- 著者インタビュー
- 算数・数学
私たちは、自分の経験を通して、また、自分を取り巻く環境を観察することで、何かを学ぶことができます。しかし、算数や数学の学習では、必ずしも外部の環境が必要とされないことがあります。いわゆる「構成的学習」が優れている点は、既存の知識を結びつけることで、新たな知見をもたらす点にあります。でも一人では、個別に学んだ数学的知識を体系的に結びつけることは困難です。他者とのコミュニケーションを通して算数や数学を学ぶことの意義は、他者の考え方を学ぶことによって、知識を構成的に結びつける方法、すなわち「考えるとは何か」を深く理解することができる点にあります。
算数や数学の授業において、教師と学習者、あるいは、学習者同士のコミュニケーションを大切にするということは、あらかじめ決められた旅程を時刻通りに通過するということではなく、名もない花に立ち止まり、予期せぬ出会いを十分に楽しむということです。表面的な善し悪しに拘泥しないで、教師は学習者の言葉に耳を傾けてほしいものです。仏教では無分別ということを尊ぶそうですが、数学的なコミュニケーションが活発な学級には、すべての発言を大切にし、すべての発言を数学的概念の形成に生かすことができる、無分別の姿勢をうまく貫き通せる先生がいます。
学習者の自然な思考にそった授業では、学習者から「なるほど、なるほど」という相づちが自然に聞こえてきます。こうした授業を行うためには、授業前の教材研究、特に教材の系統性に関する深い理解が教師に求められます。そして、実際の授業では、教師は学習者の有言無言の声をよく聞き、学習者の声をうまくつなぐ必要があります。瞬間、瞬間の学習者たちの理解度や感情を理解し、学習者たちが今欲していることを提供することが、「学習者の自然な思考にそった授業」を行うことになります。
算数や数学の授業で求められるコミュニケーション能力は、単発の発言を理解する力ではなく、いくつかの発言が構成的に結びつくと、いかなる知見がもたらされるのかという構成的学習の契機として、一連のコミュニケーションを結びつける力です。「コミュニケーション連鎖」という現象は、自分がその連鎖に加わるとか、他者の発言をよく聞いているというだけで認識できるものではありません。「コミュニケーション連鎖」とは、一連の発話行為を連鎖と見る人の解釈を通して意識化されるものなのです。誰と誰の発言がどのように関連しているのかという見方は、知識を構成的に学習する契機をもたらします。
教師の仕事は意思決定の連続です。瞬間、瞬間の意思決定の善し悪しが授業の質を決定します。そして、その意思決定は、教師自身の教育観と、コミュニケーションとは何かということをいかに深く知っているかという教師のコミュニケーション能力に依存します。学習者との有言無言のコミュニケーションを通して、教師がいかに教室全体の学習者たちの思考と感情を把握できるかが、授業の質を定めてしまうのです。感動が人を育てるならば、教育の場、すなわち授業には、感動的なコミュニケーションがなければなりません。読者の皆さんには、本書を活用して、信頼される素敵な先生になってほしいと思います。