 文部科学省『新しい学習指導要領の考え方』

松下佳代、京都大学高等教育研究開発推進センター編著『ディープ・アクティブラーニング』勁草書房、2015年
田村学『深い学び』東洋館出版社、2018年

荒木 寿友あらき かずとも

1972年宮崎県生まれ,兵庫県育ち。2002年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は道徳教育、教育方法、ワークショップ、カリキュラム開発。現在,立命館大学大学院教職研究科教授。NPO法人EN Lab.代表理事。元セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン,アドバイザー。NPO法人cobon理事。国内外、大人子どもを問わず、さまざまなワークショップを展開する。
単著に『学校における対話とコミュニティの形成』(三省堂、2013年)、共著に『モラルの心理学』(北大路書房、2015年)、『考える道徳を創る「私たちの道徳」教材別ワークシート集』(明治図書、2015年)、『やさしく学ぶ道徳教育』(ミネルヴァ書房、2016年)、『戦後日本教育方法論史 下』(ミネルヴァ書房、2017年)など。

(構成:林)
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