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まえがきやあとがきにもありますが、校長時代に同僚の教頭職であった伯ヶ部喜久男先生が、私の著書や論文を読んではサイドラインを引き、それをワープロに打ち込むという仕事をされていました。それは伯ヶ部先生のお考えであって私は知らなかったことです。1年ほど経って「こんなになりました」とワープロ原稿を見せて貰って私はびっくりしました。「折角やってくれたのだから形に残そう」ということで、最初は手刷りで100部印刷しましたが好評だったので、すぐに増刷しました。いつの間にかこれが3冊にもなりました。発行総部数はほぼ3,000部にもなります。在庫が無くなったのでまとめた本にしたいと考え、江部編集長のご高配で合本になった次第です。
その通りだと思います。私は国語科教育を専門にしてきましたが、併せて家庭教育についての勉強も続けてきました。これらは道徳教育と強く結びついて成り立つものです。また、教育というものは、単に方法や技術だけではどうにもなりません。教える者の人生観、教育観、世界観が大きく教育実践に反映するものです。国語教育や家庭教育を充実したものにしていこうと考えれば、必然的にその基盤や背景となる人間としての在り方、生き方を問題にせざるを得なくなります。ですから、話は当然そういう所にまで及んでいくことになりますね。この本は、いわば「野口の教育実践エキス」だとも言えるでしょう。
森信三先生は哲学者です。戦前・戦中は谷川徹三、西田幾多郎といった哲学者が教育界に大きな影響を与えましたが、戦後は哲学者は影を潜めてしまい、専ら心理学者が活躍するようになりました。心理学は方法の学です。悪いとはいいません。しかし、根本的な立場から教育を考える哲学が影を薄くしたのは重大な問題です。森信三先生は、戦後の軽薄な流行に対して常に深い見識をもって発言を続けられ、多くの信奉者を生みました。先生は難解な言葉ではなく、平易な言葉で哲学を語りました。重厚で実践的な哲学を説かれたわけです。「返事、挨拶、履き物揃え」などは、誰にもわかる、時代を超えた教育の原点だと思います。「根本を尋ねる」「根本を考える」そういう生き方を私は森先生から学んだと思っています。当時の伯ヶ部教頭先生は、私よりも深く森信三先生から学んでいました。
一言で言えば、豊かな社会になればなるほど、住み易い世の中になればなるほど人間は軟弱に堕していくと言えるでしょう。自分の思うように、好きなように、自由に、のびのびと生きることがもてはやされます。許容度がどんどん高まります。その結果、人々は幸せになったのかと言えば必ずしもそうではありません。その故にこそ生じてくる不幸もいっぱいあります。「硬派」と言うのは、人間という万物の霊長としての尊厳性を自覚し、「いかに生きるべきか」を考え、それに自分を近づけていく求道論です。具体的には、本能よりも理性を重んじ、放縦に流れず求道的に生きることを尊びます。それは堅苦しい生き方ではなく、相互の幸福と喜びを具現する哲理だと私は考えています。「たい」よりも「べき」を尊ぶ生き方です。
教師は「教えること」にのみ専念してはいけないと思っています。教育の最終目的は、教える対象に望ましく深い感化と影響を与えるところにあります。教育の本質は「伝達」ではなく「感化」です。伝達の巧みさも大切には違いありませんが、それよりも教師自身が子どもや父母から信頼され、尊敬され、慕われることの方がはるかに重要です。教師力を高めるには、自分自身の人格や感覚を磨き高めることに努めるべきです。それは今、教師に最も欠けていることではないかと思うのです。