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国語の授業が、苦手な先生が多いというのが現場の実感です。なぜ、苦手なのかと聞いてみると、「国語は何を教えていいのかよく分からない」「本当に人物の気持ちを発問してればいいのだろうか」「子どもが全然乗ってこないし、やっている自分もつまらない」という答えが返ってきます。確かに、物語の授業一つとってみても、算数のように教える内容がはっきりしていません。だから、「ごんを撃ったときの兵十の気持ちは?」「銃を下ろしたときの大造じいさんの気持ちは?」というように気持ちを問う授業になってしまうのです。これでは、ワンパターンで学年の系統的な指導や多様なバランスのとれた指導ができません。そこで、今回とくに若い先生方の羅針盤になるようにという思いで本書を書き上げました。この本があれば、この教材では何をどのように教えればよいのかが手に取るように分かる内容になっています。
子どもに「はい何ページを開いて、さあ、声に出して読んでごらん」「今日は、運動会の作文を書いてもらいます」と投げかけても、なかなか動いてくれません。読みたい・書きたいという気持ちになっていないからです。とくに授業の導入場面で「ちょっと先生の音読はおかしいな。もっと明るく読まなきゃだめだよ」「えっ、先生精一杯読んでいるのにだめなの?」「おかしいよ」「じゃあ、どんなふうに読むとよいのかな」「それはね、…」こんなやりとりの中で子どもの心に灯がついていくのです。この本の中では、いまちょっと紹介したような子どもがアクティブになるしかけや揺さぶり、あるいはとぼけなど、いままで私が実践してきて本当に子どもが動いた技術のエッセンスを多数紹介しています。そのまままねできるものばかりです。まずは、ご自分の教室でさまざまな手法を試してみてください。必ず子どもが動き出します。
まず最初にもお話しましたが、これから子どもたちと読んでいく教材でどのような「言葉の力」を付けるのかを明確にすることが重要です。そのためには、教材の中に秘められている言葉の働きをあぶり出す作業が必要です。例えば、「大造じいさんとガン」の話の中には、大造じいさんと残雪たちが闘うシーンが何回も出てきます。闘う直前には、必ずといってよいほど「情景描写」が用いられます。これらの表現は何を意味しているのだろう?「そうだ、語り手が大造じいさんに寄り添いながら語っているんだから、じいさんの心持ちを表しているんじゃないか。今度こそ残雪をやっつけてやるぞという期待感が表されているんだ」ということが教材分析の中で見えてきたとき、早く子どもたちと授業がしたいという気持ちになります。つまり、人物の心情と描写を結びつけて読んでいくわけです。何に目を付けて読んでいけばよいのかというヒントをたくさん散りばめました。時間がない中で、自分で深い学びにつながるような指導のポイントを見つけるのは大変です。見開き二ページで教材の特性をつかめるようにしてあります。これさえ読めばそんなに苦労せずに深い学びをつくり出すことができます。
子どもに課題意識をもたせるにはどうしたらよいか、常にそのことを考えながら授業づくりをするとよいでしょう。そうすると、草野心平さんの「春のうた」一作品だけでは弱いな、「秋の夜の会話」も入れよう。しゃあ、この二作品を与えれば確かに「春のうた」のかえるの喜びをより実感させることはできる、でも、どんなふうに提示していけば子どもたちが考えたくなるだろう、そうだ二作品同時に渡して、「どっちが先かな?」と投げかけてみよう。きっと子どもたちは、比較思考を働かせながらテキストと対話し始めるだろう、その後、自分の考えを仲間に伝えたくてたまらなくなるだろう。こんなふうに考えたくなるようにする見通しをもって授業に臨むことが大切ではないでしょうか。ただやみくもに対話をさせればいいというものではありません。教師が出るべきところは出て、「春・夏・秋・冬だから春のうたの方が先じゃないの?」とタイミングよくゆさぶりをかけることが必要です。子どもを深い学びへと向かわせるのは教師です。
国語の授業が好きになった!!と思ってくれる子が一人でも増えたらうれしいですよね。そして、国語の授業をするのが最近楽しくなってきたという先生が一人でも増えてくれたらと思っています。忙しい毎日ですが、授業で子どもが変わる姿を目の前にしたとき、一気に疲れが吹っ飛びます。いままでの苦労が報われます。よし、つぎもがんばろうという気持ちが湧いてきます。それが分かっているから教師という仕事を続けています。ぜひ、これからも子どもの笑顔あふれる教室にするためにともに学び続けましょう。