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子どもの頃を思い出して下さい。校長先生の式辞が何とつまらないものだったか。それは具体性に乏しい一般論や、人間の弱さへの自覚を欠いた建前論に終始したからではないでしょうか。個人的な体験、特に失敗して恥をかいたり、痛手を負ったりしたことなどを語ってくれれば、子どもなりに一定の教訓を感じ取り、忘れられないお話になったはずです。教科書は建前でも授業には先生ならではの語りが欲しい。それが雑談の役割・効果です。
どれも読んでいただきたいと思いますが、やはり私自身がそれを知って目から鱗が落ちた事例はお薦めですね。古代では中国山地で和牛生産が盛んな理由、中世では土一揆で農民が堂々と徳政を要求した理由、近世では大坂城が一向宗の石山本願寺跡に築造されたこと、近現代では明治初期の東京市中で酪農が行われたことや、1984年のロサンゼルス五輪まで女子のマラソン競技がなかったことです。なお、特攻と沖縄の頁にも思いを込めました。
今回の学習指導要領はこれまでにないほど意欲的です。「学習指導要領バブル」という批判もある位です。でも、その成否はすべて教員の双肩にかかっているのです。国は金も人も出すだけの余裕はありませんから。そうならば、まず新たに手掛けるべきことを決めたら、次に従来の仕事の中からそれに見合う分量の仕事を止めることです。あれもこれもから、あれかこれかへの転換です。見方考え方を生かした授業づくりだけははずせませんよ。
現在、教育課程改革の真只中にいますが、主役は外国語や道徳、あるいは理数系であって、社会科ではなさそうです。でも、少子高齢化、税と福祉、安全保障、原発問題等、市民が正確な情報を集めて読解し、合理的な判断を下さなければ一歩も前に進まない課題が日本には山積しています。今こそ、それらの課題と向き合い、子どもたちに“我が事”として考えさせるような社会科授業を期待したい。それこそが社会科の意義ではないでしょうか。